井闥山

リバースデイ /古森

どうして卵なのかと問うたその時、“なまえ”はまだ相当に幼かったから、如何様に噛み砕いてやったものか、母も難儀したに違いない。
毎春のお祝いごと。イースターのおまつりでは、どうして卵にお絵かきするの?
水入れに使われている瓶の底で、差し入れた筆から滲み出す絵の具が、極彩色の雲のように湧き立ち、濁っていく。少女は絵筆から解放された利き手を、もう一方の手指に慎重に摘んでいる小さなキャンバス――卵殻へと添えた。不思議だった。このひ弱く、殆ど個体差のない鶏卵をわざわざ選んでいることが。だって、もっと丈夫で描きやすそうで、形もいろいろのきれいな石が、そこらじゅうに落ちているのに。
主の再臨という概念さえいまひとつ理解していない幼子である。我が子の抱く素朴な疑問をどう解消したものか。思案に彷徨う母の視線はきっと、娘の頭上を飛び越えて、部屋のある一点へと向かったはずだ。
リビングの片隅、と形容するには些か主張が強い。ところどころが経年で褪せた濃褐色のチェストの上はちょっとした祭壇の様相で、どこぞの旅行土産と見える小さな聖母子像や、名画のポストカードなんかが飾られている。両親はしばしば、何か答えを求めるようにそれを見つめた。熱心な宗教家というわけではなかったが、奇跡とかいうものを心底から信じている人たちだった。それはいま現在のためというよりは、いつか打ちのめされた時に縋る、その当てを用意しているようでもあり。拙くも、深く根を張る信心であった。復活祭の時期であれば、そこに鎮座する祭壇画はきっと、葉書大のサイズ感だけは慎まやかな、あの酷薄な『ノリ・メ・タンゲレ』。神の居場所のない家であれば、家族写真でも飾られていそうな位置取りで。
ややあって、母は口を開いた。
「石も卵もじっと動かないけれど、卵からはひよこが生まれてくるでしょう?今日は神様の二度目のお誕生日だから、お祝いには卵が相応しいのよ」
「神さまにはお誕生日が二度あるの?」
「そう。一度亡くなられて、もう一度息を吹き返された。だから特別なの。そのお祝いには、永遠に動かないままの石よりも、今すでに生きているひよこよりも、これから生まれるのを待っている卵がぴったりだと思わない?」
宗教について語るとき、元より温和な母の言葉つきが更にいっそう柔らかになる。わけもなく、その声色が好きだった。その頃、私は──“少女”は復活の意味はおろか、死とか生とかについてもあまり深く考えたことがなかったけれど。それでも母の示した答えは、歌うような語調と共に、心のうちになめらかに馴染んだ。凍てついた小川が春の朝日に温み、少しずつ澄み渡っていくのにも似て、自然と。そうか。卵は、誕生の象徴なのだ。ただの無機質の器でなく。母の言うように、ひよこが卵から現れるものと少女は知っていた。子どもの思考は飛躍しやすい。世界のかたちを手探りで理解しようとする薄闇の中で、不意に一筋差し込んだ光に打たれる如く目を細めた。
「ああ、だから卵はかわいいのね」
「かわいい?」
少女は弾むばかりに頷く。感動が、頬を薔薇色に染め上げていた。この頃は、まだ詳らかに説明できるだけの語彙を備えていなかったけれど、今でもよく覚えている。卵はかわいい。か弱く、まだ己こそが愛でられるべき幼い子どもの目にさえそのように映った。目の醒めるような、鮮烈な発見だった。卵は神秘の容器。神を秘すもの、神の器。それでも、もしもこれが歪であれば、誰が守ろうと思うだろう。誰も温めやしない。醜かったなら、或いは頑強であったなら。
絵付け途中の卵の殻を、そっと窓辺に翳してみた。するとレースカーテンに濾された純白の陽光が、薄い乳色の外殻を透り。その内に湛えられた空洞は余すところなく光で満たされ、儚くも自ら発光しているようにさえ見える。優美な輝きを帯びた、この寸分の揺るぎもない曲線。うつくしく滑らかな硬質の殻、これは生存戦略なのだ。少女は自分の両てのひらにおさまる小さな器を、丁重に胸元へと引き寄せた。壊さないように、子を慈しむように。内から破られるべく相応の脆さに保たれた卵は、この完璧な造形で以って、万人の庇護欲を掻き立てる。
「卵は大切なものだから、大切にされるためにかわいいんだわ」
かつて私だった少女が陶然と呟く。無邪気に笑う娘の髪に、母の手がやさしく触れた。今となってはあり得ない。卵の表面を撫でるような、脆弱なものに触れる手つきで。

