短編 | ナノ


 さめざめと降る雨は、車のヘッドライトに照らされる、その部分だけがぼんやりと闇夜に浮かびあがる。やわい光の中だけが救われている。
 ワイパーの拭き残す雨粒が寄り集まったものから順に、つーっとフロントガラスを滑り落ちてゆく。助手席に座るわたしは、ハンドルを握る蓮二よりもたくさんのものを見ることができる。たくさんのものを考えることができる。他人に命を預けている時、わたしの思考は限りなく自由になる。
 蓮二の横顔をこっそり覗く。蓮二は何を考えているのだろう。いや、何も考えていてほしくない。ただ運転にだけ集中してほしい。安全運転だけを心掛けていてほしい。こんなに暗い夜なのだから。
 ウィンカーの音がカチカチ鳴る。右に曲がって右に曲がって、今度は左らしい。空間把握能力の低いわたしには、家の近くを走っているにも拘わらずここがどこだかすでに分からなくなっている。黄色い光の差す道を進んでいる。
 ラジオからは何十年か昔の曲がメドレー形式に流れている。今はか細く高い声で女が叫んでいる。声を枯らすように。男のいなくなった部屋で男の幻に叫んでいる。愛してる、どうして、待ってる、そればかり。ピアノの音が神経質に弾けている。ブレスレットのビーズが床に派手に散らばったような、到底全ての音を拾い集められないような音の粒が集約されたみたいな曲。不快さの中毒性。

「蓮二はもっと賢い人かと思ってた」
「がっかりしたか?」
「……とても」
「そうか」

 信号の赤がどろどろに溶けている。そこで雨足が強まっていることに気づいた。ワイパーの動きも速まっている。蓮二の上を影がうごめいている。ハンドルを握るその腕、手首まで下ろされた白いシャツの袖の下には赤い線が一筋伸びている。まだ生々しくそこにある。わたしの視線に気づいた蓮二は目玉を転がした。斜め上から降り注いでいた鮮やかな赤が青緑に変わったので、わたしは視線を蓮二の手首から外した。蓮二の視線も前に戻る。
 横窓に付く雨粒はやはり大きくなっていた。ふるふると震えている。エンジンが揺らす。窓は外気との気温差に白く曇り始めている。そうやって世界はゆるやかに閉ざされてゆくのだろう。気づかないうちに。蓮二が視界の悪さに気づいた時、もう遅いなんてことにならないように、わたしは暖房を付ける。曇り止めのボタンがどれなのか、車に乗らないわたしには分からないから。ラジオから流れる声は事故による国道の交通渋滞を知らせるものに変わっていた。
 わたしが止める確率と止めない確率、蓮二はどちらに賭けているのだろう。ほんとうは、わたしは一刻も早く、この車から降りるのが正解なのだ。わたしと揃いの傷が増える前に蓮二の熱を冷まさないといけない。そう思ってはいるのに、雨が降っているのを言い訳にして、わたしは車から降りられないで穏やかな名称の場所に向かうこの車を止めることもできないまま。




20141030

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