短編 | ナノ

※七章BADでもしも薫が生きていたら


 
 簡易な造りの小屋の、その隙間から差し込む陽光が薫の目を覚ました。羅刹にある薫にとってそれは清々しい朝日とは言い難く、寧ろ気怠さを蓄積する。重い目蓋を持ち上げ視線だけで周りの様子を窺うが人の気配はまるで無く、地に伏した薫を此処まで運んだだろう誰彼の姿も何処にも見当たらない。額に置かれていたらしい僅かに湿る布がずり落ち、それが唯一人が居ることを表すと共に、この人里から離れ、村人も住まぬ、当然商人も寄らぬ地で己を介抱する人物は千鶴の他に居ないだろうと推測させた。
 ──気に食わないな。坊主に世話を焼かれていると思うよりは幾分いい。だけど散々苦しめ続けてきた相手の看病を行うなんて、生温い世界で生きてきたお前には本当に苛々するよ。
 何は然れ、先ず体を起こそうとして襲った激しい痛みに敷き布に少しだけ浮かせた背中は逆戻りする。深く斬り込まれた傷は鬼の血を以てしてもそう簡単に治らず──尤も薫にはあれから何時経っているのかは分からないが──少しの振動だけで激痛が襲うようだった。しかし胸まで裂かれたというのに生きていることは奇跡と言っていいだろう。
 へぇ、新選組一番組組長が止めを刺し損なうなんて、感心しないなあ沖田。
 最後に己が手に感じた感触を思い出しながら、そう言えば彼奴はどうなっただろうと考える。手応えはあった筈だ。それに沖田は所詮労咳を患ったただの男、もう死んでくれたかな。

「目が覚めた?」

 日の光と共に小屋に入ってきた千鶴は、薫に言わせれば酷く程度の低い顔をしていた。俺と同じ顔でその顔、止めてくれないかな。じゃあどんな顔すればいいの、と切り返しそうになった口を千鶴は寸でのところで噤んだ。薫との接触は気を病むだけであると分かっていたし、気力も無かった。
 川から此処に向かうまでの間、新しく桶に汲んだ水に浸しておいた布を薫の額に乗せる。薫と同じく羅刹の千鶴が燦々と朝日が降り注ぐ中、小屋を空けていた理由の一つがそれである。姿が無かった理由が自分の為であるということに薫は更に苛立ちを募らせる片や充足をも感じていた。

「沖田はどうしたの?」

 俺と千鶴を二人きりにして同じ空間に居させるなどけして無いだろう彼奴が一向に現れない。詰まり、そういうことだろう。慎重に体を起こして辺りをちゃんと見回した上での、また十分に登場する時間を待ってから尋ねた薫のそれは、確信的な問いだった。疲れているのかうつらうつらと頭を揺らしていた千鶴は途端に身を堅くして、一瞬強張った目をさっと伏せて視線を床の一点に張り付ける。薫は意地悪く「ここに住む為の準備でもしてるの」と目を細めて尋ねる。

「それじゃあ兄さんは早く体を治さないとお邪魔な訳だ」

 くすくすと笑って千鶴が望んでいた未来の言の葉を並べる。「いっそ俺は目覚めない方がよかったのかな。お前たちが恋人ごっこなんかしてるのを見たら俺はきっとまた壊したくて溜まらなくなるよ」

「薫!」

 荒んだ口調の千鶴は瞳一杯に涙を浮かべ潤み耐えているがそれが零れるまでも時間の問題の様にも思われた。きゅっと口を真一文字に結び、眉間に皺を寄せ、睨むように薫を見る。じわじわと全身に愉悦が満ち行くのを感じながら、薫はわざとらしくハッとしたような表情を作る。

