目的論的世界観
*音→レン♀。女体化が苦手な方はご注意ください。
【全ての自然物は、神によって造られた被造物であり、それは全て神の完全性に向かって努力する存在である】
「ねえ、こんな言葉聞いたことある?」と赤く燃ゆる焔のような髪を揺らす、目の前にいる男に問い掛けたら、満面の笑みで「知らない」と返された。私はこの笑みに途轍もなく弱いことを自覚している。そうでなければ、今、このような状況には陥っていないはずなのだから。
一十木音也とは、早乙女学園に入学して間もない頃に出会った。同期といえども、クラスは違うし、性別も違うので寮でもいっしょになることはないし、本来ならばほとんど関わる機会がなかったであろう相手である。出会いは、私がクラスで一番親しくしている、オチビちゃんこと来栖翔に奴が話しかけてきたことに端を発する。オチビちゃんのサッカー仲間だという奴に、とりあえずいつもの当たり障りのない営業スマイルで「こんにちは」と挨拶をすれば、無邪気を絵に描いたような奴の顔に、パッと朱が差した瞬間を嫌になるほど覚えている。
私と出会った時、男性がどういう反応をするかは大体3パターンに分けられる。1つ、私の容貌と家柄だけを見て媚びた下賤な目をする人。2つ、視線を少し逸らして恥ずかしそうにはにかむ人。3つ、ほとんど表情を変えずに接してくれる人。3つ目のパターンであることは極めて少ない。そういう人とは純粋に友達として仲良くなれることが多い。オチビちゃんなんかはその典型だ。自分で言うのもなんだけれど、母親譲りのこの外見のおかげで、世の男性はほとんど私に対して1つ目か2つ目の対応をとる。一十木音也の反応は完全に2つ目のパターンのそれだった。自意識過剰なんかではなく、私は一瞬で奴に「一目惚れ」されてしまったことを悟ったのだった。まあ、それも慣れたことだったから、その時はほとんど気にも留めていなかったのだけれど。……その時は。
いつだって、イッキは突然だが当たり前のように、尻尾を振って私の部屋にやって来る。本当に犬みたい、と思いながらも、いや、犬なんてそんな可愛いものじゃないなと思い直す。私にとっては、部屋に棲みついたねずみのようなものだ。私が寮で同室だった子が退寮してしまったこと、そして私の部屋が1階であることをいいことに、イッキはいつもコンコンと私の部屋の窓を叩くのだ。いつもの、太陽に向かってひたむきに咲く向日葵のような笑顔をして。いつも、一度は無視をする。それでもイッキはめげることなくコツンコツンと窓を叩く。そもそもが、男子が女子寮の窓を叩いているという状況のなんと危ういことか。その状況と、イッキの笑顔とが頭に浮かんでしまえば、私はいつも窓のカギを開けてしまうのだ。だから、半分は私が悪い。でも、こちらの心情的には9割くらいはイッキのせいにしてしまいたいほどだ。
何故これほどまでに懐かれてしまったのだろうと、ぼんやりと考えてみる。答えなんて一向に見当たらないが、とにかくこの状況にも今では慣れてしまった。別にイッキと一緒にいることは不快ではない。それが何故かはどうにもよくわからないけれど。
私たちは、よくとりとめのない話をする。いや、寧ろどうでもいいような話しかしないと言っても過言ではない。だって、私はイッキにどうしても伝えなくちゃならない話なんて持ち合わせていないのだから当たり前である。だからといって、沈黙を長く続けることは少し恐ろしく感じる。にこにこと笑むイッキの顔が、不意にすうっと真剣な顔になって何かを紡ごうとすることを、私は知っているから。それを阻止するために、私はいつもイッキに何ということもない話をするのだ。それ故、冒頭のような質問があったわけである。
「ごめん、難しくて全然わかんないや」
いつも通りに、平然とした様子で私のベッドに座っているイッキが言う。冷静に考えると、彼氏でも何でもない男が自分のベッドに座っているという状況は異常であるということに気が付くのだけれど、それを咎める言葉を発することはとうに諦めている私は、その反対端に腰かけながら、イッキに説明してあげた。
