短編 | ナノ

カップに当たるスプーンのカチャカチャとした音。緩やかに渦巻くカップの中身は彼女が好きなハニーミルクだ。それはもう十分にかき混ぜられているはずなのに、彼女はスプーンを回すことをやめない。彼女は何かをしていないと落ち着かないらしい。だから俺は彼女が何もしていないところを見たことがない。いつも忙しない。少し前はそういったちょこまかしたところがリスのようでかわいいなんて思っていたけれど、今ではただ苛立つ仕草でしかない。
カチャリ。やっとかき混ぜることを止めて、彼女は顔を上げて俺を見る。あのね、と言う彼女の目は強ばっている。どうしてそんなに怯えた目をするんだろう。笑顔を向けるのも疲れたから、目だけで続きを促す。彼女はもう一度あのね、と区切る。ああ苛々する。さっさと言えばいいのに。

「駅前に新しく出来たケーキ屋さんがね凄く美味しいって評判なんだけど、今度買ってみない?」
「そうだね」
「……」
「……」

それきり会話は続かず沈黙に戻る。彼女は再び頭を垂らして、今度は手遊びをしだした。我ながら気のない返事だとは思ったけれど、これ以上どうでもいい会話を続ける気力がなかった。今度なんて無いことを彼女も気付いているはずなのに。なんて無駄な時間を過ごしているんだろう。本題があるだろう?本当に言うべきことが。それなのに彼女は何も言わないで、俺も何も言わない。
床暖も何も施していないフローリングに投げ出した足裏から冷たい空気が這い上がってくる。まだ暖房の熱は床の方に降りてこない。

暫くして彼女はごめんね、とえらく涙声でそう零して、テーブルの上にこの家の合い鍵をお気に入りだと言っていたキーホルダーごと置いて、部屋の隅っこに申し訳なさげに置いたボストンバッグを持って、家を出て行った。その一連の動作はとてものろのろとしたもので、それはまるで彼女が俺が止めるのをどこか期待しているようにも見えた。それを思いながら俺は彼女の腕を掴むことも、ソファから立ち上がることも、何もしなかったけど。

彼女が出て行ってからどのくらい経ったか分からない。俺は何をするでもなくソファに凭れていた。部屋はもう暖かい空気に充たされていた。けれど彼女のと同じように作った口を付けてないハニーミルクが入ったカップを触ると既に冷め切っていた。携帯に彼女からの着信は入っていなかった。着信履歴の一番上にある彼女の番号に電話を掛けようも今更億劫だとテーブルに放る。する事もなく点けたテレビから流れる乾いた笑い声が耳に障る。




20110224
20130406 加筆修正

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