くぐりくんは変温動物




 たぶんだけど、潜くんって変温動物だ。その正体は、たとえば人に化けて社会に溶け込もうとしてる見習いの蛇神様。などと馬鹿馬鹿しい妄想がよぎるほどに、寒い日の潜くんは気怠げに動く。さながら冬眠直前の爬虫類が如く。いや、まあ普段から活動的とは言い難いけれど。それはもうとてもとても運動部とは信じられないくらい無気力に思えるけれど。それだって暖かくさえあれば本人的には元気いっぱいなのだろう。こんな哀愁漂う猫背と比較してしまったら、ねえ。
 私は自販機前に立ち尽くしている下ろし立てらしきワイシャツの、曇天に映える白の眩しさに目を細めた。五月。朗らかな陽気が続き制服の防寒装備も剥がれ尽くしたこの頃、油断しきった人々に突如斬りかかる寒の戻り。太陽を遮るぶ厚い雲の下、潜くんはきっと今、絶望している。暖を求めて命からがら這いずってきた、その目的たる自販機を埋め尽くす「つめたーい」ばかりの選択肢に。
「あったかい飲み物、先週までで全部入れ替わっちゃったんだよねぇ」
 力尽きた同級生へのせめてもの手向けと解説しつつ、いつものように商品を物色する。惰性で未だにカーディガンを羽織り、ついでに皮下脂肪(ミートテック)まで着込んでいる私にとって、初夏のちょっと冷え込む程度の寒さは正直に申し上げて恐るるに足らない。「あったかーい」などという生ぬるい選択肢は、仮に残存していたとしても無用の代物。したがってこの指は迷うことなく冷たいミルクティーに狙いをつける。幸い、小銭投入口と目当てのボタンにはつつがなく到達できた。問題は取り出し口だ。戦利品を得るべくしゃがんでから気付く。外開き蓋の軌道上に、自販機前で活動を停止した潜くんの脚がかぶっている。
「潜くん。取れない」
「……」
「脚、動かせる?」
 返事がない。屍のようだ。私は潜くんの脛をちょいちょいと指先でつつき、ぐいぐい押し、それでも微動だにしない筋肉質なふくらはぎを、終いにはスラックス越しに軽くさすった。邪な意図はない。摩擦熱と、てのひらを介した体温の供給だ。どうやら一定の効果は見込めるらしく、暫くすると血が通い始めたのか腓腹筋がぴくりと反応。次いで老いたリクガメの歩行の如くのろのろと退いてゆく。感動的ではあるがしかし、既に購入を終えてから数十秒とかじゃない、分単位の時間が経過していた。貴重な休み時間の数分が。あと何分かかるんこれ。
「……潜くん、あのさ」
「……手。あったかい」
 喋った。思わず振り仰いだ先で、ちょうど潜くんのトカゲ然とした重たげな瞼がゆっくりと瞬きをするところだった。今まさに冬眠から目覚めかけている無垢な半眼に、私は数秒前の苛立ちを恥じる。潜くんは、なにも怠惰だったり鈍臭かったりするのではない。動けないのだ、爬虫類だから。この寒さにやられて。謎の理屈に顔面を引っ叩かれ、私は手早くカーディガンのボタンを外した。当然脱衣にも邪な意図はない。言ってしまえば母性の暴走だ。虚ろなまなざしの美少年とは、有史以来人の狂気の源だった。
「潜くん、これ。私のカーディガン。着てていいよ」
「……あ、うん」
「着せてあげるね」
 そんなこんなですっかり庇護欲に駆られた私は立ち上がるまで完全に忘れていた。目の前で差し出された衣類を受け取りすらせずぽやぽやしているクラスメイトが、全長1.8メートルの巨大赤ちゃんであることを。……着せてあげるどころか肩にかけることさえままならなくね?
