短編 | ナノ

 鴉が道路の真ん中で死んでいた。思わず足を止めると、後ろに続いていたサラリーマン風の男に迷惑そうに舌打ちをされた。鴉の周りにはごみのような物が散らかっている。餌を食べるのに夢中で近付いた車かバイクかに気が付かなかったのだろうか。ふわふわと黒い羽毛が風に泳いでいる。よく見れば首が直角に折れ曲がっている。
 その上の電線に集まっている鴉の群れは、死んだ仲間を悼む様に、或いは馬鹿な奴だと嘲るかの様に、喧しく鳴いている。喪服を纏っているような彼らが昼間から集まって鳴いていると、その近くで誰かが死んだのだという話を近所のおばあさんから聞いたのを不図思い出す。「鴉は死臭に集まるのよ」。上品で博識な人だった。彼女が死んだ時には、鴉は一羽も居なかった。しかし私の父が浴槽に浸かったまま死んだ時には、ああ、確かに鴉が鳴いていた。母に暴力を振るい家から追い出した、アル中のどうしようもない男であった。もしかして阿呆な奴が死んだ時に鴉は群がるのだろうか。嘲って鳴くのだろうか。
 眺めている間にも、一羽二羽と次から次へと集まってくる。
 私はバイクが鴉の羽を撒き散らすのを見て、止めていた足を動かした。その死体は私のようにそこを通る人々に不快感を抱かせるだけで、何も生まない。眩い朝の世界でたった一つ、永遠の夜に包まれたそれに、妙な寂しさを感じることはなく、何の感慨も起こらない。ただ、私が夕方この道を通る頃には、同じ様に死んだ猫や犬がいつの間にか消えている様に、この鴉も何処かにやられているのだろうか、とぼんやり思った。もう一度だけ振り返って見ると、それはただの黒い塊にしか見えなかった。



 どうしてか科学の担当でもないのに着ている白衣。天然パーマの銀色の頭。後ろ姿だけ見れば、その殆どが白に覆われている担任は昼休みには屋上で煙草を吹かしている。私はなるべく気配を消して、ある程度近付いた辺りでその頭にパックのいちご牛乳を投げつける。だが銀八はそれをいとも容易く片手でキャッチした。慌てた様子もなく。どうやら見抜かれていたらしい。つまらないの。

「サンキュー」
 銀八は気怠げに顔をこちらに向けて体重をコンクリートの胸壁に預ける。銜えていた煙草を携帯灰皿に捨てて、私がさっき投げつけたいちご牛乳のストローを今度は口に含む。白いストローが薄くピンクに染まる。彼の死んだ魚のような目が俄に光を得る。一度くらい間抜け顔を見せてくれたっていいのに。そう言うと、銀八はお前も一度くらい普通に渡してくんねぇかなーと口を歪ませた。
 私は銀八の隣で壁の上に立つ。いつものことである。最初の方こそ危ないから止めろと注意されていたが、今では何も言われない。少しバランスを崩したら終わりだけれど、わざとでなければそんなヘマを起こすつもりはないし、仮にそうなったとしても銀八が多分それを許さない。

「今日ね、鴉が死んでたの」
「ふーん」
「その鴉が先生に似てたの」
「ああ?」
「うん、似てたの」
「何が」
「その死体と先生が」
「何だそりゃ」

 似てたんだよと繰り返す私に銀八は不可解な色を宿した瞳を寄越す。きっと、ああまたコイツ訳の分かんねーこと言ってる、彼はそんな風にしか思っていないだろう。そんなんだから周りから浮くんだよ。そうも思われているかもしれない。
 3Zの個性派メンバーからは兎も角として、私は他の子から目に見えない線を引かれている。別に、それでもいいけど。

「鴉って死臭に集まるんだって」
「ああ?銀ちゃんのどこから死臭がするってんだよコノヤロー」
「白衣だし」
「お前世の中の白衣人に謝ってこい」
「白衣人て」

 息を吐くと思ったよりも深くて、溜め息となった。あーあ、しあわせ逃げちゃった。それとももう逃げるだけのしあわせもないかな、なんて。
 ズズッと不快な音と共に潰した紙パックを銜えた儘、銀八は屋上から出るらしい。非常扉に向かって歩いていく。
 よれよれの白衣、曲がった背中、だるそうな歩き方。そのだらしのない後ろ姿からは微塵も覇気も精気も感じられない。死んでいた鴉にも父にも似ているし、似ていない、のだった。

「先生が死んでも鴉は集まるかな」
「知らねーよ」
「どうなの」
「あー集まんじゃねえの」
「てきとーだね」
「チャイム鳴んぞ」

 銀八が重い鉄製のドアを開けてこちらを見る。

「でも、先生が死んでも集まらなそうだね」
「何か言ったか?」
「何でもなーい」

 思いっきりジャンプして降りてやった。足がじいんと痺れた。あほらし。

「お前が死んだら鴉が一羽も集まらなくても俺がちゃんと悼んでやるからよ」

 通り過ぎざま、銀八が言った。後ろに聞きながら私はそれにも振り返らず階段を駆け降りる。次の授業は確か服部だった。遅刻でもして暗に痔の小言でも聞かされたら堪らない。
 私、別に死んだ時に誰かに悼んで欲しい訳じゃない。別にそんなんじゃあ、ない。でも私が死んでも鴉はきっと集まらない。鴉にさえ見向きもされない。私は阿呆者だから。
 重い扉が世界を隔てる音がした。私は今日も鴉に一瞥だけを貰って見棄てられることなく生きている。




20120109 メルボログ

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テーマ「人外ファンタジー」
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