その掌が“私”の手の甲に変じ、気付けば誰かの白い頸をなぜている。否。誰か、ではない。体育館の床に押し付けられたこのまろい肩の、乱れ散らばる長い髪の持ち主を知っている。線の細い身体、危ういほどにきめ細やかな肌。なめらかな曲線によって構成されたそのシルエットは“愛されるべくして愛らしい”――オメガだ。私の番うべき。
少女を見下ろして、自分の喉が鳴るのが分かる。私は彼女の、そして私の運命を知っていた。

これは、夢だ。過去の、或いは未来の夢。夢だから、と胸裡に繰り返し唱えつつ、私はその首筋に唇を寄せる。荒れ狂う思考の波間にふと、声が甦る。

「俺はみょうじのこと、かわいいと思うけどな」

夢のなかで歯を立てる瞬間、いつも脳裡に囁く慕わしい人。結ばれるはずのない、同類。
古森くんはどんなオメガと番うのだろう。どんなに優しく、彼の運命の人の頸を噛むだろう。考えたくもない。
いつかこれが現実になるときも、きっと私の理性は最後に、未練がましくも、彼のことを想うのだろう。



アルファの女は三度生まれる。まずは出生、人として。次に初潮、女になる。やがてバースが発現し──成熟し、両性具有へ至る。成長というよりも、それは変身。たまごがひよこに、ひよこが鶏に、という話ではない。夢に見る過去は、もはや一人称の物語ではなく。たとえば殺人事件の被害者と加害者ほどの決定的な断絶が、かの“少女”と私との間に横たわっていた。
その不可逆に抗うように、毎朝、錠剤の封を切る。
まだ誰もいない教室の、ひんやりとした静謐が快い。嫌いじゃなかった。冷たい水に押し流された一錠が、喉を、食道を滑り落ちていく感触も。アルファの特性を鈍らせる抑制剤の服用はオメガのそれと違って義務化はされていないが、社会の秩序を保つという名目で推奨されている。秩序。嫌いじゃないけれど、少し可笑しい。アルファに優等であるよう、足並みを揃えぬよう望んでいるのは社会であるはずなのに。アルファたる特性を消せだなんて、まるでジンジャーブレッドマンの抜き型を押し付けられるみたい。
薬を飲み終えたら感傷もそこそこ、ピルポーチと水筒を手早く仕舞う。別段、人に見られて困るものでもない。しかし、認識するだけで気後れする人もいるだろう。私がアルファであるということを。口には出さないまでも、私の両親がそうであるように。
カーテンを開けて陽を取り込む。他に世話する人もいない、花瓶の水を換えてみたりする。手持ち無沙汰な朝の日課のようなもので、私は誰を加害することもないそういう行為を気に入っていた。

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問題点
・古森さんの登場までが長すぎる
・夢主がモブ同級生女子と百合をやる
・ガチで思想が強い
・オメガバース書きすぎ
・思想なので労力のわりにおもろない



アルファの女さんが古森さんに懸想してるけど相手もアルファって噂だし、最近オメガ(推定同級生女子)の匂いが濃くて我慢の限界なので所詮本能に抗って生きるなんて無理だな…生まれ持った役割があるんだな…みたいなことを一生ぶつぶつ言ってるけど実は尊敬していた古森さんがオメガで、オメガを見下してた女さんをメスにして蹂躙する話です。(あらすじ)





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