ノミ蟲野郎を半年近く見ていない。
ついに死んだか、と静雄は家路につきながら思った。
前も誰かに刺されて入院していたことがあった。それだけ恨まれている奴なのでいつ殺されたっておかしくはないだろう。できれば自分の手でぶっ殺してやりたかったが、どっかで野垂れ死んでる様を想像するのも悪くない。
臨也が池袋にいない、目につかないというだけでこんなに心が穏やかになるのだなと静雄は清々する。
どうか、このまま一生姿を現しませんように。
部屋の鍵を開けながら、静雄は願った。
「おかえり、シズちゃん」
電気をつけた瞬間に姿を現した黒ずくめの男に、静雄は驚いて肩をゆらす。
部屋に帰ったら他人が暗闇の中にいるなんてとんだホラーだ。しかも相手が自分の天敵ならなおさら。もうホントこいつ死ねばいいのに。
さき程まで思い出していたところだったのもあって、自分の心を読まれたような登場の仕方に苦々しい気持ちになる。おもわず静雄は舌打ちをした。
「なぁにいきなり舌打ちなんて感じ悪いなぁシズちゃん」
臨也は薄く笑いながらベッドに腰かけている。
想像通りに死んでくれてればよかったのに。相変わらずな臨也の態度に、静雄はタメ息を吐く。やっぱりコイツがそんな簡単に死んでくれるわけないか。
「……なにしに来やがった」
「シズちゃんに会いに」
「………は?」
あっけらかんとした臨也の言葉に、静雄は耳を疑った。
臨也が静雄に会うために池袋に来るなんて、とてもじゃないが信じられない。いつだっていがみ合って殺し合いのケンカをしていた2人が、お互いに会いたいなんて思うはずもない。静雄は臨也を池袋から追い出そうとするし、臨也はそんな静雄から逃げるのが常であるのに。
「なに言ってんだテメェ……殺されに来たのか?」
「ははっ」
睨みつけると、臨也が笑う。なにがおかしいのだろう。静雄はイライラする。自分の部屋を壊さまいと、ぐっと力を抑えた。
「殺してみる?」
「は?」
立ち上がって、臨也が近づいてくる。ただならぬ雰囲気を感じて1歩後ずさると、臨也がさらに笑った。
シズちゃん、と頬に手をのばされる。いままで何度となく殺し合いをしてきたが、殴る以外で臨也に触れたことはない、と瞬間的に思った。臨也が触ってくるなんてこともちろんないし、こんな風に手をのばされるなんてことは、ない。知らない。
ゾクリとして静雄は反射的にその手を振り落とそうとした。が、
「な、」
はらおうとした静雄の手は、臨也の手をすり抜けて空を切った。
臨也は薄く微笑んで静雄の頬に手をそえるが、その感覚は肌に伝わらない。
「な、に……」
「死んじゃったみたいなんだ、俺」
「…………は、」
なにを言ってんだと笑おうとして出した音は、空気になって口からこぼれる。
だって、感覚が、ない。
「触ってみる?」
臨也に誘導されて、ゆるゆるとちょうど心臓のあたりに手を伸ばす。触れようと伸ばした手は、空気を切るように臨也の体を貫通した。
「っ、」
ぞわりとしてすぐに手を引く。
反射的に臨也を見ると、臨也は少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「ね?」
触れないだろう?と、もう一度言い聞かせるように言う。自分は死んだのだと。
「もうシズちゃんに殴られなくて済むね」
臨也の言葉に、静雄の顔が歪む。それを見て臨也が少し驚いた顔をした。
「まぁ実際いつ殺されてもおかしくない仕事してたからねぇ」
仕方ない仕方ないと笑う臨也はいつも通りに見えて、死んだなんて嘘みたいだ。
「幽霊ってやつになるのかな?まいったなぁ、これで俺も非現実の仲間入りだ」
もうシズちゃんのこと笑えないね、とからかうように言われても、怒りなんて湧いてくるはずもない。
「臨也、」
「シズちゃんに言い残したことがあってさ」
急に真剣な瞳で見つめられて、静雄は息をのんだ。
ホントにさ、まいるよ。言えなくなってから気づくなんて、と臨也が笑う。手が伸びてきて、触れられない静雄の頬に触れた。
「好きだよ」
「…………っ」
「好きだった、ずっと」
シズちゃんのことが、ずっと。
近づいてくる臨也の顔に静雄は目をつぶる。
空気が、すうっと突き抜けた気がした。
「はは、体があるうちにしたかったな、キス」
「いざ、っ」
耳元で声が響く。とてもリアルな感覚だ。顔が見たくてバッと目を開けると、もう臨也の姿はそこになかった。
「臨也………?」
キョロキョロと辺りを見回すが、どこにもいない。見えない。あいつがいない。
ふわっと風が流れて、香水の匂いがした。臨也の香水だ、と分かった。
そう理解した途端、静雄の瞳から涙が流れる。臨也が座っていたベッドに触れると冷たくて、息が苦しくなる。ボロボロとあふれる涙が止まらなくて、静雄はベッドに顔を押し付けて、泣いた。
死ねと思ってた。殺してやりたいほど憎んでた。なのに何が悲しいのだろう。
しゃくりあげながら、臨也の名前を呼ぶ。何度も。
臨也の声が消えない。あの赤い瞳が焼き付いて離れない。「好きだ」と言った、あの言葉が頭の中を埋めつくす。
なんで今更、
