ガーディアン・オブ・ワカトシー




※エセ魔法少女モノです




 須く罪には罰が用意されてあるべきだ。何故なら罪とはそもそもが規範に背く事、法のもとに罰せられるべき過ちを指すのだから。予め定義された悪行。裏を返せば、対応する罰を持たぬ事象は、その時点では罪として成立し得ない。たとえ如何なる邪悪でさえも。そしてその定義に照らすとき、人間社会において、悪の全てが罪となることはない。この世には人の想像も及ばぬ、或いは認識すら叶わぬ事象が存在する。司法に取り零される悪──中でも人理の枠外に佇む想定されぬ罪悪、所謂“魔”。其を罪とし、裁くための法が魔法と呼ばれ、其を行使する断罪者こそが──……

「魔法少女……私が……」

 思わず呟いてから、そのあまりにお花畑な語感に追い討ちを食らう。しかし現実離れした現実は確かに私の現状であり、端的に言えば私は今、目にも痛々しいゴスロリファッションを身に纏い、いかつい魔物にマジカルなステッキを突きつけていた。一応話には聞いていたが、まさかマジで変身できるとは。魔法少女って歳でもないが、これを魔法少女モノと言わずしてなんと言おう。

 変身の余韻に浸る間もなく、ステッキ一閃。続け様に襲いくるいかにもな火球を弾き返す。凶悪だったはずのエネルギー砲は巨体の射手へ送り返され、その頑強な体皮の上でメルヘンポップな火花に変じた。マジカルステッキの取説など読んでいる暇もなかったが、便利なことに使用方法が頭に流れ込んでくる。
 今の私、高校三年生にして人生で一番魔女っ子気分。
 この背中に庇っているのが今後仲間になりそうな美少女またはヒロインポジのなよっちい青年であったなら、さぞや世界観に浸れたことだろう。しかし私の守護対象は自室で繰り広げられるイカれバトルにも我関せず。強者の余裕さえ感ぜられる規則的な寝息を立てている。

 何を隠そう、私が守っているのは牛島若利なのである。

 時刻は深夜、丑の刻。白鳥沢学園男子寮の、彼に割り振られた一室が戦場だった。私もこの学園の生徒とはいえ、寮というのは本来異性の立ち入りを許しておらず、ぶっちゃけ不法侵入である。そうまでして果たさんとする目的はただひとつ。恋人の安眠を、彼の夢を守ること。私はキッと顎を上げ、立ちはだかる魔獣を睨む。睨み上げる。

 体格で若利くんを圧倒できる生物を久しぶりに見た。このレベルだと対抗馬は宮城県内の動物園にはいないだろう、おおよそ3メートルはあろうかという獣脚類にも似た巨体。獰猛な牙の隙間から灼熱の吐息が洩れる度、口腔内に蓄えられている焔がちろちろと闇を舐めている。溜めが終わればそろそろ火球の追撃がくるだろうか。全身を鎧う溶岩色の硬質な鱗や、顔や身体の側面から一定間隔で飛び出す鉤状の器官が如何にも不穏で、この生命体の目的が戦闘それ自体であると主張しているかのようだ。こんな凶悪なグラードンのパチモンに、瀬見の私服みてえなペラいコスプレで対峙する羽目になるなんて。まるっきり悪夢じみている。けれど。
 私はマジカルステッキの、これ権利関係とか出るとこ出られたらやばいんちゃうか?といった趣のグリップを強く握り直す。特に左手を意識して。そうだ、いい歳こいて強いられたファンシーな変身の辱めよりも、得体の知れん怪物に立ち向かうことよりも、もっと恐ろしい悪夢を既に知っている。如何に現実離れしていようが、これが夢であることの完璧な反証が見つからない以上、排さねばならない。この化物が若利くんを付け狙う限り。

 眼前で怪物の口が開かれた。喉奥まで曝すような大口の奥に、視神経を焼くほどに燃え盛る火焔の球が見える。掠めただけでも免れぬであろう、明確な死の気配。それでも目を逸らさずにいる私の覚悟に呼応するかのように、都合良くも呪文が自然と浮かぶ。

「……“Alexa、掃除機つけて!”」

 途端、棒状デバイスの先端でジュエル(恥)が激しく明滅する。……私いま、掃除機っつったか?否、振り返るまでもなく、確かにそう言ったのだろう。宝石のように透き通った謎石が輝きながら凄まじい勢いで吸引を始めた。マジの掃除機みたいな騒音はありつつ、不思議なことに物体には影響していない。吸い寄せられてくるのは魔物の放った火球だけだ。……あ、吸い込んだ。

