終わらないフェルマータ


*過去捏造注意なマサレン。一万打企画小説です。













白と黒の鍵盤が織りなす規則的な美しさ。金のかたまりで操る音のエフェクト。目の前で踊る符の連なり。それら全てをひっくるめて、ピアノという楽器はひどく美しいものだと思った。幼い頃から、父に認められるためならばと何でも努力してきた。勉学もスポーツも芸術も。音楽の分野ももちろんその中には含まれていて、ありとあらゆる楽器を練習した。(歌だけは、ダディが怒るからやらなかったけれど)音楽は好きだった。父の顔を歪ませることしかできない俺が、唯一紡ぐことのできる綺麗なもののような気がして。初めはただの音で、でも最後には曲になる。感情を乗せれば、声はなくともそれは歌になる。特に、ピアノという楽器をよく好んだ。その理由はあまり覚えていないのだけど、他の楽器よりも好きだったことはよく覚えている。
そんな俺が、ある時を境としてぱったりピアノを弾くのを止めたことに、気がついたのはジョージ一人だった。(結局、ダディは俺のことなんて気にも留めていなかったわけだ)その後すぐに俺はサックスに興味を持ち、ピアノを弾かなくなったことを追求されることはなかったから、その原因は俺しか知らない。それは、聖川真斗という俺よりも幼い少年が、泣きたくなるほど優しい音をピアノで奏でているの聴いたからだった。いつものようにパーティー会場を2人で抜け出して、偶然入った部屋に置いてあったグランドピアノを真斗が弾いた時から、俺はピアノはもう弾かないと思った。いや、弾くことはないだろうと思っていた。今の俺には決して奏でることのできない優しい音を聴いたから。そしてその音は、きっとこれから先もずっと俺には出せない音だと思ったから。
それが、まさかこんな形でまたピアノの前に座ることになるなんて、思ってもみなかったんだけどね。

「お前はピアノを嗜んでいると言っていただろう。弾いてみて、くれないか」

聖川にそう言われたのは、本当に突然だった。放課後、イッキに用事があってAクラスの教室を訪ねると、そこに居たのはピアノの前に座る同室者の聖川真斗だけで。こいつが曲を弾き終わるのを待ってから、イッキの居場所について聞くためにいくつか言葉を交わしたのだが、まるで今ふと思い出したかのように俺にそう懇願する聖川は、いつもより少しだけ柔らかい顔をしていた。昔のような可愛らしさが少しは戻ったかと思われるようなその顔に、つい曖昧な態度で言葉を濁してしまう。確かに、幼かったあの日、俺もピアノを弾けると言った。聖川がピアノを弾いた後に、「お兄ちゃんも弾いて」とごねられたことも覚えている。(頑なに弾かなかったけどね)

「よくもそんな昔のことを思い出したものだね」

皮肉の意味も込めてそう逃げる俺に、聖川は真摯な態度を崩すことはなかった。

「俺を見つめるお前の顔を見ていたら、思い出した」

聖川が一曲弾き終わるのを待っていた俺の表情のことを言っているらしい。「俺はどんな顔をしていたというんだ」と問えば、暫し悩んでから、「優しそうな、それでいてどこか苦しみを耐えたような顔だ」と答えられて、返す言葉は頭の中のどこを探しても見つからなかった。昔から俺のピアノを聴く時はその顔をしていた、とも続けられて、俺は聖川に気づかれないように後ろ手で拳を強く握った。こんなことくらいで動揺してしまった自分が悔しかったが、素直に今回は負けたなと思っている自分もいた。聖川の前ではいつも皮肉を言ったり、噛みついたりしてしまう自分だが、二人だけでいる時に、まるで昔を思い出したかのように素直になってしまう自分もいることに、最近戸惑っていた。自分で自分がよくわからないのは、気味が悪い。
聖川に促されて、綺麗に磨きあげられている黒いピアノに近づいた。平らな共鳴箱にそっと触れるとひんやりとした冷たさが指先に伝ってきて、それは俺の気分をさらに感傷的にさせた。ずっしりと重たい椅子に腰掛ける。先程まで聖川が弾いていたため、蓋は開かれていて、鍵盤を覆っているはずの真っ赤な布は丁寧に畳まれていた。白い鍵盤をそっとたたく。耳に心地いい和音、さすが早乙女学園といったところか、調律は完璧にされているようだ。ふ、と横にいる聖川を仰ぐ。

「……ショパンでいいかな」
「お前の好きな曲を聴きたい」

ちょうど窓から差し込むオレンジの光が彼を照らしていた。その光はもうすぐ夜が来ることを暗に教えてくれる。そうか、それじゃああの曲にしよう。俺が選んだ曲は「ノクターン」だった。そっと息を吐いてから、指を動かす。聴こえてくるのは懐かしいメロディ、確かジョージもこの曲が好きだった。久しぶりであるのに、俺の指は当たり前のように動いて空気の振動を創り出す。周りの空気がゆらゆらと揺れている感覚。

(……なんだか、幸せかもしれない)

俺の奏でる音を、誰かが聴いていてくれる幸せ。サックスを吹いているだけでは、きっと気付かなかった。そしてもう一つ気が付いたことは、俺の奏でる音が、昔よりも何だか穏やかに聞こえること。それは、俺が心の底で憧れた聖川のピアノの音に少し似たように感じられて、いつも傍にいることで似てしまったのだろうかと思うと、胸のあたりが何だかこそばゆくなった。
曲が終わりに近づく。それを素直にもったいない、と感じた。最後を飾りたてる、終焉を惜しむかのようなフェルマータ。そこに差し掛かった瞬間、夜がやって来た。目の前が暗くなったのは聖川に口づけられているせいだと、遅れて気付く。ノクターン、それは夜を想う曲。どこまでも優しい漆黒の闇、それは聖川の奏でる音のようだ。ああ神様、どうか許されるのなら、この振動が、この曲が、この口付けが終わらないように、



(フェルマータは好きなだけ長く)



* * *

レンがピアノを弾ける云々はただの捏造なのですが、いつかレンにピアノを弾かせてみたいと思っていました。二人の関係は曖昧なように書いてしまいましたが、多分この話の二人の関係は曖昧なんだと思います。マサ→←レンなイメージで。久しぶりに穏やかな神宮寺を書けたような気がして満足しています(^^)
20120120

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