「……?」
「っ!……あ゛ー!潜くん、ほんのちょっとだけ屈んでもらえるかなっ!?」
「ああ……」
 私の葛藤をよそに、一向に引き渡されないカーディガンを不思議そうに眺めていた潜くんが、半ば絶叫と化した要請にも動じず頷く。ちなみにこの奇声の原因ももちろん潜くんだ。なかなか実行されない「着せてあげる」に疑問を覚えたのだろうけど、無言で微かに首を傾げる仕草はあまりにもあざとすぎた。そして追い討ちをかけるように、今度は内腿に手を添えて姿勢を肩から低くしていく。今日日天然女子でもやらん萌えキャラムーブ。その体勢ときたら、あの毎日ほんのり流れが異なるコシの強い癖毛を無防備に差し出すかの如く。ワックスの匂いしないし、バチバチにセットして見えるこの髪型は実は寝癖なのだろうか?一度存分に撫でくり回してみたかった……じゃなくて!滅多にお目にかかれぬ長身男子のつむじに持っていかれかけた意識を、今再びのセルフ顔面殴打で戒める。いやでも、今のは流石に潜くんも悪くない?確かに屈んでってお願いしたのはこっちだけど、それに従うだけでここまでかわいいのはもはやズルでしょ。
 感嘆通り越して怒りに頬を染めた私と、向かい合って軽く頭を下げた潜くん。側から見れば謝罪強要現場な絵面を俯瞰しつつ、私は鼻息荒くも紳士的にその肩にカーディガンを羽織らせてやった。とは言っても、そもそもの体格が違いすぎる。投げ縄の要領で首に引っ掛けて、落ちないよう両袖を束ねた、くらいが描写としては妥当かもしれない。潜くんはされるがまま、照れからもたつく私の挙動をぼんやりと見つめていたが、鎖骨のあわいに太い結び目が完成すると、徐にそれに触れた。緩慢な所作で持ち上げて、マフラーに顔を埋めるみたいに鼻を寄せる。瞬間、ずっと茫洋としていた瞳がひなたの猫にも似て蕩けて……って、待って、なに。それどういう感情のやつ?不意打ちでお出しされた甘やかな雰囲気に、心臓が明確にやばいと分かる音を伴って軋み出す。
「あったかい」
「そ、そう?大した面積もない布ですが、お気に召したのなら僥倖……」
「それじゃなく。みょうじの手が当たったところ」
「ひょえへッ」
 間抜けな声が出た。潜くんは意にも介さず私の手を取り、確かめるようにぷにぷに弄ぶ。先ほどまでののんびり屋さんとは及びもつかない、有無を言わさぬ瞬発力と力強さはほとんど蛇の捕食のそれ。やっぱり爬虫類っぽい。けど、普通に人間の男の子だ。乾いた大きな手はそれなりに熱をもっているし。相変わらず省エネな表情筋の下にも、仄かな紅色が透けている。外気温よりも温かい血の通っている証。まあ頬の熱さに関しては負けている気がしませんが。
 そんなこんなで私たちは沈黙の中、暫し熱に浮かされたように見つめ合う。そうは言っても天然な潜くんのことだ、どうせ大した意図はないはず。などと予防線を張りつつ、高鳴る鼓動を鎮めることはついぞ叶わなかった。イケメンは何をしても少女漫画になってしまうから罪深い。心なしか、祝福の鐘的幻聴が聞こえてくる気さえして……いやこれは実際に鳴ってるな、鐘。
「って、やば!予鈴じゃん!潜くんそろそろはなして!」
「寒いから教室までこのままがいい」
「ッそれで元気が出るならどうぞ!」
 授業開始まであと5分、呑気に説得している余裕はない。構わず走り出した私の半歩後ろに、長い脚を持て余しているのであろうのそのそとした気配が続いた。足の速さ以前にコンパスからして彼が私の後をついてくる道理はないはずなのに、あくまで半歩後ろから。親鳥を追う雛みたいに、なんの疑いもなく。こういうところがいじらしくて胸を擽るんだよなあ。宣言通り放される気配もない手を、私はほんのすこし邪な意図をもって握り返す。冷えた外気のなかで熱を分け合いながら、私たちは折角買ったミルクティーを回収することも忘れて教室へ急ぐのだった。


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