短編 | ナノ


 仁王の吹いたしゃぼん玉が風に乗ってお空の高く飛んでゆく。にじいろの粒はわたしたちの見えないところで弾け、気づかないうちにわたしたちに降り注いでいる。
 行かないの、と訊ねても、いくつものちいさなしゃぼん玉を飛ばすだけ。何にもしゃべらない。
 ぱさついた銀色の髪、日焼けの抜けた肌も白く、皮の剥けたくちびるだけが痛々しく鮮やかな色を持っている。
 屋上のコンクリートはいつも冷たい。千切れた桜の花びらは少ないながらも集まって、渦になる。遠くで鳴る救急車の赤がくるくる回る目の奥。
 わたしは三角座りをして、学期末に持ち帰り忘れた数学の教科書をぱらぱらめくっていた。背表紙の固いまま捨てられるそれにさえ、懐古的になる。もうすこし見ておけばよかったのかも。数学だって嫌いなわけじゃなくて、ただすこし面倒だっただけ。今やらなくていいことだと勝手に分類していた。時間はうんざりするくらいにたくさんあるものだと無条件に信じていたから。
 仁王はしゃぼん玉の容器を置いて立ち上がり、フェンス越しに下を見下ろす。わたしも隣に並んで下を見る。
 校門からぞろぞろと蟻のように列を成してみんなが歩いている。一列となってどこかに向かって歩いている。
 フェンスが揺れて、仁王は向こう側に立っていた。あれに並ぶつもりなのだろうか。
 ふっと振り返った仁王の表情は、金網ひとつ隔てただけなのに、逆光にあるように、黒く塗りつぶされてて読みとれない。黒は徐々に彼を飲み込んでゆくようだった。行かないでよとは言えなかった。
 ただひとつの影に成り果ててしまう直前に、一筋の銀色の軌跡を描いて彼は飛び降りた。
 正午の鐘がそれにすこし遅れて鳴っても、だれかの葬列は途切れないで続く。




20150401 April fool

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テーマ「人外ファンタジー」
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