「もしかして、沖田は死んじゃったの?」
「……」
「ごめんね、まさか良くて相討ちかと思ってたのにあの沖田が負けるだなんて思わなかったよ」
「黙って……!」

 遂に双眸から零れた雫は床に染みを作り、着物を強く掴む手は震えている。薫はふん、と鼻を鳴らす。

「沖田は羅刹に加えて労咳だったんだ。遠くない別れの未来はちゃんと見てただろ?」

 いつどうなって別れるかの決心も付いていないのに、中途半端に愛し合っていたお前たちが悪いんだよ。責めるような、憐れむような、そんな目で薫は千鶴を見る。
 知らず強く噛んでいたらしい唇がぷつと切れた。咥内にじわりと広がるほんの僅かの血の味、それだけでも千鶴に発作を起こさせるのには十分だった。眩暈と息苦しさ、色素を失う髪、突き出る角。いつか舌で掬った味、皮肉にもそれはまるで忘れ形見のようだと千鶴は思った。今でも鮮明に思い出すことができる、あなたの味。こんな忘れ物を残すなんて、沖田さんは最後まで意地悪です。はらはらと涙を零し、息も絶え絶え、身も悶えの苦痛の中で薄笑い、泣き笑いする千鶴に、薫は読心した訳では無いだろうがそれまで可哀想な妹と弧を描いていた唇を下げ曲げる。

「薫の言う通り沖田さんに残ってた時間は少なかったと思うわ。……だけど、」

 呼吸を整えて千鶴は言う。そこで一旦区切り、未だ黄金に染まる双眸で真っ直ぐに薫を射る。

「沖田さんにまだあった筈の時間を奪った薫を、──私はきっと許せない」

 いっとう冷たい声だった。多分、今の一度も他の誰かに聞かせたことがないだろう冷たい声音だった。お前にもそんな物言いが出来るんだ。口を開き掛けて止める。だったら見殺しにすればよかったんだ。代わりにそう口にして、だが、千鶴がそんなことを出来る筈がないことも分かっていた。千鶴が次の句を紡ぐよりも早く、吐き捨てるようにして言った。

「兄妹だから?人間を滅ぼして俺達の国を創るなんて夢見事を語った兄さんを野晒しにするのは憐れだと思ったから?」
「そうじゃない。──薫はずっと一人だったから」

 だから、助けたの。
 確かに私達の一族を滅ぼした人間は憎いけど、皆が皆そうじゃないわ。人を憎んだ儘、死んで欲しくなかった。

「だから今更何だって言う訳?羅刹が人と一緒に住めると思う?今みたいな吸血衝動をどう対処するの?」

 それとも罪滅ぼしのつもり?一族の終焉を忘れてたことの、そんな人間共と今まで仲良くしてきたことへの、償いのつもり?
 嘲りの表情を浮かべた薫に千鶴は一瞬たじろぎ、だが直ぐに瞳は落ち着いた色を取り戻す。沖田、お前が愛でた華はすっかり鈍色の露に塗れたみたいだよ。哄笑する薫に不審な視線を遣る千鶴の、それに含まれた悔しさと悲しさに、また薫の心が静かに軋みだしたことを二人は知らない。

「だったらお前が一人で生き残ればよかったんだよ、千鶴。沖田を死なせた自分の無力さへの後悔をずっと引きずって、たった一人でこの荒廃した村に身を潜めて死ぬまで孤独を味わえばよかったんだ!」

 揺れた空気がわんわんと鼓膜に響いて、きらきらと透けていた白銀の髪が漆黒に戻り、金色もすう、と消える。小屋の中は忽ち朝の静けさが充ち、朝を通り越し夜の気配さえ漂う其処に相違わぬ形をした双子の兄妹は、だがどちらともなく泣きだして仕舞える程幼さくはなく、薫は横になり、千鶴は足を三角にして体を抱え込むように丸くなる。

 千鶴が朝に小屋を出た理由のもう一つ、沖田と綱道の墓に添えられた小さな花の束をそよそよとなぜる風が香華の匂いと共にひゅるり小屋に滑り込み、優しく兄妹の頭を撫でて走り行く。顔も思い出せないけれど確かにそれは、父母の温もりに似た風だと千鶴は思った。



20111007
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