短編 | ナノ




 終わらない冬を待っている。
 濁りのない、澄みきった声だった。ぽつねんと呟かれた言葉をベッドの中で聞いたのは確かだけれど、それが夢の中のものだったのか、現実のものだったのかははっきりとわからない。わたしはその時、浅い眠りを繰り返した末の、ふやけた頭の中身を持て余していた。ただその言葉にはなにか不思議な力が宿っていたのかもしれない。それに導かれるように、わたしは“前から考えてはいたけれど実行はしないだろうと思っていたこと”を行動に移すことを決めたのだった。
 わたしはまず、ベッドから起き出して、足の方にある鳥籠に被せてある黒い布を取り払い、とびらを開けて、止まり木にとまるあおいとりに指を伸ばした。シェリーは指に止まると、まっくろい瞳をころころさせてわたしを見た。
 迷い鳥だった。ロイヤルブルーのからだに桜貝の色をした喉を持つ小鳥は、ある日の朝、わたしの部屋の窓辺にちょこんと止まっていた。わたしはしあわせのあおいとりのようだとはしゃぎ、すぐにみっつ年下の双子に小鳥を飼ってくれるよう頼んだ。この場所でわたしがわたしの意見を通すには、双子に話をするのが一番手っ取り早かった。彼らは小鳥に対してわたしのようには興味を持たなかったものの、その提案はあっさり許可された。小鳥の世話にかまけるわたしにつられて、彼らもよく気にかけるようになり、結局わたしたち三人はあおいとりをとてもかわいがった。もっとも、双子が揃って様子を見ることはほとんどなかったし、あったとしてもすぐに喧嘩を始めてしまう始末だったけれど。
 耳をかいてやると気持ちよさそうに目を細める。かわいい小鳥。あたたかなぬくもりをひとつ手のひらに包みこむ。それからキャビネットからここに来る前に母からもらった指輪を通したチェーンを取り出して首にかけ、それを置いていた白蝶貝も右手につかんで、部屋を出た。屋敷の中はとても静かだった。わたしはいつもと違う屋敷の空気を惜しむべく、ゆっくりと廊下を歩いた。夜のまん中。だれも息をしていない。


 ***


 空はよく晴れていて、森の中は想像していたよりもずっと明るく、黒々とした葉っぱを揺らすつめたい風の調べは潮騒に似ている。
 わたしは屋敷の裏にあるおおきな森の奥にある泉に向かっていた。いまは冬だったが、ネグリジェ一枚でも不思議と寒さを感じない。息だけが白く、空気の冷たさを示している。
 歩いてすぐに人影が見えた。ベルである。腹のあたりまで柄のあるスコップを持っている。何かを埋めていたらしい、足下の土がこんもりとしている。
 ベルはわたしを認めると、まぬけにくちびるを薄くひらいた。けれどもすぐにきつく結びなおして、スコップをざくり地面に突き刺す。揺れる前髪からのぞく細められた瞳が炯々としている。わたしは後ずさりした。こういう時、双子の近くにいてはいけないということは、わたしが屋敷に来ていちばん最初に覚えたことだった。
「何してんの」
「ちょっと散歩」
 ベルはいぶかしむようにわたしを見る。どうしてと重ねて訊く。わたしは口をひらいてとじて、二回くらい繰り返してうつむいた。言うべきか言わざるべきか迷う。どうせすぐにわかってしまうのだから言ってしまえ、とわたしがわたしに言うものの、いざそれを口にするのはためらわれた。
 口ごもっている間に、ベルは苛立ちを募らせていくようだった。彼が何に腹を立てているのかさっぱりわからないでこわい。それが余計に、口をつぐませる。
 何持ってんの、という言葉に、とっさに左手をベルの視界から隠すよう後ろに引いてから、右手をひらひらさせて言う。「白蝶貝。きれいでしょ」にっこりと笑って言う。
 けれども、ベルはそのとんがった顎でわたしの左手を指す。わたしは観念した。「……シェリーを埋めに行くの」
 すると返ってきたのはあかるく納得する声だった。「最初からそう言えよ」なんだそんなことという響きに、わたしはほっとするのと同時に、つまらないとも思った。もちろん、彼の怒りが収まったこと・小鳥の死がそれに触れるものでなかったことは、いま大事なことではあるけれど。
 双子が恐らくほかの何よりも大切にしていたのは、彼らの頭上に乗っかるティアラだけだった。繊細な細工の施されたそれに他人が触れることは許されなかった。わたしは今でも思い出すことができる。一度だけ手を伸ばした時の、ベルの瞳。嫌悪。軽蔑。彼らには、それさえあればよかった。そしてそれは、ひとつしかいらないというのが彼らの考えだった。
「王子も一緒に行ってやんよ」
 ベルはいつのまにか、機嫌を良くしている。左手のぬくもりに一瞬だけ迷ったけれど、断ったって同じことなのだ、わたしはありがとうと言った。


