1年を何で数える?

立ち寄った喫茶店で流れてきたBGMに、臨也は皮肉げに笑った。アメリカの古いミュージカルの曲だ。

52万5600分という時間
あなたは1年をどうやって数えますか?
太陽の光?夕暮れ?真夜中の数?
朝のコーヒー?
それともセンチやキロ単位?
笑った数?
喧嘩した数?

そう続いていく歌を尻目に、臨也はコーヒーも飲み干さないままに店を出た。
シズちゃんとの喧嘩の数なんか数えてたらキリがないな。
そんなことを考えながら、ポケットの中の鍵をそっとなぞる。

前に静雄に渡したこの合い鍵をデスクの上で見つけたのは、今朝のことだ。




忙しさにかまけて、ずいぶんと溜まったもんだな。と、臨也は書類まみれの机にタメ息をついた。

「波江さん、俺の机の上がとんだ惨状だ」

優秀な秘書さんは何をしているんだろうね?という意味を含みながら口を歪めてみても、当の波江は一瞥をくれただけで、すぐにパソコンに視線を戻した。

「そう」
「そう。って、片付けくらいしてくれてもいいんじゃない?」

元より波江が涙を浮かべて謝罪の言葉を並べるとは思っていなかったので、その冷たい態度も気にはならない。しかし文句は言いたい気分だったので、再度臨也は呆れたようなタメ息を吐いた。
とりあえず身近な書類から片付けに取り掛かる。

「自分の机くらい自分で片付けなさいよ。それに、私は人の私物に触れる趣味はないわ」
「私物?」

片付けの手は止めないまま、臨也は怪訝な顔を波江に向けた。
臨也が仕事のデスクの上に私物を置くことはそうそうない。
見渡して見ても、書類ばかりで、おおよそ私物に見られそうな物はない。
臨也の疑問に波江はまた少しだけパソコンから目線を移して、先ほどのお返しのように呆れたような微笑を寄越した。
なんだ?
不審に思いながら、臨也は次の書類の束を掴む。と、揃えようとして縦にした時に、間から何かが落ちてきた。
カツンっと金属音を響かせながら、それは机に転がった。
鍵だ。
臨也はその意外性に目を細める。

「聞くけど、これは波江さんのじゃないよね?」
「私の鍵も返品してあげていいわよ」

ということは波江のではないという訳だ。
となると、持ち主は1人しかいない。
この家の鍵を持つのは3人いる。家主の臨也と、秘書の波江。そして―――恋人である、平和島静雄の3人だ。

「聞くけど、波江」
「なにかしら」
「これ、いつからあったか知ってるかい?」

2人でいる時に、さん付けから呼び捨てへと呼び方が変わるのは、臨也が冷静さを欠いている証拠だということを波江は知っている。
「そうね、書類の日付でも見れば分かるんじゃない?」

つっけんどんに言う波江の通りに動くのも癪だが、鍵が挟まっていた箇所らへんを見る。

5月4日

1ヶ月前だ。
そして、臨也の誕生日でもある。

「ほったらかしにしてたのは、お片付けだけじゃなかったみたいね」

波江の言葉に、臨也は薄く笑った。

「可愛いことしてくれるよね」

せっかく集めた書類を放り投げて、コートに袖を通す。

「ちょっと出かけてくるよ」
「ご勝手に」

どこまでも淡々と冷たい波江の見送りを聞きながら、臨也は部屋を出た。




池袋に来るのも久しぶりだ。
情報収集を終えた喫茶店から出て、約2ヶ月ぶりの街を歩く。
静雄とも、そのくらい会っていない。

「なにもほったらかしにしてた訳じゃないさ」

出かける間際の波江の言葉に返事するように、臨也は1人呟いた。追いかけて追いかけて捕まえた相手を、忙しかったからという理由だけで臨也が野放しにしておくはずがないのだ。

