無貌の女




約束をするための指ではない 宮侑の十指は 否 その恵まれた体躯のすべて バレーボールのためにある 思えばそれを世界で一番 誰よりも 本人以上に信じてやまぬゆえだったのだろうか 彼女は決して侑と小指を絡めようとはしなかった

「侑くん約束しよか いつかバレーボール出来ひんようになったら私と死のう」見慣れた制服に身を包む女の顔を覚えていない 奇妙な確信に満ちた声音だって 数多向けられてきた謂れのない慕情のうちのひとつとして無感動に処理したはずだ 己の記憶の暗がりにそのような黄昏が存在している気配さえ侑は今の今まで顧みたこともなかった にもかかわらずその幻の見透かしたように釣り上がる唇 覚えた苛立ちの手触りさえ こんなにも鮮明に蘇る「……なんで俺がお前と死ななあかんねん」「だって侑くんきっと独りで死ねないやんか」やはり指を差し出さぬまま誓いの言葉を口にする女の声は 晴れやかに

「私が終わらせたんねん 愛するバレーボールを欠いて指先ひとつ動かせんくなったぬけがらを」


狭い医務室一面の潔癖な白色に覚束ない視線を彷徨わせる。何かを探していた気がしたが、十秒前の過去の話だ。

すぐさま何かに影響するほどの故障ではなかった。ただ、滲み広がる痛みの熱は未来を意識させるには充分。侵食はやがて心臓にまで及び、精神の奥、無造作に仕舞い込まれていた呪いを俄かに疼かせる。
バレーボールを失う日。
少なくとも侑にとっては現実味を帯びぬ空虚な世迷言の響きだったはずだ。不意に、記憶から掘り起こした途端、ずっと埃を被っていたはずの彼女の言葉が気になり出して仕方ない。
いつか訪れるその日を見据え、宮侑の命日、と断じてみせた無貌の女は、あれは、いったい何処にいるのだろう。
侑は知らない。彼女の名前も顔も、当時の自分がそれを知っていたのかさえ思い出せぬまま。

今となってはひとつ、指を切らない約束だけがよすがであった。


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