「便利な世の中だな……」

 めげることなく連続で射出される火球を、こちらも負けじと吸い込み続ける。叶うならばお掃除にも使わせてほしいくらいだが、魔法ってのはそう便利な代物でもないらしい。なにしろ強大な相手を裁くための力だ。本来その担い手でないはずの人類に自由に行使できるかと言われれば否。
 実際、このアレクサ?とかいう名前のステッキに五、六発吸わせただけで、既に胃もたれ甚だしい。バカでかい豚の角煮を五、六個食ったくらいのもたれ方してる。嫌に現実的な反動やめてくれ。そしてここまで遮った全ての軌道の直線上には、まず間違いなく若利くんの左手。溜め息を吐きたくなった。まあまあ命懸けで妨害しているというのに、未だ私など眼中にない。

 魔とは得てして幸運に集るものだ。光あるところに影差すように。善を阻み、幸を謀る。曰く、それが奴らの本能。人には知覚されぬその営みは、たとえば空気が気圧の高い方から低い方へと流れるのにも似た、謂わば理であり、自然現象のようなものらしい。私にこの馬鹿げた力を与えたマスコット的生物はこのように説いた。実のところ若利くんは、ずっと彼奴等に狙われていたのだと。ただ、彼は本当に幸運で、おまけにちょっと強すぎた。

「! しまっ……」

 ──マジで胃袋が限界の時、出された食事を一瞬、食べ物と認識できないことがある。
 今がそれだった。朦朧とする私の横をすり抜けた小ぶりな火球は、そのぶん一拍遅れれば間に合わない速度で彼に迫っている。眠る彼の左手に。
 運を刈り取る魔物の攻撃は、人には知覚できないながら、食らえば形而下に影響し、必ず“傷”として表出する。それがどの程度の怪我となるのかは未知数だが、少なくともこの魔物は雑魚ではないだろう。普通なら、当たればただじゃ済まない。
 なりふり構わず駆け寄ろうとした私の目の前で──若利くんの体が反対側に転がった。たぶん、寝返り。

「……これが絶対に倒せない男子高校生牛島若利」

 思わず呟いたのは、音に聞く若利くんの異名である。寝返りの風圧で消し飛んでゆく火球の名残に瞳を潤しながら、もう私は、いやこれ私いらなくね?になりかけていた。マジで。

 私を魔法少女に勧誘したマスコットから聞いたところによると、若利くんは今現在魔界じゃ賞金首みたいな扱いらしい。傷ひとつ負わせるのも困難というんで、腕に覚えのある魔物にもう大人気。これまで彼の強烈な幸運に引き寄せられた魔物はそのパワーによって悉く滅されていたため、噂が広まったのはつい最近。彼の連れを襲った四天王の一人だかなんだかを返り討ちにしたのがきっかけらしいけど。そう、若利くんは魔物が見えてすらいないのに、見えないながらに普通に……。

 ああ、胃がむかむかする。

 若利くんは相変わらず健やかな寝息を立てている。半袖から覗く逞しい腕に、薄らと白く、治りかけの傷が発光して見えた。あの時、私を庇って負った傷だ。
 魔物の攻撃は形而上で行われるが、辻褄合わせのように現実に干渉する。そうして出現した制限速度ガン無視自動車は、2012年度全日本男子高校生最強選手権宮城県ブロック一位通過(推定)の牛島若利にちょっとした擦り傷を負わせたのだった。……いや、私とかいう足手纏い込みでかすり傷かよという感じだが。

 ともかく。私は次の攻撃に備えている腐れ魔物に向き直った。折れかけた心を取り戻し、目的を思い出したのだ。魔物死スベシ慈悲ハナイ。いくら若利くんが強いとは言え、この事態を放っておけばいつかは怪我を負う可能性がある。いつかのときは、擦り傷では済まないかも知れない。そして、バレーボールで上を目指す彼にとって、その怪我がどのような意味をもったものか。そんな悪夢、想像するだけで胃の中がひっくり返りそうだ、比喩とかじゃなく。
 そして、この私にも“幸運”がある。元々は、魔界の四天王とやらに気まぐれにちょっかい出される程度の持ち合わせ。彼が守ってくれた私の幸運が、私をヘンテコマスコットに引き合わせ、魔法少女へと導き、彼を守る力を与えた。彼が狙われるきっかけになってしまったのも私だが、だからこそ。武器を――美少女戦士然とした意匠の、世が世ならバンダイから紛い物が発売されかねない武器を掲げる。自分で考えたわけでもない意味不な呪文を唱えるためそっと口を開く。無力感も羞恥心も押し込めて。今度は彼を守るために、今できることをやろう。