「私は神だなんだなんてあんまり興味ないけどね、どこかの哲学者の言葉なんだって。全ての物は、ある目的をもって動いているんだ、って」
まだわからない、というように素直に首を傾げるイッキを見て、少し笑ってしまった。わからないことをわからないと正直に表に出すことができるのは、イッキの美徳であると思う。どうしたって、強がったり、取り繕ったりすることの多い自分自身と比べてみて、羨ましくなるほどに。とりあえず、さらにわかりやすく、噛み砕いて教えてあげることにした。
「つまりね。ほら、こうやって、私がこの指輪を放したら、これは落ちるでしょう。私はただ何も考えずにこうしただけなのに、この指輪も、他の何もかもも、何かの目的があって落ちるんだって」
そしてそれは全て、どこの誰とも知らない神さまのために動いているらしい。
「へーえ。じゃあ」
どさり、と。少し薄暗い部屋の中でも、淡く光を発する赤い髪に、ベッドに縫い付けられた。しまったと思った時にはもう遅くて、私はイッキの下からどう足掻いても抜け出すことのできない体制になっていることを知るのだ。焦ったところでもう遅い。イッキが健全な男であることも、自分に好意を抱いていることも知っていて、この状況を作ったのは紛れもなく私なのだ。まず、自分の格好を素早く確認した。部屋着のラフなパーカーとショートパンツ。スカートは履いていなかったから肌蹴てはいないが、十分無防備で危うい格好である。それから、意を決してイッキの顔を見上げることにした。今まで見たことのない雄の顔をしているのだろう、という私の予想に反して、奴はキラキラと光が弾けるかのような笑顔を浮かべていたので、面食らってしまった。
「じゃあ、今俺がこうしているのも、目的があるんだね。この部屋にいることも、こうやってレンの上にいることもさ!」
紅緋色した瞳が、まるで警告を発するみたいにチカチカと発光しているように私を見ていた。イッキの声は至極嬉しそうで、歌うような軽やかさを感じた。
「それなら、その神様は、俺かもしれないよ」
と、トチ狂ったようなことを言い出したから、私はさらに面食らってしまって、すぐには口を開くことができなかった。ふと、急に息が出来なくなる。一拍遅れて、奴に口を塞がれているのだと気付いた。なんでよ、と声にならない声を発しながら、全力で上に覆われた身体を押し返そうとしたが、状態は変わらないばかりか、うまく息を逃せずに苦しさを増すだけの結果に終わる。こんなことするような顔なんて少しも見せなかったっていうのに。あんなに毒気のない顔で笑っていたっていうのに。本当にわからない、一十木音也という男は。
「っは、……なに、やってんの」
やっと離れた唇を、どちらのものかわからない透明な糸が伝う。抗議の目を向けてみても、やっぱり奴の顔は邪気のない笑顔のままで、この空間に気怠く淀む淫靡さとは似ても似つかないようなものだ。こんな顔のままこんなことができるなんて、と得体の知れない畏怖が背中を這った。口の端の唾液を楽しそうにペロリと舐めるその様は、甘いクリームを舐めとっているような錯覚を覚えさせる明るさを持ち合わせている。
「レンを取り巻く全部がさ、俺のために向かっているものだったら、嬉しいな」
そこで私はやっと気付いた。ああ、きっとイッキと出会ったあの日から、私の世界はイッキの世界に呑み込まれていたんだ、って。イッキの存在が不快じゃなかった理由が、この笑顔を拒むことができない理由が、わかった気がしたんだ。
「だってさ、レンのことが好きだから!」
(レンの全ては俺のために造られたもので、それは全て俺に向かっている存在なんだよ)
* * *
アンケで音レン♀というご意見をいただき、そういえばうちのサイトには音レン♀がない!と思い立って勢いだけで書いてみたのですが、なんだかよく意味のわからない文章になっちゃいました。ただ窓から遊びに来る音也が書きたかっただけなんです……!
20150407
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