決して訪れぬ明日のエスキス
2




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 自宅と隣家のちょうど境。見えざる敷地境界線を揃えた踵で綺麗に跨いで。はじめにそこに立つのはいつも、幼馴染の少女であった。凛と背筋を伸ばす彼女を基準に、次いで双子が左右に分かれ、鏡写しに配置される。幼い頃から侑の春は、そこから始まるならわしだった。

 三人並んで、写真に収められるのだ。

 あの表面のつやつやとした、長方形の紙ぺらをやたらと有難がる心理に侑の理解は及ばない。大人しく定位置につきながらも、毎年四月一週目の侑は、だからたいてい不貞腐れているのだった。
「まあまあ、子の成長を記録したい親心ってやつやないの。笑顔で写ったろ、今年の私たちは今年にしか撮られへんのやから」
 始業式の朝だ。春休みのうちにアイロンをかけたらしい、折り目をぴしりと整え直した野狐中学校のスカートが揺れる。幼馴染は苦笑していた。聞き分けのない子どもに手を焼くような、宥め賺すような言い草が癇に障り、侑はますます唇を尖らせる。
「……べつに、なんも変わらんやろが」
「侑くんも治くんも、順調に背ぇ伸びとるやん」
「そないな話しとんとちゃう」
 こんなに侑がむくれていられるのは、タイミング悪く壊れたカメラの代わりを探しに母親二人が各々の家に引っ込んでいる間だけだ。というのも、昔から自分を甘やかしてくれる隣家のご家族の前で、基本的に侑はそこそこ愛想がいい。毎年毎年、良くも悪くも正直者の彼が内心の不満を押し隠し、シャッターが切られるまでを耐え忍ぶのは、主にこの双子をすっかり家族の成員のように扱ってくれている幼馴染一家への配慮の為せる奇跡であった。付け加えるならば己の母、不平を顔色に滲ませようものならすぐにでも夕飯の品目を減らす力をもつ、あの鬼神の如きが恐ろしいわけではない、決して。
 ともあれ立ち位置は保ったまま、侑はここぞとばかりに溜め息を隠さない。
「俺が居って治が居って、真ん中にお前。去年もその前も、十年前からずーっとこの図や、十年先もこれ撮るんか? もうええやん、飽きたわ」
 吐いた溜め息を取り戻す呼吸がそのまま欠伸に変わっていく。そう、飽くほどに繰り返してきたのだ。だからこうしてぼさっと突っ立っていても、単純におさまりがいいとは思う。しかし、もううんざりだというのも本音だった。今年の俺ら、やって? それが来年の自分たちとどう違うのか、侑には分からない。まず間違いなく、バレーの技術はより優れているだろう。身長だって、もっともっと伸びているかもしれない。そこにはその時々の現在があるだけだ。切り取ってみたところでそれを、誰かが見返すのだろうか。過去を振り返ることが何の役に立つというのだろう、試合の録画でもあるまいに。
 スニーカーの爪先をアスファルトにぐりぐり押し付ける。吐き捨てた毒に返答はない。少々語調が強すぎたろうか、一応か弱き少女たる幼馴染を横目で窺うと、彼女はもはや不機嫌な侑を視界に入れてさえいなかった。代わりに治の方を向き、ゆるりと話しかけている。
「ねえ治くん。去年も侑くん、同しこと言うとったよねぇ」
「思ったわ。まあ、侑はなんも変わらんらしいから」
「お母さんたち居らんときに言い出すんも既視感やねぇ」
「十年前からずーっとやろ」
 和やかな会話である。侑はそののほほんとしたやりとりに危うく毒気を抜かれそうになり、慌ててかぶりを振った。和やかに、失礼なことを言われている気がする。
「なんや、喧嘩売っとんのか?」
 とりあえず、幼馴染をすっ飛ばして治に凄む。「はぁ?」反対側から身を乗り出して治も応じた。和やかなどという形容とはかけ離れた声色で。
「喧嘩て。一言違わず侑の言葉やけども」
「ッ言い方がなんか腹立つねん!」
「鏡に吠えとる犬やんけ」
「なんやと!」
 既に自分と随分体格差のある少年二人が自分を挟んでいがみ合おうと、少女は気にした様子もない。身長計上に立つときの具合で伸ばした背筋をそのままに、やはり穏やかに口を開くのだ。
「あ、ほらカメラあったって。喧嘩やめよぉや」

