つめたい指先に手首を取られて、触れていた頬から離される。あたたかかったところがいきなり冷えてしまってとても可哀想に思えたのに三郎はおだやかに笑んで首を振った。三郎にとってはよいことらしい。それなら、兵助はそれでよかった。三郎の選んだことを、兵助はまるごと大事にしてあげようと思っていた。
 ただ触れているだけのようだった手首を、壊れ物のようにゆっくり下ろされる。いきなりぶつりとちぎれるほど柔ではないのに、いつもそう。しかしそれを兵助はきらっていなかった。好いてもいなかった。したいようにさせて、それで満たされたから。
 一歩、二歩。三郎があとずさる。兵助から距離を取る。
 追いかけようと踏み出しかけて(ああ、三郎をぜんぶ許してあげられなかった)、唇に人差指を当てられた。正確には、触れるより手前。制止/静止。あるいは生死。たった一本の指にいろいろなものがうばわれた。
 兵助をとどめた人差指を伸ばしたままピストルをつくって、三郎はそれをこめかみにあてがう。にこりと、鏡で見るように笑う。

「それじゃあ、さようなら」

 丁寧に言って、三郎ははじけた。まるで水風船みたいに。しかし風船のようにゴムの欠片もなかった。兵助だけを綺麗に避けて、青いインクを飛び散らせて。
 それから兵助は三郎を呼ぼうとして――



「目が覚めた、と」

 くあ、と勘右衛門はあくびを噛み殺す。
 たたき起こされたばかりの頭で整理できたのはこのくらいだ。アウトラインしかわからない。最初っから理解してやる気はさらさらない。兵助の悪夢が抽象的なのはいつものことだ。
 相づち代わりにぐずぐず鼻をすする音が聞こえてきて、どうやら大枠は正解らしい。
 兵助が寝ながら泣いて、泣きながら起きてくるのは茶飯事だ。けれども勘右衛門が話を聞いた端から口に出して整えたものだから一緒に内容を反芻してしまったようだ。いまごろ電波の向こうは大洪水だろう。実はわざとだったりもする。安眠を邪魔されたのだからこれくらい許されるはずだ。

「んで。兵助はそれをおれに話して、どうしてほしいの? 慰めてほしい?」
『ちが、う……ひぐっ』
「じゃあ、なにさ」

 体勢を入れ替えてうつ伏せになり、シーツを肩までかぶる。愛想の足りない一枚布は突き放せばすぐに冷めてしまう。けれどいまは人肌にあたたまっていてぬくい。快適だ。
 ほら言ってごらん、と。意地悪な気持ちになりながら先をうながす。
 兵助が嗚咽を飲みこもうとして、失敗した。

『さぶ、さぶろう……いる、かな』
「あのなあ兵助。たしかめたいなら自分で電話しな。てゆか兵助、こないだ鉢屋と別れたんじゃなかった?」
『だって』

 そのだってはどこへの返しなのだろう。寝起きと夢見で頭がごっちゃになっている兵助に判断力があるとは思えない。支離滅裂。意味不明。兵助はそういうやつだ。
 水っぽい音を聞きながら勘右衛門は胸に敷いていた腕をもちあげて手を伸ばす。今朝の勘ちゃんは悪役ですと、電波越しにでも安心させようとして同じシーツをかぶる熱に触れた。ついでに髪をはらってみる。寝息は、あさい。

「鉢屋ならとなりで寝てるけど」







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