かわいいひと




 かわいいって言ったら、やっぱり怒るんだろうなあ。わりあいに色白の頬を、今は薔薇色に紅潮させて。光を集める大きな瞳をうっすらと潤ませて。天使もかくやというあどけない面立ちに目一杯の愛くるしいオプションを備えながら、それでも表情にだけは全力の不服を湛えて光来くんは帰宅した。所属チームのキャプテンに半ば抱えられるようにして。
「おかえりなさい。それにしても、見事な酔っぱらいっぷりだねえ」
「酔ってらい……」
 いや呂律回ってないし。仮にも上司?にあたる人にでかめのぬいぐるみみたいに引き摺られといて何を言ってんだか。説得力皆無の抗議を無視し、私はへろへろの恋人を送り届けてくれた長身の紳士に頭を下げる。光来って酔うとめんどくさいんだねーなんてにこやかに毒を吐く様が見知った顔によく似ていた。たぶんだけど、護送を拒む容疑者の如くじたばたする光来くんを必要以上にホールドしているのもわざとだろう。なにせあの昼神くんのお兄さんだ。昼神一族の遺伝子は本能的に光来くんを揶揄ってしまうのかもしれない。

 飲み会で潰れてしまったのでこれから連れて帰ります、と連絡を受けた時は耳を疑った。光来くんは元々お酒に弱い方ではないし、自己管理もちゃんとしているから深酒なんて見たことがない。あの光来くんのスマホから、他の人の声で連絡が入るなんて。もしかして体調が悪かったのだろうかなどと一瞬過ぎった不安はすぐに払拭された。なんでも参加メンバーにはブラックジャッカルの選手もいたそうで。……日向選手お酒強そうだもんなあ。張り合っちゃったか。
 ほんと、いくつになっても男の子なんだから。足元も覚束ない様子の光来くんを和み半分、呆れ半分で眺めていると、昼神くんのお兄さんが「家の中まで運ぼうか?」と申し出てくれる。菩薩の微笑。ありがてえ。これがたとえば光来くんと同世代の佐久早選手とかだったら、私たちはとっくに捨て置かれていることだろう。彼ら妖怪世代が好き勝手暴れられるのも、頼り甲斐のある先達や沢山の人の支えあってのことなのだなあと万感の思いを込めて感謝を述べる。
「でも大丈夫です、光来くんなら私ひとりでもなんとか……!」
「なんらと!?俺が小さいからか!」
「ははは!言うねえ彼女さん」
 単にこれ以上迷惑はかけられないという意思表示のつもりだったが、光来くんの逆鱗を掠め、お兄さん的には結構ツボだったらしい。どっと沸き立つ二人に少し焦る。深夜帯というほどでもないが、今は夜で、ここは玄関先だ。体育会系の人たちはまあまあ声のボリュームが大きい。
「もう、拗らせてないで早くこっちおいで。キャプテンにもご近所さんにも迷惑でしょ」
「子供扱いすん……うっ」
「ほら光来、彼女さん困ってるだろー」
 声をひそめる私の意図を汲んでか、大人な昼神さんが尚も駄々をこねる光来くんの首根っこを掴んで引き渡してくれる。小柄とはいえ筋肉量のある彼を片手でやすやすと吊るし上げてみせる姿にやはり既視感を禁じ得ず、私はついつい微笑んだ。
「こうやって見ると改めてサイズ感が昼神くんだなぁ……」
「ん?」
「あ、いえ!昼……幸郎くんと光来くんの戯れてるところがこんなかんじだったなと」
「ああ、彼女さんはうちの弟とも同級生だっけか」
 昼神さんは顎ひげを撫でながら、得心がいったというふうに頷く。仕草にいちいち色気があるなあ。もしや数年後には昼神くんもこんな感じに……。元同級生の素敵な未来予想図をまじまじ見つめていると、「その人は素で女たらしだから必要以上に話すんじゃねえ」とお叱りが飛んでくる。送ってもらってこの言い草。器の小さな巨人って呼んじゃうぞ。昼神さんの手を離れ、今は私の抱っこちゃん人形になっている光来くんの背中をぽんぽん叩いてあやすと、自立できない彼が耳元で悔しそうに唸るのが聞こえた。……なんだろう、すごいいじめたくなる。
「んー、でも話すなって言われてもねえ」
 年下の男の子に対抗心燃やして勝手に酔い潰れた光来くんを介抱して頂いてるんだしねえ。ていうかキャプテンさんそりゃモテますよねえ、かっこいいもんねえ、光来くんと違って大人の余裕があるもんねえ。え、そう?嬉しいなーかわいい女の子に褒められると悪い気しないね。またまた、お上手なんですからぁ。やけにイキイキしている昼神さんと結託し、これでもかと悪ノリする。あのいつも自信に満ちた光来くんが私の服をぎゅっと掴み、俯いてぷるぷる震えているのが堪らない。実は私にも昼神家の血が流れていたりして。しかし束の間の優位も「あ、そうだお兄さんよかったら上がっていきませんか?大したものはありませんがお茶くらいなら……」と提案しかけたところであえなく崩れた。
「ッおい、お兄さんって言うな!幸郎の彼女みたいだろ!お前は俺んだ!」
「わ!?ちょっ、急に暴れないで……!」
 変なところに琴線のある人だ。突然限界を迎えたらしい光来くんにぐぐっと体重をかけられて室内に押しやられる。光来くんと体格差のある昼神兄弟と違って、なんなら彼より小さい私はそんなことをされればひとたまりもない。彼の肩の向こうで閉まりゆく玄関扉の、更に向こうに繋がる隙間へと謝罪を叫ぶので精一杯だ。
「お兄さんすみませんーっ!お礼とお詫びは後日かならずーっ!」
「だからその呼び方やめろ!」
「仲良いねー」
 鍵はちゃんと閉めるんだよーなどと言い残していく昼神さんの飄々とした笑顔は、光来くんをいじるネタを見つけたときの昼神くんとやっぱり瓜二つだった。ほんのひと匙混ぜられている「うぜー」という色まで含めて。


 惚れた弱みというか、あばたもえくぼというか。昔から光来くんの子供っぽくて面倒くさいところが結構好きだ。トップリーグを戦う選手として、実力と自尊心と世間の評価に釣り合いのとれた近頃はすっかり鳴りを潜めていたのだが。体が資本のスポーツマンとしてはあまり褒められたことではないかもしれないけれど、お酒の力でもこういう一面が見られるのはちょっと嬉しい。
「はい、お水飲も?」
「ん。子供扱いすんな……」
 ひとまずソファに転がしておいた光来くんに水の入ったコップを差し出す。こんな風に口をへの字に引き結びつつも素直に受け取るのがもうかわいい。彼の拗らせ全盛期には私も同じく子どもだったが、いま童顔の彼にいじらしい物言いをされると、まるで反抗期の男の子を前にしたかのようで無性に構い倒したくなる。彼の眩い喉仏が上下し、豪快に飲み干す様さえ青春時代の記憶に重なり甘酸っぱい。手の甲で雑に口元を拭う仕草も少年じみて。
「……見過ぎ。なんだよ」
「えー?昔の光来くんみたいでかわいいなーって」
 初恋の人が当時そのままの姿で目の前に現れたかのような瑞々しい高揚に、表情筋が弛むのを抑えられない。かわいい……?と引っ掛かったように眉を上げるのもかわいい。怪訝そうなお顔までかわいいなんて、無敵か?水を飲んで少し落ち着いたらしい光来くんに、かわいいかわいい世界一かわいいと纏わりつく。どちらが酔漢かわかったものじゃない。彼は普段からかわいいと言われると良い顔はしないが、まあ今なら抵抗できまい。などと高をくくっていつまでも撫で回していたのがよくなかったのかもしれない。不意に視界が反転し、面食らう。
「かわいいって……お前が言うかよ」
「へ、」
 ん?なんか、形勢が逆転しているような……。シーリングライトを背にした逆光の中で、光来くんの瞳だけが爛々と煌めいて見える。自ら燃え上がる恒星のようだ。脳の処理が追いつかず、ひたすら目を白黒させている私を見下ろして、彼は満足げに頷いた。
「かわいいな」
「で、ぇ!?ッ、く、酒臭……って、うわ、…い、ぃいいいいいから!そういうのいいから!」
「はっ。効かねえ。俺の方が強い」
 押し倒されている。漸く状況を理解し、慌てて腕をぶん回す私に不敵に笑いかけ、光来くんはますます覆いかぶさるように身体を密着させてきた。つ、つよ。びくともしねえ!つーかこの状況でなにを張り合ってんの!?私相手に!?ばか!?