「“Alexa、吐いて!”」

 刹那、迸る光の奔流が一直線に放たれた。魔物がトドメの火球を放つ直前の、最後の力みで晒された喉へ、一直線に。……この溜め込んだ内容物をリバースする快感、クセになりそう。私は思わずこぼれそうになる高笑いを深夜だからと噛み殺しつつ、脳内ではめちゃめちゃにテンションが上がっていた。
 人たる私は所詮微力。分かりきったことだから、戦法は予め決めてあったのだ。相手の力を利用すること。まさか掃除機みたいに吸って、吸って、吐けずに吐き気を堪えることになるとは想像だにしなかったが。それでも今、胃もたれに耐え切り、私は勝利した。杖先の四次元ジュエルからマジカルフレイムが止め処なく溢れ、魔物の全身を包み込んでは煌々と揺らめいている。めっちゃ魔法少女っぽい圧倒的な光景を前に、口元が魔法少女らしからぬ邪悪な笑みに歪んだ。そう、全ては計画通り。グラトニーリバース戦法、ここに成る!グラトニーリバース戦法って何?

 あんなに具合の悪かった胃腸が軽くなる頃には魔物は消し炭になっていた。勿論形而上的消し炭のため、若利くんに見つかるような証拠は残らない。
人心地ついて、私は若利くんの寝顔を見下ろす。そして、彼の左腕を。あと数日もすれば痕も残らないであろう、あの擦り傷を目に焼き付ける。カーテンの隙間から差し込む月明かりに、静かに白く照らされている。

「……私が守るからね、若利くん」

 四天王だの魔王だのいずれは全部ぶち殺して、若利くんの幸運を脅かすもの全部葬り去ってあげる。その果てに私の命が尽きるとしても。我知らず彼の左手へと延ばしかけた掌を戒め、爪が食い込むほど握りしめた。誰ひとりとして、彼の神聖な左手に触れることは許さない。私はそのために闘うのだ。
 踵を返した私は窓を開け、この部屋に入ってきたとき、つまりまだ魔法少女になっていなかった頃には選択し得なかったルートで男子寮を後にした。不法侵入ゆえに。いやしかし、人外の力を獲得すると便利なもんだな。



 ところで、人は魔道へ踏み外すと、人道を失うのかもしれない。

「そういえば昨晩、おかしな夢を見た。妙な格好の人物が俺の部屋で暴れていたのだが……」
「あー……それ、夢じゃなくて瀬見じゃない?あいつ夢遊病らしいから」
「そうなのか?」
「なんか黒っぽいフリフリの服着てなかった?あいつ私服もやばいけど、ジャージ以外の寝間着もそんな感じって天童が言ってたよ」
「……そうなのか」
「そうだよ。今後同じようなことがあったとしても全部瀬見だよ」

 教室移動の道中に交わしたこの一連の雑談のさなか、私の中には欠片の罪悪感も芽生えることがなかったのだ。自分の所業を誤魔化す嘘がぺらぺらぺらぺら口をついた。別に魔法少女契約において、魔法少女であることがバレてはならないなどという規定はないのだが……単純に、あんな格好ではしゃいでいることを彼氏に知られたくない一心で、私は友人を売ったのだった。クソとんでもない風評被害。悪の全てが罪となるわけでないように、罰を担う者もまた必ずしも善とは限らないのだ。司法によって裁かれぬこの偽証を、裁くとしたら魔法だろうか、それともまた別のなんとか少女が存在するのだろうか。
 外道に堕ちた私を他所に、疑うことを知らない若利くんは「瀬見か。確かにオフの日はあんな格好をしていたかもしれないな」とあっさり受け入れる。夢遊病は本人は気付いてないことも多いから指摘しちゃダメだよ、と念押しすると、それにも頷く。ちょっと心配になるくらい素直な人だ。誰かが守ってあげなくちゃ。隣に並んだとき、見上げなくちゃいけないほど大きいのに。守る必要なんかないくらい強い人なのに、勝手ながらそう思う。

 守られるべき彼を守るための存在。それは誰でもなく私がいい。

 抱き締めるように抱えていた教科書類を改めて抱え直す。縮めて筆箱に潜ませているステッキが、ペンに揉まれてカチャリと鳴いた。



※Alexaは2014年発表なのでこのマジカルステッキは実質オーパーツです。


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