歩きにくい人ゴミの中、臨也はiphoneを操作しながら慣れた様に進んで行く。

臨也は少し実験をしていた。
自分から一切の連絡を取らなかったら、静雄はどんな行動に出るのか見てみたい。
そんな、乙女のような実験。
でも許して欲しいな。追いかけて追いかけて、手に入れてからも追いかけて。そんな相手から、少しくらい愛のお返しを期待するのは仕方ないことだろう?
口元を緩めながら、臨也はポケットの鍵を弄る。
鍵を返してくるとは意外だった。
それも、臨也の誕生日に。
合い鍵を渡してずいぶんととたつが、静雄がこの鍵を使ったことは、臨也が知る限りでは一度もない。そもそも臨也の部屋に静雄が自主的に訪ねてくることが稀だ。いつでも臨也が池袋で静雄を挑発し、部屋に連れ帰る。それが定石。
つまり、そんな静雄が初めて合い鍵を使って部屋に訪れた訳だ。臨也の誕生日に。
恋人に合い鍵を突き返されるというなかなかに残念な状態であるのにも関わらず、臨也はプレゼントでももらったかのような気分である。

ああ、早く会いたいな。

薄く笑いながら、情報を元に迷いなく目的地を目指す。
いつものことながら、彼はよく目立つ。
臨也の瞳が、金色を捉えた。

「シズ―――」

ゴガッシャァァァァァンッ

聞き慣れた音を鳴らしながら、臨也の横を自販機が通過していった。
静雄の1年の数は、自販機の数かもしれないなと、ふと思う。

「やぁ、元気そうだねシズちゃん」
「臨也ぁぁぁぁ!いまさら、何しにきやがった……ッ!」

いつの間に抜いたのか、静雄は標識を握りしめながら臨也を睨みつける。
臨也は少し驚いた。
いつもなら殺すだの池袋から出ていけだの言いながら殺し合いが始まるはずなのに、『いまさら何しに』なんて可愛いことを静雄が口にしたからだ。周囲には観客もいるというのに。
そのことに喜びを感じつつ、それを微塵も出さずに臨也は肩を竦める。

「やれやれ、やっぱりシズちゃんの1年は標識の数かな」
「ああっ!?」
「忘れ物を届けに」

言って、ポケットから鍵を取り出して見せる。
途端、静雄の顔は表情をなくした。冷めた目で臨也を見つめ返すが、その奥にある怒りや少しの戸惑いを、臨也は見逃さなかった。

「いらねぇ」
「いらなくても、シズちゃんのだ」
「、その俺が、いらねぇって言ってんだろ!」
「本当に?」
「とっとと捨てちまえ」
「それは困るな。鍵というのは情報の固まりみたいなもんだよ?情報屋なんてやってる俺にとっては情報の流出そのものだ。捨てるなんて行為は―――」

能書きを垂れる臨也に、ブチリと血管の切れる音が聞こえた気がした。

「ああそうかよ、そんじゃあ俺が跡形もなく砕いてやるから安心しやがれ」

標識を握る静雄の手に力がこめられる。もうへしゃげる寸前だ。
臨也は挑発するのを止めて、静雄に微笑んだ。

「これ、使ってくれたんだね」
「もう二度と使うことはねぇ」
「それは困るな」
「捨てんのが嫌だってんなら、新しい女にでもやればいいだろ」

また意外な言葉を発する静雄に、臨也は驚いた。
もしかして会えなかった1ヶ月間、臨也に他の恋人ができたとでも思っていたのだろうか。
嫉妬、なんてそんな感情。静雄からぶつけられることは無いと思っていた。

「それこそ嫌だよ。シズちゃん意外、この鍵を渡すつもりはない」
「………」
「シズちゃんじゃなきゃ嫌なんだ」

珍しく真摯な顔をする臨也に、静雄は一瞬たじろいた。

「シズちゃんだけが好きだ」
「うるせぇ」
「どうしようもないくらい、君が好きなんだ」
「だまれっ!」

動揺した静雄が標識を臨也目掛けて投げ飛ばす。
最小限の動きでそれをかわして、臨也は一気に距離をつめた。

「っ、」
「じゃあ、シズちゃんが決めて」
「あ?」
「本当にいらないんだったら、さっき言ってたみたいに壊せばいい」

静雄の目の前に立って、臨也は鍵を手渡す。
無防備にそれを受け取ってしまった静雄は、迷子のような瞳をして視線をさ迷わせた。
先ほどまで壊すと言っていたくせに。臨也が目の前に立ったという、ただそれだけのことで、一定の距離を保つことで守っていた固い決意が脆く崩れ去っていくのが分かる。

