短編 | ナノ




 夕餉の匂いがする道をぼんやりと歩いている。魚を焼いている匂いとかカレーを煮込んでいる匂いとか幸福で、ちょっぴり切ない匂いが緩やかに漂う道を歩いている。オレンジ色のお日さまはもう遠くの方に行ってしまったけれど紫の空に星はまだ瞬かない。隣のマサキは道端に転がる石ころを蹴ることもしないで真っ直ぐ前を向いて歩いている。その浅い海の色をした髪を撫で去る風はほんのり冷たい。ちょっと前まではこれまでかと言わんばかりの熱をはらんでいた風だったのに。

 俺宇宙人らしいんだよね。

 ついさっき、薄い唇から零されたことばを何度もなぞる。
 マサキは、「ってそんなこと言ったらどうする」って続けてからあやふやな顔で笑った。その突拍子も無い、あきらかに冗談のような言葉に私は怪訝な顔をしただろう。嘘の上手いマサキにからかわれてきた記憶がいくつもある私でも、さすがにそんなのにはだまされない。だまされない、けど、いやに耳にのこる。

「霧野さんにチクる」
「何でそこで霧野先輩なんだよ」
「何となく。で、宇宙人協会に売る」
「ひっど!」
「だから詳しく情報」
「はあ?やだよ何で自分を売ろうとする奴に情報渡さなきゃなんないの」
「マサキくん嘘はもっと上手に考えなきゃだめだよ。もっと緻密に綿密に」
「うん。何かむかつくからもう話さない」
「えー嘘だよ。でもこっちが信じられるような話してよ」

 マサキは何かを考え込むように下を向いた。赤いスニーカーの爪先を睨むように見つめていた。
 住宅街から河川敷に抜ける。河原では小さな女の子と彼女のお爺ちゃんと見られる老人がベンチに座ってソフトクリームを食べている。夕飯はもう済ませたのだろうか。

「俺さあ……今度の十五夜の日、月に帰らなくちゃいけなくなったんだよね」
「……マサキはかぐや姫だったの」
「だったみたい」
「……」
「……」
「えっと……」
「何だよ!お前がもっと話せって言ったんだろ!」
「ああ、うん、そうなんだけど……」

 月。まさかの月の人。え、しかも月に帰る?えっと……。

「それって、お日さま園から出て行くってこと?」
「……うん」
「迎えに来てもらえるの?」
「らしいけど」

 なんだ、そういうことか。それにしても随分ファンタジーなお話にしたもんだなあ。一年か前に童話の世界に行ってきたとか何とか話してたけど、まだそれを引きずってるのだろうか。えーだけどマサキ、お日さま園から出てっちゃうんだ……そっか……さびしい……。別に、慣れてるけど。

「でもマサキに月は似合わない感じがする……」
「は?」
「月の人じゃなくて火星人とか、それとか金星人っぽい」
「えー。ああでもお前の方が月っぽいかも。男に貢がせるだけ貢がせて薙ぎ捨ててく感じが」
「素直にかぐや姫みたいに美しいからって言えばいいのに」
「自分で言うとかドン引く……」
「うるさいよ」


 風丸さんから聞いた話。ヒロトは昔宇宙人だったんだよ。内緒だけど、って悪戯っぽい笑みを浮かべた風丸さん。今はもう人間なのと訊ねたら今はもう人間だよって返された。どうして人間になれたの。太陽みたいな笑顔と大きな手のひらがあったからかな。どこか懐かしそうな顔をしていた。風丸さんも宇宙人だったの。風丸さんは苦笑いをして首を振った。まさか。俺は違うよ。私が笑っていたら少し焦ったように、風丸さんは繰り返し否定した。真剣な目をして。なのに言ってることはふわふわした童話チックなものだったから、私はそれがおかしくてずっと笑っていた。


「ヒロトさんも昔宇宙人だったんだって」
「えっ?」
「だけど今は人間なんだって」
「えっ、ヒロトさん宇宙人だったの!?」
「あ、知らなかった?」
「はあ?そんなの知らないし」
「宇宙人同士分からないものなの?」
「そもそも宇宙人ってこともこないだ知らされたことだし」
「ふーん」

 なんとなく話に乗ってみているけど、そんなにおもしろくない。

 お日さま園に着く頃にはもうお空は黒に侵食されていて、星もちらちら輝きだしていて、月は太り始めの姿で天上から吊り上げられる途中だった。

「さっきの秘密な」

 門の前で、マサキは真面目な顔をして言った。

「うん、ヒロトさんの話も内緒の方向性で」

 中からはこの間やって来たばかりの羽美ちゃんの泣き声が聞こえる。その後に瞳子さんの怒った声も。羽美ちゃんは可愛い子だったから誰かがちょっかいでも掛けたのだろう。たぶん悠斗くん辺り。私たちは顔を見合わせて眉を下げて笑った。そして、ただいまーと戸を開ける。






