8月15日〜1月10日
8月も盛りだというのに、襟つきの服を着た男が一人。
「黒双様‥」
アリアに招かれ、ブラックソード家の庭に流れる小川、と言っても一メートルの幅もないが、そのそばの木陰で涼んでいたのに、この暑さのなかボタンを一番上までとめて、しかも上着まで着ている男が額に汗を浮かべて横を過ぎるのだから、見ている方が暑い。
「なんだ」
足を止めて振り返ったフリティアが見たのは、氷の浮かんだグラスを頬に押し付けて暑さをまぎらわせているイザベルである。服装も、若干際どいと言うか、太ももまで捲っているズボンが濃紺のせいで、彼女の足の白さが際立つ。
「見てる方が暑いです‥」
「慣れてくれ」
俺は夏もこんななんだ。
言う彼の額から汗が伝う。暑さに弱いイザベルからしたら気違いにしか見えない。隣のアリアがスカートを捲って足を川に浸けた。敷地内だからって気を抜きすぎだろ…とフリティアは小さくため息をついたが注意はしなかった。出来れば彼だって足を片足でも良いから水に浸けたい。
「袖の短い服がないのですか?」
「いや‥あると言えばある」
「着れば良いではないですか」
どうみたって彼も暑いはずである。コテンと首を傾げるイザベルに、フリティアは言葉を濁した。
「まあ…ちょっとな」
そのまま室内に入って言ったフリティアの背中を見送り、イザベルはポツリと一言、
「変なの」
と呟く。そんなイザベルに、アリアが寂しそうに微笑んだ。
「ごめんね」
「なんでアリアが謝るの」
別にあなたのせいじゃないでしょうに。
怪訝な表情で言うイザベルに、アリアは小さく首を振った。
「あれ、私のせいなのよ」
「どういうこと?」
カラン‥と氷が音を鳴らす。イザベルはアリアの隣に移動して、彼女同様に足を川に浸けた。ヒヤリとした感覚が気持ちいい。
「リタ兄様がこの家に来て‥半年くらいかな。だから私は‥四歳、かな。そんな昔のことだけどよく覚えてるわ」
イザベルは黙ってアリアの声に耳を傾ける。
「私それまで家の外に出たことなかったのよ。でも何故かその日門が開いてる上に見張りもいなくて…興味本位で外に出て、案の定迷子よ。しかも…」
「人拐いに目をつけられた…だったな」
突然背後から声がして二人して驚いて振り返った。
「ロネシア様‥」
気配を消すからこの男は気付くといる。心臓に悪いので、出来ればケネスのようにわざと気配を出して欲しいのだが。イザベルはそんなことを思った。ロネシア本人は、イザベルの考えていることに気が付いているが、あえて触れずに話に参加する。
「あれは焦ったな。どこ探してもお前いなくて。リタはよく見つけたもんだ」
苦笑いを浮かべたロネシアに、アリアは視線を反らして水面を見つめる。口を閉ざしてしまったアリアに変わり、ロネシアがイザベルに話始める。
「その人拐い六人に八歳のガキが一人でかなうわけないのに、リタはボロボロにされながらそいつらに食らいついてたんだとさ。俺は見てないからわからない。けど、痺れきらしてソイツラがリタを殺そうとして‥」
ロネシアが右手を自分の首の左側に当て、手前に引く動作をする。その意味を察したイザベルは、スッと血の気が引いた。
「サクッとナイフで‥な。医者見習いならこれがどんだけヤバイか分かるだろ」
まあ医学なんてからきしだけど、それでもヤバいってことは俺にもわかるけどな。
呟いて、ロネシアはアリアの隣に腰を下ろした。
「そのすぐあとに父上が来て人拐い全員殺して叔母上のとこにリタは担ぎ込まれて何とか一命とりとめたけど‥傷は酷く残ったな。抜糸痕が残る程度に」
それからロネシアはアリアを見て、ポンポンと彼女の頭を撫でた。
「まあお前ら二人とも無事で良かった。あんまり気にすんなよ、リタも言うほど気にしてない」
「でも‥」
「あ、イザベル嬢、もうすぐリタ誕生日だから、なんか祝ってやってよ。15日」
急に話を変えて、ロネシアは立ち上がる。
「俺が言いたかったのはそんだけ。じゃあごゆっくり」
そして言うだけ言うと去って行った。よくわからない男である。
「誕生日か‥」
今の話を聞いて、一つ思い付いた。
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「‥誕生日にはしゃぐ年じゃないですよ叔母上」
好物の並んだテーブルを見て、呟いてはみるがまんざら悪い気もしない。メアリーのおせっかいは昔からだし、嫌ではない。
「いいじゃないの。はいプレゼント」
差し出された半袖に苦笑いしながらも、フリティアはそれを受け取った。
「ありがとうございます…」
でも着るのは家だけだな…
シャツの襟に隠れた傷痕に指を這わせ、フリティアは心中で呟いた。別にこの古傷を他人に見せてもいいとは思っている。が、一々詮索されてアリアを傷付けるよりは暑い思いをした方が良いと彼なりに思っているから隠しているのである。
「黒双様」
鈴の鳴るような声に振り替えれば、イザベルが包みを差し出してきた。
「誕生日プレゼント?」
「はい」
「開けてもいいか?」
「はい」
本人の許可を得てから、彼は包みを開いた。出てきたのは鮮やかな青い布。
「‥ストール?」
「その格好は暑すぎます」
それで首を隠したら襟なしの服を着れますでしょ?
言うイザベルに、フリティアは僅かに目を細めた。
「‥誰から聞いた」
「アリアとロネシア様」
「‥そうか」
一言呟き、フリティアは来ていた上着とシャツを脱ぐと、メアリーからもらったばかりの半袖に腕を通し、そしてイザベルからの贈り物を首に巻いた。その短時間に、確かにイザベルは首にひきつれた縫合跡を見ていた。
窓ガラスに写った自身の姿を確認して、フリティアは唇の端に笑みを浮かべた。
「ありがとう」
珍しいフリティアの笑顔に、つられてイザベルもフワリと微笑んだ。