 ***


 泉の近くまで来ると、風がするどく吹いた。岸辺には、季節を問わず愛らしい花が咲いていて、風に乗って芳しい匂いが漂ってくる。
 あの泉にはニンフが住んでいる。わたしにそう教えた使用人が、それから数日後に泉で死んでいるのが見つかって以来、泉に近づくことは禁じられていたけれど、わたしはよくひとりで出かけた。双子が喧嘩した時や気分が落ち込んだ時、感傷に浸るにはちょうどいい場所だった。色とりどりの花に囲まれていても、そこには絶えずわびしい空気が流れていた。わたしは時々だれかの声を聞いた。息を詰まらせたのは、何も花の匂いだけではないような気がする。
 森から抜けきらないあたりで、穴を掘るためにしゃがみ込む。ベルも同じようにする。
 白蝶貝は月明かりを浴びてつややかにあわいももいろやみずいろの光を灯している。わたしはこれを選んで正解だったと喜ぶ。やわらかな土にはかんたんに切り込めた。
「ベルはおうじさまなんだよね」
「は? なに今更なこと言ってんの?」
「いいなあって。わたしもお姫さまになりたかった」
「お前とは流れてる血が違うから」
「一応、遠戚なんだけどね」
「没落したな」
 ひどいなあ、と笑いながら、わたしは彼らと仲がよかったのかなあと考える。彼らはやっぱり、わたしを自分たちよりも下の人間としてしか見ていなかったのかなあ。
 ひとひらの白蝶貝でもすぐにそれなりの大きさの穴を掘ることができた。わたしは穴のまん中で、左手をひらく。シェリーは静かに一、二度羽ばたいたあと、おとなしくその場に佇んだ。ベルが驚いたように顔を上げる。その一瞬、ティアラがつめたくきらめいて、わたしをさす。
 わたしはベルの顔を見ないで、シェリーの上に土をかぶせた。シェリーはおとなしかった。とても。最初から従順だった。そしていまも土に埋もれつつある。黒い瞳は黙っている。
「何してんのお前」
 はっとしたようにわたしの腕を掴むベルの、薄い唇の端はかすかにひくついていた。「死んでなかったんだ?」
「……」
「へえ、悪趣味」
 小鳥は逃げもせずにこの状況を眺めている。いまならまだ逃げられるのに。かわいそうにね。疲れてしまったね。わたしはシェリーが毛をむしるのに気づいていないわけではなかった。だれも知らないわけではなかった。それでもそのことに構う暇は誰にもなかった。屋敷の中にいる人たちは、ある不幸な、悲劇的な、限りなく不可避的な夢を見続けていたように思う。もしかすると、さっきの言葉はシェリーのものだったのかもしれない。おとぎ話の住人が連れて行くべき先は色のある世界だった。非力なあおいとりは、非力さによる当然の結末を、あくまで自分の意志としたのかもしれない。
「どこにも行けないから、終わりにするんだよ」
 ベルはしばらく言葉の意味を探っているようだった。心の中でさんじゅうしちまで数え終わった時、ついに吐き捨てるように意味わかんないんだけどと呟かれて、腕は放られた。

 ゆるやかなおやまはしいんとしている。立ち上がってその上に白蝶貝を落とし、思いきり踏みつける。白蝶貝はうつろな音を立てて砕けた。土はすっかり固くなり、もう飛び立てない。
 いつかこんな日が来るかもしれないと、ずっと恐れていた。わたしが屋敷に招かれた時、すでに夢は共有されつつあったのだろう。迎え入れた人々の、緊張しているような、何とも言い表せない奇妙な表情。それが拒絶ではないと気づいたのは、双子の緩衝材として招かれたのだと気づいてからだった。けれど気づいたからといって、わたしにはどうすることもできなかった。ひたすらに無力だった。わたしは他の人々と同じように、彼らを恐れていた。
 ふいに伸びてきたベルの指がわたしのまなじりをぬぐう。わたしは泣いていたらしかった。ちいさくやわらかな手のひらがやさしくほほをなでる。気まぐれなやさしさは残酷だと思う。それでもうれしいと思ってしまう。望むなら、腕を掴んだままでいてほしかった。そうして引っ張り上げて、一緒に連れ出してほしかった。わたしはわたしに望まれていたことを、やっつの子供に、わたしが連れ出すべきだったその対象に、望んでいた。
 指先からかおるにおいが、数時間前の屋敷のざわめきを耳の奥にかえらせて、あおいとりの声はかき消される。扉の開く音。空気の揺れ。感じた視線。舌打ち。いまわたしが生きているのは、わたしのことをすこしでも大切に思ってくれていたってこと? 迷ってくれたの? ふと浮かんだ考えはすぐに頭の片隅に追いやった。それは夢に違いなかった。何にしてもすべてはもう終わりつつあった。
 彼は遠くに行く。不文律の約束を破って待つことしかできなかったわたしたちの越せない冬なんて、振り返りもせずに。




夜会さまに提出(winter)
20150228

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