空を棄てても手に入れる




 このところ元也は、いつか私が佐久早を選ぶと信じ込んでいる節がある。かと言って、今現在ありもしない不貞を疑っているわけでもない。だのに、私が恋人である彼に対しいくら愛情を示したところで、幸福だと笑いつつも、躱し、はぐらかし、時には私の心が佐久早に向くよう誘導している様すら見受けられる。身体を重ねているさなかにさえ、元也はしばしばその名を出した。
「本当に佐久早じゃなくて俺でいいの?」
 問いかけは穏やかに尋問じみて、そういうときの元也のてのひらは決まって人体の急所を撫ぜる。すなわち臓腑の詰まった腹、浅く呼吸する喉、心臓の埋め込まれたその真上。
 幼い子供が親の愛情を確かめる、そう喩えるには些か威圧的かもしれない。選択を誤れば首をへし折られるのではないかと背筋の冷えたこともあった。
 元也が好きだ、といつものように告げた。かたい人差し指の付け根が微かに気道に食い込んでいる。
「だったら、ちゃんと言えるよな? “佐久早より”俺の方がいいって」
 言って、と口づけにせがまれる。一体誰が思い上がれるだろう、彼の瞳に宿る渇望をひとりの女の持ち得る程度の愛で潤してやれるなどと。冷ややかに歪んだままの口許と悲痛に寄せられたまるい眉根の対照を哀れに思った。足りないのだ。もう、私が元也を愛しているというだけでは。
 もしも私が男の子だったら、元也の気持ちを汲んであげられただろうか。自分と血を分け、ひとつの競技に熱を上げる、同性同い年の存在と肩を並べていたならば。次第に目につくようになる、少しずつ差の開く身長、妥協なく技術を磨く姿勢、持って生まれた体質や、それを有利に働かせるセンス。そういうものを間近で見せつけられた時におぼえる、好敵手としての焦燥を。
 或いは私が、たとえばバレーボールの女神様だったなら。
 あいにく一介の女子高生でしかない私には、佐久早と自分を比べたがる元也の気持ちはわからない。私にとって佐久早は佐久早で、元也は元也でしかないからだ。けれど元也の欲しい言葉は知っている。頸に絡み付いた冷たい指を融かすつもりで、骨伝導だけで伝わるくらいに明快な語調に真心を籠める。
「元也が好き。佐久早より誰より、私はずっと元也が好きだよ」
 氷の指は、けれども解けない。元也の口許は相変わらず、歓びとも哀切ともつかぬ形に歪んでいる。腕を延べてその背を抱いても彼は動かなかった。ただ蹲るように私を囲ったまま、首を絞め上げることもなく、解放することもない。どうすることもできないのだろう。知っている、この人が私に望んでいるのはどちらかと言えば拒絶なのだと。
 私が佐久早を好きだと言えば、私を壊す理由ができる。元也は彼を愛しているという私の言葉を、本当はもう全くといっていいほど必要としていないから、だから最後の一押しを待っているのだ。私を壊して、二度と元也以外の誰をも選べなくするためのきっかけを。
 男の子というのは、かわいそうな生き物だ。
 バレーボールの女神なんてものが仮に存在するとして、彼女に選ばれたのは佐久早だと、元也は信じてしまったのだ。だからバレーと同様、二人が同じように愛するものとして、私に自分を選ばせることに無意識のうちに固執している。佐久早に勝ちたい。そう呟き、口先では私の言葉を欲しがるくせに、自ら掴み取ることのみを成就と見做し、私の心が離れていくのを身を切る思いで待っている。彼は私も振り向かせたいのだ。女神なんかに選ばれなくても、空の領域すべてをライバルに明け渡してでも、ただ戦い続けるだけでない、勝ち続けるのだと覚悟を固めたその再現のように。
 強い男の子は誰よりいっとうかわいそうだ。不確定の未来へ手を伸ばすために、いま両腕に抱えているものを投げ打つ決意ができてしまう。それこそが勝利の前提だと信じたがっているようでもある。
 泣かない彼をあやし摩る背に見つけたなだらかな隆起。肩胛骨のかたちは淋しく、彼がかつて手ずからもいだ翼の名残を思わせた。




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古森のリベロ転向の件、一生引き摺る。


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