「強い方が弱い方にかわいいって言う権利があんだよ。お前は俺にかわいいって言うの禁止な」
「なにその独自理論!ちょ、わかったから離れて。心臓に悪い……!」
「……さっきの、訂正するまで放さねえ」
 私を逃さないよう抱き竦めたまま据わり悪げにもぞもぞしていた光来くんだったが、どうやら胸元に顎を落ち着けたらしい。じと、と上目で睨むような視線を感じる。絵面に対する羞恥心がやばすぎるから直視できないけど。
「お前には俺がどう見えてんだ」
「うっ……どうって……。か、っこいいよ。世界一。かわいいじゃなくて、かっこいい……」
 全力で顔を背けながら絞り出した言葉に、しかし光来くんは不満げだ。
「言わされてる感がある」
 唇を尖らせて拗ねた物言い。彼の望む言葉を吐いて、これで終わりと思ったのに。油断していた私はぱちぱちと目を瞬かせた。が、理解すると同時に笑ってしまいそうになる。というか、笑った。流石に。実際言わせてるじゃん。笑われたのがお気に召さないのか、無言で額をぐりぐり押し付けてくるのがまた子供っぽい。これ、女性の谷間に鼻を埋める成人男性の図とは到底思えないな。
「あはは。もー、本当だってば。いつも一番格好いいよ。頑張ってるもんね。大好き」
「……もっと褒めろ」
「柄長さんのとこに来たインターンの子も、スパイク技術は星海選手が圧倒的だって言ってたらしいよ。私もそう思う。光来くんはなんでも上手だけど、やっぱり誰にも負けないってプライドを乗せた空中戦は特別だね」
「もっと」
「眩しくて直視できない。実際宗教。星海光来、名前が天才。生き方から顔立ちから全てが約束された格好よさでありえん何?最高到達点ほんとなに?顔のパーツが優勝すぎて証明写真でも盛れそう。今でもあなたは私の光」
「わけわかんねえ称え方はやめろ……」
 私はそりゃあもう全力で破顔した。珍しいこともあるものだ。光来くんが私に甘えている。
 光来くんの頭を抱え込むように、ぎゅっと力をこめてあげる。彼は賞賛を喜ぶ人だったけれど、相手に自分を認めさせた上で引き出すことを信条としていた。称えられるべき自分を称えさせたいのであって、言葉そのものを求めているわけじゃない。自立心が強く、自分の在り方は自分で決定する。そんな人がただ私の言葉を欲して不恰好に駄々をこねるなんて、こんなに嬉しいことがあるだろうか。
 彼の中の子どもの部分を抱き留めることを許されている。屈託ない喜びに満たされて、胸の中があたたかい。
 他愛なく体温を分かち合う時間を愛しく思いつつ、身体的に成熟した私たちの肉体はしぜん、もっと深くを求め合う。くすぐったく喉を鳴らしていただけのじゃれあいに、次第に不明瞭にくぐもった吐息が混ざり始めた。
「っふぅ、ん…やぁ……」
「嫌?」
「…ふふ、違う……好きすぎて死にそう……」
「おう。死なねえから好きでいろ」
「うん……だいすき……」
 鼻にかかった囁きが、お酒が回っていたときの舌ったらずな呂律よりも尚甘い。お互い服を着たまま身体を擦り合わせているだけなのに、心地良すぎてとろけるようだ。先ほどから体勢は変わっていないはずなのに、今度は明確な意図をもって光来くんが私の心臓に頬を寄せる。大人の触れ方。
「ふ。おまえ、あったかいな……」
「ぁ……っこ、光来く……ん?」
「…………」
「んんん?」
 体温が上がり、肌感覚も鋭敏になり、もういよいよ……という気になった途端、ふと光来くんが無言になる。私の背中をまさぐっていた手は止まり、なんというか、のしかかってくる体重が増した。心なしか穏やかな寝息も聞こえるような……。
「…………あったかくて寝ちゃうとか、子どもじゃん……」
 いや、気のせいではない。完全に寝落ちしている。
 和み半分、呆れ半分。光来くんの寝姿をじっと観察する。すぅ、すぅ、と呼気に合わせてゆるやかに上下する肩。険のとれた無防備な寝顔はコートに立っている時の印象よりもずいぶん幼い。少年らしさを多分に残す額のまるみをなぞってみて、それから短く切り揃えられた前髪のふわふわとした指通りを楽しむ。起きる気配はまったくない。がっちり抱き締められてるから自力で脱出はできそうにないし……これは、朝までこのままかなあ。はあ、と肺の奥から溜め息を吐いて、私はしみじみとつぶやいた。
「ほんっと、かわいいなあ……」
 なんて、起きているときに口を滑らせたら、やっぱり怒られるのだろうけど。


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