短編 | ナノ


ベルが普段何をしているのか私は知らない。ベルは私がそれに触れることを許さない。だから私も目を閉じる。和を乱すものにわざわざ手を伸ばす必要はない。何にも考えずにただ甘ったるい塵を肺に積もらせて毎日を暮らす。誰かに愚かだと後ろ指を指されたっていい。その人が私を守ってくれることはないのだから。私は私の髪を梳くベルの指がずっとそうやって同じことを繰り返すのを望みながらベルの腕の中で眠る。生ぬるい平和の作り方。耳を塞いで目を閉じて口を噤んで惰性に身を委ねれば、間に合わせのあたたかい光を得ることはできる。


冷めた視線が手首の傷跡を這うのに気付いた時、ベルとは早くに終わると思った。それは今までの経験から導いたものだった。だけれどベルとはかれこれ半年は続いている。ベルがこれまでにその傷跡について言及したことはない。私が微睡みかけている時に容赦のない視線を感じることはあっても。ベルは何も言わない。



暫く忙しくなるから連絡とか取れなくなる。ベルが言った。私は頷いた。一週間くらい前のことだ。その日は珍しく私の目が覚めてもベルは部屋に残っていた。朝はいつも一人だったから妙にくすぐったかった。それは私がベルに愛されていたことを示すものだったのかもしれない。分からない。単なる気まぐれとか時間潰しだったのかもしれない。それでも何も言わずにいなくならないのは優しさだった。
私はさっとシャワーを浴びて一番手前に吊していたグレーの地に黄色い花が散るワンピースを着て、ソファにもたれてテレビを眺めているベルの手を引いた。私の部屋が私の部屋でなくなってしまう前に早く外に出てしまいたかった。光が差し込む部屋に二つ分の影ができることを認めたくなかった。ふと思い出す光景に余計なものはいらない。
ベルの真っ黒な服は朝から切り取られている。私は慌てて目を閉じた。
このあいだ近くにできたカフェでとったブランチのショートケーキはあっさりしていた。後に何も残さない、上品な甘さだった。舌の上で溶けた生クリームはしかし確かに体を巡る。おいしいね、と声を弾ませる私と何も言わないで唇に弧を描くベルは、カップルのように見えるのだろうかと考える。


ベルが普段何をしているのか私は知らない。けれど本当のところ私は気付いている。目を閉じれば見えてくる、耳を塞げば聞こえてくる、口を噤めば顔に出る。嘘と隠し事はそうしていつの間にか一人笑顔で胡座をかいている。その視線に耐えられなければ後は崩れるだけだと私は知っている。私はベルと一緒にいたかった。だから難しいことは考えないようにした。




「馬鹿な女」

仕事から帰った私を出迎えたのは知らない男だった。勝手にソファでくつろいでいた男はいきなりそう嘲った。私は彼を知らないが彼は私を知っているらしい。
男はベルと似ていた。見た目も声も雰囲気も笑い方も。兄弟なのかもしれない。ベルに兄弟がいるのかどうか知らないけれど。そして私はベルのことを何も知らないのだと改めて知る。
男がこの部屋にいるのは不自然であり、自然であった。その点に於いてもベルに似ている。
どうして私の部屋にいるのか。どうやって入ったのか。そもそも誰なのか。
問おうとして止める。それらは極めてどうでもいいことだ。知らなくて済むことは知らないままでもいい。

「ベルと何で付き合ってんの?」

ソファにもたれたまま男は脚を組み替えて私を見る。

「好きだから」

「あれの何が好きなの」

「……全て」

つまらない答えだと思った。けれどベルの何が好きなのかと問われても答えられない。別にベルの見た目や性格が好きなわけではなかった。品のある仕草でも細い指でもなかった。何が好きと言うより好きであること自体が疑問だった。私はベルが好きなのではなかった。ただ仮初めの居場所を欲していて、それがたまたまベルだったというだけだ。でも好きじゃない訳ではなくて。好意は、あった。あるのだ。ベルに今の言葉を聞かせたら、きっと怒るのだろうなあ。私の答えは答えてないのと同じだった。

「ふーん、とんだ物好きもいるんだな。まあそんなのどうでもいーんだけど」

男はさして私の答えを気にしていないようだった。からからとした声。暗転。



ベルによく似た男が笑っている。私を笑っている。けれど私は男がどんな顔で笑っているのか分からない。私は男の足しか見えない。次第に視野が狭くなってくる。見えなくてよかったと思う。
ベルはここに帰ってくるのかな。ねえ、ベル。あなたがわたしのことをすくなからずすいていてくれたって、そんなこと、しんじてもいいかな、ねえ、ごめんね。




20130818
title by 花洩

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