きよおみくんはわたしが守る
 2.灰色のカード




 色に対して好きも嫌いもない。色は、ただ単に色でしかないから。けれど強いて言うなら灰色が嫌いだ。パステル・カラーとか淡色とか、曖昧に暈けた色は何か中途半端な感じがする。
 概ねそのようなことを述べ、聖臣くんは手元の本に視線を戻した。相変わらず小学生らしからぬ潔癖的な思想だ。元々関心のないことを隠そうともしていなかったが、無感動に文字を追う彼の伏目からは、今は更にもう一段進んだ明確な拒絶が見てとれる。こうなったらもう変につつかない方がいい。私は静かに首を振って、尚も果敢にコミュニケーションをとろうとするクラスメイトを諌めた。
「聖臣くんには、白と黒がいいと思う。……そもそも受け取ってくれないかもしれないけど」
 そっと耳打ちすると、彼女も眉を下げる。聖臣くんが気難しいことは言わずもがな、進級前から知れ渡っているので、クラスの中心人物たる彼女としても懐柔は課題であったようだ。取り付く島もない様子を見て、諦めてくれるといいのだけれど。願いも虚しく、暫く考え込んでいた彼女はぽんと手を叩いた。
「あ、じゃあ佐久早くんの分はなまえちゃんが作ってよ。佐久早くん、なまえちゃんからなら捨てずに受け取ってくれるんじゃないかな」
 不意打ちのように向けられた屈託のない笑みに、つい声を詰まらせてしまう。
「佐久早くんと一番仲良しなの、なまえちゃんだもんね」
 私は結局、彼女から手渡された刺繍糸を断りきれずに持ち帰った。今、自室の机で私が向き合う、白と黒の二色である。
 クラス全員にミサンガを編むのだという。わざわざみんなに好きな色を訊き回って刺繍糸を選んでいるのだそうだ。私の手首にも数日前から手製のV字編みが巻きついていた。同じものを配って、同じように身につける。帰属意識芽生えたての子供の思い付く、連帯感を高めるためのシンプルで可愛らしいおまじない。
 しかし同調は、必ず異質を炙り出すものだ。この窮屈なコミュニティの中で我の強い聖臣くんをあぶれさせないために、彼女の案は正答に近いように思えた。
 彼女の言う通り、おそらく聖臣くんは要りもしないミサンガを私の手からであれば一応受け取るだろう。一番仲良し、というのが事実かどうかは置いておいて。関わりこそ特別濃いとは言い難いが、彼はなんだかんだで付き合いの長い私に少しだけやさしい。贈り物を喜びはせずとも、露骨に無碍にもするまい。
 彼が手首や足首に組み紐なんか巻きつける様は想像できなかったが、私から頼めば鞄に括るか、せめて筆箱に入れるくらいの妥協は見せてくれる気がする。まあそれさえも彼にとっては邪魔以外の何物でもないだろうが――少なくともそうしておけば、クラスの連帯の中にあって波風を立たせることはない。
 私は無彩色の双極成す糸を、クラスメイトに教えられた通りに撚り合わせ始めた。白と黒は、灰色の構成要素でありつつ最も離れた二極を指す。灰色が嫌いだ、と頭の中で聖臣くんが呟く。知ってるよ、と私は微笑む。聖臣くんの正しさは苛烈だ。知っている、彼の描く空を初めて見た時から。
 好きな色を訊かれて嫌いな色を答えるだなんて、如何にも聖臣くんらしい。適当に当たり障りなく答えればいいものを、彼は嘘が吐けないのだ。好きな色なんて本当にないのだろう。正しい(しろ)か、正しくない( くろ )か。真実だけを求める彼のキャンバスには、いつだって高潔で排他的な二元論が横たわる。
 嘘が吐けない不器用な聖臣くん。私が完成させたミサンガ、つまり彼にとって不要な異物を押し付けられるとき、きっと彼は何をも言葉にしない。語るは常に白か黒。だから真実も不実も口にせず、ただ沈黙という灰色を選ぶだろう。聡明な彼は、彼にとっての真実が時に人を傷つけることも知っているのだ。いくら聖臣くんといえど、要らないものを要らないと、常に撥ね付けられるわけではない。彼の手札に妥協と不可分のやさしさが既に用意されてあることを、長く彼を見てきた私は察している。そのカードが、必要に迫られれば私のために切られてしまいかねないことも。
 編み上がった二色のミサンガを片手でもてあそびながら、なんとなく、彼の筆箱の中身を想った。鉛筆と消しゴム、定規、分度器、あとコンパスに鉛筆削り。彼には、いつも必要なものだけだ。ジッパーにストラップもつけなければ、ノートにシールを貼ることもない。持ち物に余分な装飾を施したところを一度も見たことがない気もする。クラスの調和という用途をもった紐が、そこに一つ加わる。用途さえあれば、余分でないと言えるだろうか。
 私から受け取ったミサンガを突き返すことなく、無言のままに握り込む彼のてのひらを夢想する。
 ミサンガは、何の役に立つだろう。私はこの紐を改めて見つめた。自然に切れたら願い事が叶うなどというジンクスもある。けれど聖臣くんは絶対に願掛けなどしない。こうと決めた事は必ず自らの手で完遂する。誰の後押しもいらない。灰色を嫌う彼の世界は、いつもそんな風に研ぎ澄まされている。
 混じり気のないものは美しい。混ざらないから美しいのだ。私は息を軽く吸って、深く深く、それを吐き出した。ゆっくり呼吸をしていると、とくとく。血流の騒めきが鼓膜の奥に響いてくる。心臓が、血を送り出している。使命を帯びた血潮のその熱さが、いつでも私に思い出させるのだ。ミサンガ、このぱきりと綺麗に色の分かれた白黒は、悪くはないけれど。
「佐久早くんの分、作ってきてくれた?」
「作ったよ。これ」
 翌朝、早速私の席までやってきた彼女に腕を掲げて見せる。左手首には彼女が私にくれたものともう一つ、昨晩作った白黒が揺れた。不思議そうに首をかしげた彼女に、私もどう言ったものか、ごまかすように頬を掻く。
「えっと、ごめんね。私の我儘なんだけど……聖臣くんの分は、私が持っててもいいかな」
「え、なまえちゃんでも受け取ってもらえなかったの?」
「ううん、たぶん受け取ってくれると思う。でも……、」
 そっと視線を遣った先。聖臣くんは教室の喧騒を疎むように、頬杖をついて窓の外を眺めていた。朝の光がひそやかな黄金色を帯びてその輪郭を縁取っており、私は騒めきの中に佇みながら、そこに唯一の静謐を見る。何にも交わらず、優しさも嘘もない。自然体の彼は一切の過不足なく、抜き身のナイフにも似て美しかった。
「だからこうしておきたいの」
 私は彼の余剰を、彼にも知られぬまま、この手首に引き受けたい。そして代わりに願いをかける。どうか彼の灰色のカードが、私のために使われないよう。やさしさが、彼を穢すことのないように。


(きよおみくんはわたしが守る2/2)


 | |

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -