短編 | ナノ

 あの日、たしかに彼女は死んだのだった。


 千石は目を瞬く。

 少女は耳の奥で聞こえる声を逃さないように、うさぎの顔をかたどった耳当てを耳にぎゅうと押し当てる。つんと鼻が痛い冬の朝。少女の首にぐるぐる巻きにされたアイボリーと薄桃色のしましまマフラーは千石の祖母が少女にやわらかい毛糸で編んだものである。千石と少女は幼なじみであった。少女は彼の祖母がまだ元気で、彼の家族と一緒に暮らしていた頃に彼女から編み物の教わっていた。そのきっかけがその素朴な手編みのマフラーである。小学生の頃に受け取ったそれを少女は高校生になった今でも冬になると首に巻き付ける。

 耳と耳当ての隙間からさらさらと声がこぼれ落ちていってしまうような気がする。目に薄い膜が張っているように、世界が水色に染まっている。自慢の大きな黒目が、じわじわと白目に食われているような感じがして、泣きたくなる。

 どうしたの。何で泣いてるの。泣いてなんかないと答える少女に、千石は吐いたため息を誤魔化すようにやさしく頭を撫でてやる。指に絡みつく細い赤毛は生まれつきのものだった。千石と少女は千石の家の門前で立ち尽くしている。朝練遅れちゃうなあ。南怒るかなあ。千石はぼんやりと空を見上げながら考える。でも泣いてる女の子をほったらかしになんてできないしなあ。
 あなたを待ってたの。
 ちいさく呟かれた声に、千石は視線を少女に落とす。頭を撫でる手を止めても、少女は俯いたまま顔を上げようとしない。とりあえず駅まで歩こうか。いやだ。ねえ本当にどうしたのさ。話なら聞くよ。いやだ。  。だってあなたは嘘を吐くもん。

「清純くん」
「清純」
「千石」

 いつからか少女が千石の名前を呼ぶことはなくなっていた。千石が呼びかけで振り向くようになったのは最近のことではない。自己完結で終いにしようとするように当てられた耳当てに千石は手をかけた。少女は顔を上げる。一度大きく見開かれた目はすぐに円の形を崩して非難の色を宿した。

「忘れちゃったらどうするの」
「何を忘れるんだよ」
「違うの。違うんだよ……」

 ぼろぼろと涙をこぼし始めた少女は顔を手で覆ってしゃがみこむ。

「  」

 声が抜けていく。わたしの好きだったやさしくてあまやかな声。困ったような声で上書きされていく。ほしいのはそれじゃない。瞼の裏が白い。呆れたような声ばかりいらないのに。わたしの所為でも。でも、だって、千石が他の女の子を好きだって言うから。わたしは。


 千石は目を瞬いた。

 それから、自分がすっかり疲れているのだと気が付いた。千石はテニスバッグを背負い直して駅への道をのろのろと歩き始める。南は朝練に遅刻した自分を気の毒そうな顔で見るのだろう。辛気くさい空気は嫌いなのになあ。最近は、いつものように振る舞っていても目を伏せられる。失礼だよね。一人ごちる。もう一度、  に俺の名前を呼んでほしかったなあ。どんな風に君が名前を呼んでくれていたのか、もう思い出せないよ。




20141118
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