好きだ、なんて、そんなこと。
最悪だ。
本当に目障りな奴だ、
生きてても死んでても。
「いざや……っ」
俺だって、お前が、ずっと。
目を覚ますと白い天井が目を入って、ぼんやりと辺りを見回す。
白い壁に白いベッドに数値の波刻む機械。
「え、」
病院だ、と理解して臨也は起き上がる。その勢いで呼吸器が外れ、機械がビービーと警告音を鳴らしした。廊下からはバタバタと部屋に駆け付けてくる足音が響いてくる。音を聞き付けた看護婦だろうと、どこか冷静な頭で思った。
「………生きてる」
医師たちからの検査を終えたて病室に戻った臨也は茫然としてつぶやいた。
腹部を刺されて重体。もう半年以上も意識がなかったらしい。
いや、そんなことはどうでもいい。
臨也はベッドに倒れ込んでさっきまでのことを考える。
死んだと思った。理解した瞬間後悔した。ずっと後悔なんてしないように生きてきたつもりだったけど、ただ一つ。
だから最後に一目静雄に会いたくて。想いを伝えたくて。唇を重ねたくて。
俺のこと以外考えられなくなるように。死んだ後もずっと俺に囚われるように。
臨也は唇をなぞった。
ぎゅっと目をつぶる静雄の顔が消えない。
あれは、夢だったのかな。
だろうな。臨也は思い出して苦笑した。
臨也が死んだとわかって静雄が喜ばないはずがない。それだけのことをしてきたという自覚もある。笑いこそすれ、あんな泣きそうな顔をするなんて、そんなこと。
臨也は起き上がって着替え始めた。波江に電話をして、黒いコートに腕を通す。
どっちにしろ、しばらくはシズちゃんと会わないようにしよう。
とは言ったものの。
臨也はタメ息を吐きながら山手線に乗り込む。
池袋は臨也の活動拠点のメインとも言えるところだ。退院してからの1ヶ月、どうにか電話やメールだけで済ませて近づかないようにしていたが、それにも限度というものがある。
どうしようもなくなってついに今日、仕方なく、彼の地に赴いてしまった。久しぶりの池袋に少し感慨深い気持ちになりながら、臨也は街を歩く。
通りがかった人間が何人か振り返って臨也を驚いた目で見てくるのがわかって薄く笑う。折原臨也死亡説を泳がせていたせいだろう、臨也は愉快な気持ちになった。
半年というブランクがあったものの、優秀な秘書のおかげもあって臨也の情報網は狭まることはない。近づかなくとも池袋がどういう状態かは全て把握している。
「……シズちゃん、元気かな」
平和島静雄が最近おとなしいと騒がれていることも、知っている。
会いたいな、と思う。
まあ会ってもどうせ前のような殺し合いの関係になるだけだ。
はは、と自嘲気味に笑って、さらに人ゴミに紛れた。そのとき、
「…ざや………っ」
不意に名前を叫ばれて、臨也は振り返る。
「いざやっ!!」
走ってくる金色に、心臓が震えた。
ああ、シズちゃん。
逃げることも忘れてた臨也は立ち尽くす。
池袋の住人たちは久しぶりの光景にざわめきながらも道を開ける。条件反射だろうか、とおかしい気分になった。
俺も逃げないとな、と頭の隅で思いながらも、違和感を覚えてこっちに向かってくる静雄を見る。
手に何も持っていない。いつもだったら、自販機であるとか標識であるとか、通常では考えられないものを振り回して化け物のように向かってくるはずなのに。
臨也、と叫ぶ声はいつものように間延びしていなくて、必死に聞こえて、臨也はまだ動けない。
「臨也……っ」
「シズちゃ、」
抱きしめられた、と理解するのに、だいぶ時間がかかった。
「………シズちゃん?」
「……い、から」
「え?」
「幽霊でもいいから、そばにいろよ……っ」
「………っ、」
ぎゅうっと抱き着いてくる静雄を抱き返す。もともと細い体だったが、より一層痩せた気がする。
俺のせいかな、と考えるとたまらない気持ちになった。
静雄が自分のために泣いてる。この幸福感はなんだろう。
ああ、これだったのかもしれない。高校のころからずっと求めていたものは。俺の、ずっと欲しかったものは。
「シズちゃん」
「…………」
離したら消えてしまうとでも思っているのか、ぎゅうぎゅうと力をこめる静雄に笑いがもれる。
「大丈夫だよシズちゃん、俺死んでなかったんだ」
殴られるかなと覚悟して臨也は言う。
「え、」
驚いたように体を離して臨也を見る静雄の顔は、やはり少しやつれたようだった。頬に手をすべらす。
「だってほら、触れるだろう?」
ぱちくりと目を丸くする静雄の瞳からあふれている涙をぬぐう。カシャンとサングラスが落ちた音で我に返ったのか、慌てて体を離そうとする静雄を再度抱きよせる。
「おま……っ、なんで……」
「シズちゃんに会いたくて帰ってきちゃった」
「な、」
「好きだよ」
「…………っ、」
泣きそうに歪む静雄の顔に両手を添える。
「キス、してもいい?」
今度はちゃんと。
囁くと、静雄は顔を真っ赤にしながら、コクンと頷いた。
息をして抱きしめてキスをして
(君のとなりで、ずっと)
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