 マサキはそれから何事も無かったかのように日常を過ごしていた。サッカー部は冬にも試合が沢山残っているから三年生は夏を過ぎても一緒に部活をする。霧野さんや輝くんをからかうマサキはいつものマサキだったし、天馬くんや信介くんに引っ張られてるマサキもいつものマサキだった。マネージャーでない私がその様子を遠くから眺めるのもいつものことだった。
 身辺整理はしているのだろうかと部屋を覗いてもマサキは元々きちんと物を片付けるものだから整理をしているのかしていないのか分からなかった。荷物も初めからこじんまりとしているから。


 まん丸いお月さまが東の空に顔を出している。お日さま園では今日はお月見をする。お団子作りには私もマサキも参加した。園では恒例の行事である。ヒロトさんとリュージさんもやって来るはずだ。リュージさんがそういった日本の伝統行事なるものが好きなのだ。
 私たちはまだ帰路を辿っていた。辺りはすっかり暗くなっている。日の落ちる時間が日に日に早くなっているのもあるし、私がいつもよりのろのろ歩いているせいでもある。マサキは遅いだの何だの言いながらも私の歩調に合わせてくれている。

「十五夜って今日だよ」
「うん」
「今日月に帰るの?」
「そう」

 あんまりにも平然としていて悲しさの一欠片もマサキには見えない。私は足を止める。マサキも私にならって足を止める。いきなり立ち止まった私に首を傾げる。私たちとお別れするの、マサキは寂しくないの。思わず出かかる言葉を飲み込む。慣れてるはずだ。私は。何度も友達を見送ってきたんだから。それに。カーディガンの裾を掴む。

「でも、転校とかはしないんだよね」
「え?」
「だって、お別れの挨拶とかしなかったもんね」

 そう。マサキは今日も普通に過ごしていた。いつものように学校に登校して、授業を受けて、サッカー部の活動をして、今帰路にある。先生に教壇の前に立つように勧められることはなかった。マサキはにやにや笑った。

「俺と離れるのさびしいの」
「……ちょっと」
「へえ……ちょっとだけ?」
「うるさい」

 マサキはズボンのポケットをごそごそと探る。しばらくして目当てのものを見つけたのか、ぴたりと動きをやめて、私をじっと見る。ポケットから手を出して、私の前に突き出す。

「あげる」

 不思議に思いつつマサキの手の下に手のひらを伸ばすと、輪っかが落とされた。バングルのようで、ビー玉のようなものが等間隔に埋め込まれている。

「何これ」
「俺のお守り」
「お守り……?」
「コスモミサンガ」

 手のひらの上でビー玉の部分が澄んだ光をぼうっと放つ。ビー玉と言うより水晶みたい。バングルはプラスチックとガラスの中間のような材質で紫色をしている。

「それ持ってたら、幸運につかれるんだぜ」
「……マサキが持ってなよ」
「あんたに持っててもらいたいんだって」

 マサキは唇の端を持ち上げる。何、それ。何だよそれ。もう会えないみたいな。お日さま園から出て行くだけでしょ?だって私、何も聞いてない。

「だから、月に帰るんだって」

 月?帰る?月に?お母さんとお父さんが迎えに来るんでしょ?今日。お日さま園にこれから帰って、それで、そこで、お別れでしょ?

「月って何」
「言ったじゃん。俺宇宙人なんだって」
「自分で自分を宇宙人とか言っちゃう胡散臭い宇宙人とか宇宙人なわけないじゃん」
「だからあんたにしか話してないだろ」

 マサキは、何を言ってるんだろう。

「何、ほんとに月に帰っちゃうの」
「うん」
「じゃあ逃げようよ」

 ぼやける視界でマサキは困ったように笑っている。その笑い方が妙に大人びていて悲しい。体がぐらぐらしてしまいそうになる。冗談だ。月とか嘘だ。マサキはつまんない嘘だって吐く。これはそのつまんない嘘だ。

「いつかまた会えるでしょ」
「うーん」
「会うよ、会いに行くから」

 マサキは何も答えない。笑っているだけ。嘘でも待ってるとか言えよばか。わたしの頭をぽんぽんと軽く叩いて「じゃあね」と呟いたマサキは、わたしが瞬きをした隙間に消えてしまった。




背伸びさまに提出
20130913
20141103 加筆修正/背伸び要素無いし提出期限切れたしで色々とすみません。コスモミサンガについてはあくまでイメージです。

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