「さぁ」

静雄は臨也から視線を背けて、手の中の鍵に力を入れる。先端が少し欠けた。
本気を出せば一瞬で潰せるそれがまだ形を保っていることから、静雄の躊躇が読み取れる。

「壊せない?」

覗き込む臨也に、静雄はキッと怒りの表情を臨也に向けた。
そして、
手に力を込め、
思いきり――――

臨也を殴りつけたのだった。

「っ!?」

突然のことに反応しきれず、臨也はあっさりと殴り飛ばされる。
周囲の野次馬たちは、飛んできた臨也に慌てて後ずさった。
出来上がった平地に臨也は叩き付けられる。息がつまった。

「…………ねぇだろ」
「…ケホッ………え…?」

受け身は取ったものの、静雄の拳を近距離でもらってしまったため、起き上がれず臨也はうずくまった。体中の痛みに気を取られ、静雄が呟いた言葉を聞き逃す。

「こんなん、あったってなくったって………っ」

俯いていた顔を、静雄が上げた。

「テメェがいなきゃ、何の意味もねぇだろ……」
「シ、ズちゃん…」

ともすれば泣いてしまいそうなその顔は、会えなかった2ヶ月の心情を読み取るには十分で。
臨也は痛みを殺して起き上がる。
「ごめんね」

近づいても逃げない静雄の手をそっと取る。振り払われるかと思ったが、大人しくされるがままになっていた。

「不安にさせて……ごめん」
「………」

真摯な目で見つめられ、静雄は俯いていた顔を気まずそうにそらした。
周りにいる大勢の野次馬の存在を思い出して恥ずかしくなったのだろうか。更に覗き込もうとした時、目の前にあった拳が、ゆっくりと開かれた。

「鍵………」
「ん?」
「…壊れた」

臨也を殴り飛ばした時に負荷がかかったのだろう。手の平の上の鍵は、見事に粉砕していた。
元々の原因は臨也にあるというのに、ばつの悪そうな顔をしている静雄を見て、臨也は笑う。
そうして、あっさりとその鍵をコンクリートにばらまいて捨てた。

「これはもう、いいんだ」
「あ……?」

その言葉が何を意味するのか分からなくて、静雄は不安そうな不満そうな視線を向ける。

「怒らないで聞いて欲しいんだけど……」

と切り出して、臨也はポケットからもう一つ鍵を取り出して見せた。静雄は展開について行けれないようで、険しい顔をしている。

「池袋に新居を買った」
「は?」
「ほら、鍵を渡したはいいけどシズちゃん全然使わないし。シズちゃんがいつ来てくれるのかななんて期待して待つのも結構寂しいものなんだけど、分かるかな?」
「…………」
「だから、さ、一緒に暮らそう」

この2ヶ月、くそ忙しい仕事の合間を縫って手配した部屋の鍵を差し出しながら、臨也は自分が少しばかり緊張していることに気が付いた。

「シズちゃんさえ、よければ」

ほら、池袋だったらシズちゃんも仕事の予定を気にしなくていいし、新宿に来る度にSNSで騒がれることもないし、波江さんもいないから、2人きりだ。
普段は不必要なほど動く口が、どんな説得が有効なのか分からなくて躊躇し、開いたり閉じたりを繰り返す。
そんな態度の臨也に、常とは違うものを感じたのか、静雄はタメ息を吐き出した。深いタメ息だ。

「テメーはいつも勝手に決める」
「…うん」
「で?」

と投げかけながら、静雄はゆっくりと臨也の手の中の鍵を取った。臨也は思わず「え?」っとその様子を見守る。

「テメーはちゃんと、帰ってくんだろうな?」

ここに、と鍵を示されて、頭の中を整理しきれてなかった臨也は一瞬動きを止めた。そのせいで変な間ができてしまったため、静雄は途端に顔を赤くし、舌打ちをする。自分の発言で羞恥を感じたのだろう。言葉の意味を理解して、臨也の顔も赤くなる。

「シズちゃん…」

そして、静雄が何か悪態をつこうと口を開くよりも早く、
臨也は静雄を思い切り押し倒したのだった。


1年を何で数える?

太陽の光?夕暮れ?真夜中の数?
朝のコーヒー?
それともセンチやキロ単位?
笑った数?
喧嘩した数?

いろいろあるけど、
過ぎ去る1年を、愛で数えてみるのはどうかな?













Season of love


(臨也、)
(ん?)
(誕生日、おめでとう)