『―今、今勝敗がつきました…!なんと、またしても新チャンピオンの誕生だーっ!勝者は、』
プツリ、そこで私の眼前に映し出されていた何度となく繰り返して見たその映像が、赤いマニキュアに飾られた白い指先によって途切れさせられた。
「レッド…ねぇ」
背後から聞こえた胡散臭い声は紫の頭をちらつかせ、「そんなに気になるの?かつての英雄が」
そう言ったキンと耳につく声は隣で闇に染まった、先ほどまでスクリーンにあったものとは全く違うものに見える赤を揺らした。
「……そうですね」
私は無意識にそれらを横目に見て眉間に力を入れてしまった。



「君が、レッド、ですか?」
そして私は今、このあたりで一番、色々な意味で天国とやらに近い場所で、ある人物を前にしていた。
「……挑戦者?」
そう吹雪の合間を縫って囁くように届いた疑問の声は、耳に残るデジタル機器越しの声とあまりに高低差がなかったことで私を驚かせた。まるで、誰かが彼に流れる時間を奪ってしまったようだ、と。
「ええ、お手柔らかに」


やはり、完敗、か……。ボールを構えた瞬間から、どれだけの時間を要したかと問われれば、本当に一瞬だったとしか答えられない程、たたみかけるような速攻で私の手持ちは全てダウンさせられてしまった。くらりと歪む視界は敗北後特有の物だ。この後トレーナーは真っ暗な視界の中必死の思いでポケモンセンターなんかに駆け込むのだ。しかしこんな雪山だ。よっぽど場数を踏んだ者でない限り麓のセンターまで行くのは無理であろう、と薄れゆく意識の中、私はのんびりと考えていた。

次に目覚めた時、私の視界からあの眩しい程の白は消えていた。代わりに現れたのは到底見慣れないゴツゴツとした岩肌と、先ほどのバトルではお目にかかれなかったリザードンの尾の先に灯る焔だった。
「……普段、あなたみたいな人は、七匹目の…彼女に、テレポートで送って、もらうんだけど、」
そして、どこからともなく先程も聞いた囁くような声が生憎今はここにはいなくて、と途切れがちに綴った。少し首を横にずらすと暗闇に浮かび上がる白すぎる肌と、流れる黒髪が見える。

「あなたは、」
無意識に言葉を紡ぐ私の頭とその奥で不覚にもソレ、を美しいと思ってしまったあり得てはいけない思考回路をどこか遠くから傍観し、尚も止まることなく私の舌は回り始める。
「ずっと、ここに居るんですか?こんな人の住めそうにない明かりもなければ人々からの憧憬も賞賛もないこんなところに、」
それまで沈黙を守っていた彼の唇が微かに震えた。何かと思いピタリと口を噤んでみると
「……リベンジなら受ける、けれど、あなたは…その前に、もう少し、ポケモンを大切に、する、べきだ」
と、小さく遠慮がちに、途切れ途切れに、しかししっかりと言葉を紡いだ。きっと先程唇を震わせた言葉とは違うであろうものだが、確かに返ってきたそれに、なるほど彼の人との接し方はこれで合っているらしいと確信した。
「今日の手持ちは私のポケモンではないのですよ」
やっと返ってきた言葉に無意識に弁解のような言葉を返してしまった私は、あの伝説のような人に対抗でもしようとしているのか…なんて馬鹿らしい。
「明日には他の方の手に渡るでしょうね」
「………そう」
なおもその時間の大半を沈黙へ使う彼はどうして私の口をよく滑らせた。そして、彼が発したまた少し違った質の沈黙は、私が滑らせてしまった言葉の意味を読みとってしまったことを示していた。しかし、数年前、悪の大組織を解散へ追いやったかつての英雄は、あろうことか明日には売買されると言ってしまったも同然の私の言葉を居心地の悪い沈黙とたったの二文字で片付けてしまった。ああ、彼にも何かがあったのだろう。理解するにはあまりにも明確すぎるヒントであったそれをもう一度咀嚼して、私は彼に敗北をきしたあの大きな背中を思った。目の前のこの少年をえらく気に入って、負けたから、と言って気持ちの悪いくらい素直に一団を去ってしまったあの人を。あの人が陶酔し、全てを奪われたあまりにも我々とはかけ離れた純粋過ぎる赤を。

しかし、私がそうやって過去に浸っていると、ワンテンポ遅れて
「…ここから、トキワはよく見えるんだ」
と、やけにはっきりとした声が辺りを震わせた。私がそう感じたのは間違いなく、明らかな変化をもって彼の持つ空気が張り詰めた。
「……トキワ?」
不意をつかれた上にあまりにも脈絡のなかったその話題に私は少し間抜けた声を出した。しかし一瞬後、冒頭のスクリーンの映像が私の脳裏を駆けた。ああ、そういえば。
「…あそこは、緑が綺麗ですね、」
私は起き上がって上体を捻り、真っ白な山の向こうを眺める赤い背中にそう返す。私が示した常緑の街を眺めているであろうその背中は顔だけをこちらへ向けて、強く輝く赤をちらつかせた。
「私は今度、あちらで再出発をしようと思っていましてね」
ぞくりとまるでその赤に飲まれる感覚を味わった私はわざと、きっと本能的に彼とは逆の方角を向いてそう言った。その意味を理解したらしいその人は不気味な程美しく微笑んでみせて、
「……そらをとぶ、を覚えているポケモンは?」
と聞いた。ヤミカラスが、と私が答えると彼はげんきのかけらと呼ばれるものを投げてよこして、それなら帰れるね、ともう一度微笑った。
なんとも違和感をぬぐえない話だが、なるほど彼は全てを守りたいなどという少年の幻想をあの煌びやかな玉座に捨て置いてきたらしい。たったひとつに手を出さない限り、私達にも手を出さない、と。一見弱みを教える行為に思えるそれは、頂点だからこそ提示できる取引であった。

私が宙を飛ぶヤミカラスに連れられ、下の白銀の世界に浮かぶ赤をもう一度見ると、いや当たり前なのだが、何故だかとても、小さくなってしまった気がした。



かつての英雄と下っ端の話












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