 三人並んで写真に残される。ずっと何も変わらないことを確認する作業のようだ。

 彼女を挟み、向かって左側には侑、反対側には常に治。ずっと変わらない、最も慣れ親しんだ線対称だ。拘りのない彼女の髪型が殆どシンメトリーに落ち着いていたことや、長年同じ構図を撮り続けてきた両家の親の撮影技術も手伝い、印刷されて手元に届く写真は、ちょうど正中に当る彼女の足あいから山折りにすれば、いつだって間違い探しに提供される反転絵の如く。それが三人の在り方だ。
 彼女のまっすぐ伸びた背骨は、この双子のために誂えた完璧な対称軸さながらであった。

 引き出しの奥にまた一枚を蓄積して、無意味な行為だとやはり思う。わざわざ残すまでもなく、この在り方は続いていく。どれほど三人の背が伸びようと、仮に侑と治が、髪の毛の色を別々に染めてみたりしたって。ひとたびカメラを向けられれば、言葉もなくこのように並び立つのだ。年が巡る毎に同じ構図の写真を増やしながら、いつまでも三人一つの明日がくると、侑は自分の立つ現在を疑わない。


 幼馴染と肉体的に一線を越えようというときも尚、侑はそれを関係性の変化とは捉えなかった。侑がいて、治がいる。二人が肩を並べてできる隙間に、彼女はやはり綺麗に納まっていたから。
「ええな、この身体。俺らのためにあるみたいや」
 しみじみとそんなことを呟いたのは治だったか、それとも侑の方だったか。どちらでも大差ないと侑は思う。そこにはただ純然たる事実だけが存在する。


 たとえば正三角形がもつ美しい脊椎、頂点からすらりと伸びる対称軸に似て、その日も彼女の肢体はあった。少女一人が寝返りを打つのに十分過ぎる大きさのベッドは、かと言って育ち盛りの少年を更に二人も乗せてみると、流石に少々手狭である。組み敷かれた彼女が身動ぐと、スプリングが呻くように軋んだ。
「なに、するん」
「なにって。知らんの、セックス」
 どちらかの声が淡々と答える、たぶん、用意されていた回答なのだ。それがいつの日に行われても構わないように。

 侑にしてみればその行為はただ、幼馴染という関係性の延長に過ぎなかった。特別なことなど何もない。強いて言うなら、彼女の家族が家を空けていたことは都合の良い要素として数えられるだろうか。それ以外にはなんということもない、彼女の部屋に上がり込んで、寝転がって、スナック菓子を食べ散らかして、ゲームをして。侑が三回勝って、彼女が一回勝って、治が四回くらい勝った頃、そろそろ別の遊びを考えようかという、その流れの続きだった。
 幼馴染が声を震わせる理由が、だから侑にはいまいちピンとこない。
「……ッ知、らんから。ね、退いて。手ぇ離して」
「無理。知らんなら尚更、俺らが教えたらなあかんやん」
「やんなぁ」
 小さな手を嬲るように握り拉く、治にとってもそうであろう。現に、彼女を突き飛ばしたのは治だ。なんでもなかった今日を、治が選んだ。示し合わせたわけではなかったが、侑の身体も当然の如く応じ、彼女の右隣に滑り込んだ。向かって左側には侑、治はその反対側。間違えようもない定位置だった。治は彼女の無抵抗に倒れ込んだ姿勢そのまま、なお揃って右側を向いている脚を見とめると、左膝だけ掴んで自分の方に引き寄せる。
「あっ……!」
「あんな。お前のこの、真ん中んとこに、欠けとるもんがあるやんか」
 侑もまた、慌てて半身を追いかけようとした右膝を掴み、治がしたのと同じようにベッドに押さえつけ、開かせる。
「ここを俺らが埋めたるだけや」
「なんも難しいことあらへんよ」
 手入らずの身体を互いに重ねること。それは同じ学校を選んで進学するように、また次の春、真新しい制服で、並んで写真を撮るように。いずれ必ず三人揃って行き過ぎるべき場所として用意されていたものだった。ろくな感情も伴わず、ただ、単純におさまりがいい。もちろん治にとってもそのはず。どうやら彼女がそう思ってはいなかったらしいことが、意外でさえある。

「(なんで、泣きそな顔しとんのやろ)」

 こんなもの、ただの予定調和だ。それぞれ男女の肉体へ分かれて成熟してきた時点で、いつ訪れても構わなかった今日の日だ。細い右手首を侑が掴むのも、治が左てのひらを縫い留めるのも。十年も昔から続いてきた昨日であり、十年先も続いていく明日と変わらない、ただの。

 治がトップスを捲り上げたので、侑はスカートを引き抜いた。二人に挟まれた定位置で、彼女の瞳が驚愕に揺れる。動揺し、声も上げない女を暴くのは容易かった。冷気に曝された肌が粟立ち、続いて下着へかけられる指に気付く頃、彼女は漸く身を捩る。待って、やめて、と蒼褪めていく唇。拒絶だ。少し往生際が悪いのではないか。何を失うわけでも、得るわけでもないというのに。ちっと口、塞いだろかな。眉を顰めた侑が、掌を翳そうとしたときだった。
「ね、お願い……ッこんなん嫌や……や、ぁっ!?」
 突如。彼女がおとがいを鋭く跳ね上げ、引き攣りながら息を詰めたので、冷や水を浴びせられたように侑も怯んだ。見れば、発された拒絶を咎めんと、しなやかに伸ばされた治の指先が彼女の喉笛、気道を捏ねながら圧している。「なあ、さっきから。あんま嫌とか言わんといてや、」片割れの声はこれまで聞いたこともない、不思議な機微を秘めていた。昏い瞳に彼女を映して、この人さし指で喉頭を突いたのだろう。確かに彼女の態度といえば、侑も少々癇に障ったが……そうまでするか。ろくに表情筋も動かさぬまま、苦痛を以って容赦なく躾けようとする治の冷血には共犯たる侑も流石に面食らった。が、彼女の唇が震えるたび、洩れ出る呼気のかそけさに鼓膜を擽られると、すぐに堪らない気持ちになる。無意識に宙を惑う侑の手を知ってか知らずか、治は低く笑った。
「俺らずっと“こう”やったやんか」
 指はそのまま、ついと滑らされ臍へと下る、バースデー・ケーキを切り分ける所作で。見開かれた眼球の動きのみでそれを追いかけるさなか、彼女は幾つかの言葉を呑み込んだようだった。薄布越しに秘裂をなぞられ、女のからだが淡く戦慄く。
「明日も変わらんよな?」
 わかりきっていたはずだったのに、侑は治が言葉にしたことに、何故だかひどく安堵した。片割れは既に見知った横顔、彼女の左半身を這う己の手を目で追っている。決して、中心線を越えない。

 そうだ。見えずとも見える、敷地境界はいつものびやかな彼女の背骨、この正中線上に重なるのだ。侑の位置は向かって左。つまり、この右半身は侑のもの。彼女が泣こうが、喚こうが、彼女は侑と治のものだ。侑は漸く安心しきって、晴れやかに言葉を継いだ。

「せや。明日も、明後日も、お前はずっと俺らのもんやろ」

 彼女が答えることはなかったが、その肉体は揺るぎなく、世界の真理が形をとったかの如く純粋に、侑と治の間に横たわっている。治がそうしているのに倣って、侑もやっと手を触れた。

 露わにした膨らみかけの乳房を片方ずつ分け合って愛撫する。柔らかく熟れ切ってしまう前の小ぶりで瑞々しいそれは清らかな青林檎を思わせた。きっと、侑と治を待っていたのに違いない。触れれば触れるだけ、侑は熱に浮かされていった。しっとりと手に馴染む半球体は、彼らに平等に与えられるべくして、ここに双つ実ったのだと。齧り付くと、耳慣れない嬌声が上がる。嗚呼、何もかも知ったつもりでいたが、彼女は未だこんなに甘やかなものを隠し持っていた。侑と治を今この時、そしてこの先も変わらず悦ばせるために。

 俺らのための身体や。侑が、或いは治が呟く。三人は、三人で一つ。何も変わらない。これがずっと、ずっと続いていく。
 あの退屈な写真を増やすときよりもずっと鮮烈にそれを噛み締める。特別なことなど何もなく、まして関係性が変化することはない。しかし、この新しい確認方法には、単純なおさまりのよさ以上のものを感じた。暫く飽きそうもないと思う。

 共有すべき正中線上にある唇に、先に触れたのは治だった。彼女がどんな顔をしてそれを受け止めたのか、侑の与り知るところではない。知り得たのは、治の後頭部の向こうから洩れてくるくぐもった嗚咽と、執拗に交わされる水音だけ。そうやって治に悲鳴を貪られながら、彼女は侑のもので処女を散らした。脊椎と並行に存在する彼女の交接器は、やはり侑と治を受け入れるために用意されたものらしく、二人の昂りを包み込んで、綺麗に納めてみせていた。侑は気分がよかった。

 終わってみれば彼女を貫いた瞬間の、あの取り返しのつかない高揚の感触は、この日まで知り得なかったものとして、はっきりと侑の中に残されていた。


(決して訪れぬ明日のエスキス2/2)


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