短編 | ナノ


君の為なら俺は死ねるよ。

いつか優しく私の頭を撫でながら幸村くんが紡いだ言葉。囁くような、独り言のような、吐息に混ぜられた小さな言葉だった。案外厚い彼の胸に埋めていた顔を上げてその表情を覗くと、彼は緩やかに首を傾げて笑った、いつもの如く。柔和な顔で慈悲深げに目を細め、綺麗な三日月を作って。汗ばんだ額に張り付いた前髪を除くと、この世に生きているものかどうかと疑う程、石膏で造られていると言われれば頷いてしまう程に、月明かりに縁取られる彼の輪郭が美しくて肌が粟立った。
偽物の愛を誓う、普段ならあまり口にしないだろう陳腐な言葉を彼が落としたのにも私は何故なのか理解できなくて、不安を織り交ぜた視線を遣る私に幸村くんは今度はくすくす笑った。大丈夫、君はちゃんと生き残る。胸の辺りでざわめいた物悲しさと不思議な心地よさ。

だから、おやすみ。

それまで私の頭を撫でていた手が目蓋を優しく降ろした。わたしは、それに抗うこともできた。だけど従った。真っ暗闇の世界と目蓋に置かれた重さに私はいつの間にか夢世界に踏み込んでいた。

あの日も今日みたく朧月夜の月輪に抱かれていた。

「私が死にたいって言ったらどうする?」
「そうだね、その時は一緒に死んであげるよ」

ベッドの縁に二人並んで窓から見える空を眺めていた。部屋の中は明かりを落としているがほの明るい。降り注ぐ月光が冷たくて、暖かくて、幸村くんの手をそっと握っていた。
幸村くんの口調は冗談みたいな軽やかさなのに、瞳は酷く本気でそれが悲しかった。だって幸村くんは私を守る為に死んだりなんかしないし、まして一緒に死んでくれやしない。そんなことわかりきってるのに、だけど幸村くん自身は本気でそうしようと思っていることが、それに入れ込んでしまっている私がいることが、どうしようもなく悲しかった。重ねる手に力を込めて幸村くんは言う。

「ねぇ、俺は君のことが好きだよ」

真っ直ぐな瞳だった。多分、嘘はなかった。なかったからこそ、あまりにも綺麗な瞳をしていたからこそ、私は泣いたのだ。死にたがりの私が見る夢には、救世主のような彼は眩しすぎた。ごめん、ごめんねと繰り返す私を見詰める幸村くんも切なそうにしていた。それまでぼんやりと溶けていた彼と繋いでいる反対側の温かい手首に触れる空気が目覚めの合図のように鋭く体に沁み入った。

もし幸村くんが本当に神様だったのなら、私はいつまであの夢の中にいられたのだろう。



ゆっくり目を開く。青白い天井が目に入った。月輪は柔らかいくせに、月明かりは寒々しい。視覚だけの寒さかと思えば何故か窓が少し開いている。どうりで寒いはず、冷えきった爪先をほぐしながら窓を閉める時に見た世界の其処彼処に溢れる人工的な明かりは、そう言えば彼と眺めていた世界には如何してか無かったことを思い出す。

きみはいきのこる

私なんて死んでしまえばいいと思ってた。だけど私だけが生き延びるのだとも思っていた。全部見抜いてただろう幸村くんの言葉をなぞる、幼いお願いごとを胸に今日はもう眠ろう。薄っぺらい毛布を手繰り寄せて、体を丸めた。




20111003
bgm 海原の人魚

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -