『…ただいま』

見慣れてしまった自分家の戸を開けて、茜は薄暗い家の奥に声をかける。鍵が開いていた事と投げ出された靴とテレビの音が僅かに聞こえてくる事からして、祖母と弟は家に居るのだろう。
そう茜が予想さた通り、彼女が声をかけた直後にヒョコッと奥の部屋から小さな弟の顔と祖母の顔が顔を見せてきた。

「あら、お帰り茜ちゃん」
『うん、ただいま』
「姉ちゃん遅いーっ!」

もう一度挨拶をして茜は靴を脱いだ。すると、背中からの軽い衝撃。振り返ってみれば、そこには碧の拗ねた顔。そういえば自分は今朝碧と特訓に付き合う約束をしていたな、なんて呑気に思い出してごめんごめん、と弟の頭を撫でながら謝った。弟の隣に来たクオンですら不満そうに見える。
そんな弟とは反対に祖母はそそっとスリッパを履き、たたきの上に腰かけている茜に歩み寄ってきた。
小柄な女性だが、その振る舞いは老いを感じさせない凛としたものだった。背筋はしゃんと伸び、柔らかい笑みの形を描いた唇の隙間からは全て生え揃った真っ白な歯が覗いてきた。そこらへんの老人どころか、道端でたむろしている若者よりもずっと若々しい人物である。

神崎小梅

それが彼女の名前だった。

「今日はどうだった?例の清麿くんは」
『あ…うん、会えた…けど、…』

徐々に熱くなっていく自分の顔。“清麿”というワードを聞いただけで熱くなってしまう自分はかなり重症だと思わされた。
小梅が何故彼の事を知っているか、それはもう随分前の話しだ。小学校の時に何度か会っており、小梅も清麿の事を知っている。そして、茜自身小梅に相談している身だ。色々と小梅に清麿の事を話している内に、それは恋だと教えてくれたのも小梅。そして、それと同時にこの人に適わないと自覚したのもこの時だったっけ。

顔を赤くしたまま黙っている茜を見た小梅は小さく笑みを浮かべて口元に手を当てた。余程茜の表情がおかしかったのか、ここまでおかしそうに笑っている小梅は初めてだった。

「会えたのね、元気だった?」
『あ、う…うん』

会えた。そして、自分の事を、自分の名前を覚えててくれた。
それだけで、宙に浮くくらいの歓喜で包まれた。その代わり、ちょっとした彼の過去話しも知ってしまったが、それも全部ひっくるめて彼の全てなのだ。それに、一番喜ぶべき事は彼に名前を呼ばれたとかじゃない。彼の中にまだ優しさがあった事。とても、嬉しかった。

だが、一つだけ引っかかる事がある。
それは、彼のもとへとやってきたあの小さな魔物。会話の内容からしてまだ清麿は魔物と魔本の事を知らないらしいが、いつか自分達と戦うかもしれない。
それが、ずっと頭の中で引っかかっていた。

「…そんな事より、特訓しようよ姉ちゃん」
『あ、ああ…そうだね』

約束したからね、守らなきゃ。茜はいつまでも自分の肩で待ってくれていた碧の頭を再び撫でて鞄の中から茜色の分厚い本を出した。
それを見た碧は嬉しそうな表情を浮かべて、直ぐに自分も本を持ってきた。クオンもその場で飛び跳ねて喜びを表現をしていた。弟やクオンの様子を見た茜はやはり二人とも子供だな、と改めて思えた。

「おや、また秘密の遊びかい?」
「そうだよ!僕、強くなってお婆ちゃん守るんだ!」
『ごめんね、お婆ちゃん…話せなくって、』

自分の隣ではしゃぐ弟を目で見て苦笑しながら、小梅に目をやる茜。本当に申し訳なくて、眉をハの字にしながら謝れば、小梅は小さく微笑んだ。それを見た#name2#は靴を履き直しながら疑問符を浮かばせた。

「話してくれてるじゃないかい、“秘密の遊び”というのを」

その言葉の意味が一瞬、よく分からなかったが、直ぐに表情を戻した。小梅が言っているのはきっと、秘密の事だという事。その内容は小梅にまだ話した事がなかった。ただ、秘密の遊びという言葉で今まで小梅を騙してきた。
これから起こるであろう魔物同士の戦い。そんな戦いに、小梅を巻き込む訳にもいかない。本当は遊びと言う程生易しくはないだが、それは小梅に余計な心配をかけたくはないという二人の意思から出た言い訳なのだ。嘘にはいい嘘と悪い嘘があるが、どちらにせよお互いがお互い結果的には傷付く事になるかもしれない。しかも、今自分達がやっているこの戦いはとても危険なもの。正直に言っても嘘を言っても変わらないのだ。

「お姉ちゃん早くー!」
『はいよ〜!

…じゃあ行ってくるね』
「はいはい、夕飯までには帰ってきなさいよ」

いつのまに靴を履いていたのか、玄関の前で茜を急かすように足踏みをする碧とクオン。それを見た茜は苦笑しながら軽く爪先をトントンッと叩き付けた。密かに感じる内ポケットで息を潜めるモモ太郎を感じながら、小梅にそう告げた。
すると、小梅は呆れたように笑ってそう言った。それを聞いた茜は、安心したように玄関の扉を開けて振り返った。

『「行ってきますっ!」』

そう言って姉弟は玄関から飛び出し、家を出て行ってしまった。その背中を見る度に、彼女達がどこか遠い所に行ってしまいそうだった。だけど、それをどうしても止められない小梅は、彼女達姉弟の無事しか思えなかった。

…………
………

『いくよ、碧!準備はいい?』
「うん!」

特訓の内容はお互いの本を燃やさずに戦う事。
勝敗の決まりはどちらかの魔物の力が尽きた時か、パートナー自身の心のエネルギーが尽きた時。
今のところこの姉弟の勝敗の数は10ー7で姉である茜が勝っていた。この特訓のおかげで、今は本当の魔物同士の戦いにはなんとか平等に戦う事が出来ていた。とは言っても、戦った事は片手で数えられる程しかないが。

『「勝負、開始!!」』

二人が叫んだ呪文が、二体と共鳴するように技が発動しだし、ぶつかったと共にその場には爆風が舞い上がった。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -