声が聞こえる。誰の声だったか考えることもなく、久々知は右を見た。左を見た。真っ黒に焼け爛れた大地には久々知の探すものはない。唯一あるのは予定調和のふりをした、たったひとつの心音だけだった。久々知が聞こえていたのはそれだけで、でも、そこから歩き出すためには少し意味が足りなかった。
生まれて死ぬまでに使わなくてはならなかった言葉や感情や表情を何ひとつ使えずに、久々知は全部を失ってしまった。思考を縛るものが何もなくなって、自由の中に突き落とされた久々知の目の前であらゆるものは名前を失った。それから腐っていくように色をなくして、形をなくして、最後に真実をなくした。
久々知の手にしている刀は、久々知にとっては刀ではない。飾りでもなければ凶器でもなく、身を守るものでも、もちろん鉄なんてものでもない。
いま、久々知の中には何もない。何もないという違和感さえない。突き刺さっている矢の痛みも、大地に転がるかつての友の首も、これから押し寄せるたくさんの悲しみも、久々知は全部拒絶した。大切だったから何もかもを捨てた。捨てることを選んだのは他でもない久々知自身で、今はもう後悔という言葉も持っていない久々知には、何かを探すこともできなかった。
価値は失うからこそ存在している。久々知の中からはそれが欠如していた。だから誰かの声に周りを見回したのは単なる体に染み付いた反射神経にすぎなかった。
久々知は生きていた。呼吸をしているという意味では生きていた。だからはたはたと涙を流していたし、その涙にも意味があった。大切な意味があった。

それでも先に世界を裏切ったのは久々知だったから、久々知はもう、1人ではそこから先には進めない。






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