利己主義者Nの献身
- ナノ -


雪の華の満開の下




む〜ねの、奥のも〜どかしさ〜、ど〜すればいいの〜。遠いゆ〜めが見えなくなったよ〜。慰め〜の言葉なんて〜、心にと〜どかない〜かぜ〜。

…ああ、あのエンディングめっちゃ好きなんだよね〜。あ、知ってる?ふしぎの海のナディア。リアタイで追ってたんだけどさぁ、飛行機をみんなで追い掛けるシーンがまさか最終回のラストと繋がってるとは思わなくてさぁ…『それじゃ、またね!』の後がエモすぎる〜〜。勿論オープニングもいい。愛はjewelより〜すべてをか〜がや〜かす〜。……庵野○明監督、やっぱサイコ〜〜〜。まじリスペクトっすぅ。

コンコン、とドアがノックされる。私は手にしていたマイクを置いて、スン…とした顔をした。入って来た店員さんがジュースを置いて行ってくれる。閉まるドアを確認してから、歌い直しボタンぽち〜〜っ。……え?あるあるじゃない?熱唱してるとこ店員さんが入って来たら、恥ずかしくてチベットスナギツネみたい目にならん?そんでちゃんと歌いたいから、もう一回最初から歌うの。……私だけじゃないよね?

グーテルモルゲン!皆さんお元気?シュネーでっす!お分かりだと思うけど、現在カラオケ店にて三時間ボックスコース絶賛熱唱中でござい!日本の文化ってやっぱサイコー!ただのカラオケ店なのにご飯が美味しい!アニソンめっちゃ入ってる!嬉しい〜〜〜っ!

……旦那と弟がブルーロックで頑張ってるのに何してるんだお前って?……仕方ないじゃん。この間は例外で入れて貰えたけど、基本ブルーロックは部外者立ち入り禁止で、女人禁制!…か、どうかは分かんないけど、帝襟アンリちゃん以外が泊まれるスペースなんてないのだ。…え?ノエルの部屋?一緒に泊まればいいって?……で、出来るかいそんなこと!恥ずか死ぬ!

…ってなわけで、当初の予定通り、るんるんと日本の観光を楽しんでいる真っ最中だ。えっと、スペイン、イングランドと試合が終わって、後はイタリアとフランス…各試合までは十日間あるから、約二十日はノアとミヒャは日本にいることになる。私はそれまでは自由に過ごして、全部終わったら一緒にドイツに帰国する予定だ。あ〜〜〜、楽C〜〜〜〜!!次はどこ行こうかな〜渋谷と新宿も行きたい!あと秋葉原!

…ぼっちって言うな。一人でも全然楽しめるタイプのオタクなんだよ私は。…でも、フリーダムに過ごしているように見えて、実は結構制約もある。ミヒャは毎朝毎夕に電話してくるし、ノエルはノエルでメッセージの通知が凄い。何処に行くとか、ホテルに何時に着くとか、報・連・相が日本に滞在するための必須条件になってしまったのだ。……だからイヤだったんだよなー、知られるの。暇なの?……意外と束縛しいなんだよな。心配性っていうか、過保護っていうか。

あ、噂をすれば。……何処にいる?って…。えっと、カラオケ……っと。わ、返信はや。だから暇なの?マスターストライカーでしょ?選手見てあげなよ…。ぎゃ、電話かかって来た。もー!

「…もしもし?」
「何処にいる?」
「だから、カラオケよ。…ええと、池袋」
「あまり出歩くな」
「大丈夫よ、心配性ね」

あんまり神経質だと将来禿げるよ?

「お前を一人で出歩かせると碌なことがねェ」
「失礼ね」
「早くホテルに戻れ」
「用事が終わったらね」
「用事って?」

聖地巡礼かな。もしかしたら池袋最強の男に会えるかもしれないじゃん?いーざーやーくーんー、ってか?

「……色々?」
「今回は程々にしておけ。……今度のオフシーズンには、観光に付き合ってやる」
「え?」

え?いいの?…サッカー大好きでサッカーのことしか考えてないノエルが?天変地異の前触れ?明日、地球滅ぶ?

「いいの?」
「…普段放っておいてる自覚はある。ハネムーンだと思えばいい」
「別に放っておかれても、貴方の事愛してるけれど?」

確かにハネムーンも行ってないけどさ。そんなサッカーバカのノエルのこと愛してるから、別に気を遣ってくれなくてもいーんだけど。そう言うと、電話口の人は無言になった。あ、こりゃ照れてるな。ノエルは照れてると一層寡黙になる。口をむすっと引き結ぶんだけど、ちょっとだけ目元が赤くなって、可愛いんだこれが。

…わー、見たかったー。テレビ電話にしちゃおうかな。いつもハグとかちゅーとかしてくるのはノエルのくせに、私が愛してるとか言ったらすげー照れんの。え〜〜〜、世界一の男、可愛過ぎるでしょ〜〜〜。

「…………何処に行きたいか言え」

あ。誤魔化した。…えー、行きたいとこかぁ〜。…んーとねェ。

「ディズニー」
「あ?」
「ディズニーに行きたい」
「…アメリカか?」
「日本の」
「わざわざ?」
「うん」
「……お前が行きたいなら、どっちでもいいが」

うん、ディズニー行きたいんだよ。夢の国。でもノエル、一緒に行ってくれるかなぁ〜と思ってたんだけど、あっさりオーケーが出た。え、ホントに?うわ、頑張って変装させなきゃ!バレた暁には週刊誌の表紙を『ノエル・ノア、お忍びでディズニー旅行?!』の見出しが飾っちゃう!オッケーしてくれるなんて予想外過ぎる〜〜〜!わーい!カチューシャ付けさせちゃおう!

「次のオフシーズンなら、十二月ね」
「あぁ。……寒い時期だ」
「…そうね」

ちょっとしんみりしたようなノエルの声に、私もつられてセンチメンタルになっちゃう。…寒い時期だ。十二月…ヨーロッパは、特に寒さが極まる頃。きっとまた、多くの雪が降るだろう。私達にとっては、思い出深い季節。


―――出逢った頃も、雪がしんしんと降り始めた、寒い日だった。



************



突然だけど、私は死んだ。…ホントに突然だけど、そう、死んだのだ。…死因は、何だったかな。目の前に飛んで来た虫に吃驚してこけて石で頭を打ったとかとか、そんなコントみたいな死に方だった気がする。……一緒にいた友達がトラウマになっていないことを願うばかりである。

…まあ、それは置いといて。死んじゃったものは仕方ないと、生来楽天的な私はあっさり死を受け入れた。そりゃ親不孝だとは思うし、呪術界最強の男の青い春がリアルタイムで見られなかったのは残念だけど…。あー見たかった!天上天下唯我独尊…、と『私に従え、猿共』が観たかった…!!

でも、ただ死んだわけじゃなかったんだよねー。うーんと、某小説サイトとかで有名な、転生ってやつ?テンプレチートは持ってなかったけど。何で?魔貫光殺砲くらい出させてくれよ。獅子咆哮弾でもいいよ。…また話は脱線した。まあ、つまり、私は私としての意識を持ったまま、再び生を受けた。

「そう、上手よ、シュネー。とても綺麗に出来ているわ」
「はい、Mami」

私の今世のマミーは、とても美人だった。緩やかなシュミーズドレスを着た、プロポーション抜群の絶世の美女。前世だったら街を歩いてただけでモデルとかにスカウトされちゃうんじゃない?ってくらい綺麗。娘の私でも見惚れちゃうくらい。……なのにどーして私の顔は前世と同じくぱっとしないのか…?こんなところまで前世と似なくていーってば。父親か?父親の顔がぱっとしないのか?おのれ遺伝子め。

マミーに教えて貰いながら、チクチクと刺繍を進める。彼女の手元にあるのは、機械で作った?と思ってしまうくらい精緻で美しい刺繍の入ったハンカチ。この上編み物は出来るわ小物もお茶の子さいさい、挙句の果てには服まで作ってしまうのだからマミーの器用さには恐れ入る。私も日々精進だな。

そうそう、呼び方でも分かると思うんだけど、ここは日本ではなかった。Mamiはそれこそ、マミーと読む。そんな呼び方をするなんて、外国だと理解して貰えるだろう。そう、…ドイツだ!ドイツ人ってドイツ?なんて寒い親父ギャグのためじゃないぞ!ホントにドイツ。ビールとソーセージが有名だね!

でーもー!ヴルスト〜やじゃーがいも〜なんて邪道だっ☆…そりゃイタリアの歌か。…こほん。えっと、あと有名どころだと、フランクフルトとか?いや食べる方じゃなくて、クララが立った!の方ね。しがない女子高生だった私はとんと海外なんて縁がなかったから、ヨーロッパの位置関係がよく分からん。ドイツってどの辺?

「シュネー、貴方はもうすぐSchwesterになるのよ」

な、何だって〜〜〜?!……しゅべすたぁって、何???

八歳を迎えたある日、母は嬉しそうに微笑んでそう言った。私は今は心の母国となった日本語、ドイツ語、教育の一環として英語もそこそこ喋れるマルチリンガルになっていた、けど、その単語には縁がない。学校にも通わず、豪勢な離れのような邸で家庭教師から勉強を教えて貰ってるので、余分な知識というものが全くないのだ。…普通のドイツ人の暮らしぶりが分かんないんだけどさ、多分普通ではないよね?身の回りのものとか、見るからに高級そうだし…知らんけど。

まあ、それはどうでもいいのだ。Schwesterってなあに?と幼女らしくぶりぶりかわい子ぶって聞いてみる。マミーはうふふ、と笑った。何だその微笑み惚れてまうやろが。私の手が、母の腹部に導かれる。何ぞ?

「ここにね、貴方の弟か妹がいるの。……優しくしてあげてね」

………な、何だってーーーー?!!?!今度こそ、フリではなく私は驚いた。

マミー、妊娠しとったんか!!人の母になるのか、その若さと美貌で!……あ、そうか、私もマミーの子だったね。あまりにも若々しく美しい淑女っぷりに、たまに忘れてしまうのだ。マミーはふわふわの笑顔をして、私の手とお腹を包んでいる。……Schwesterは、お姉ちゃんという意味らしい。弟か妹?何それ美味しいの?とは言うまい。ひえ〜〜。前世には弟妹なんていなかったからドキドキだぁ。ちゃんとお姉ちゃん出来るかなぁ。

と、ワクテカと待つこと、約半年。

―――私は生まれて初めて、天使というものを見た。

「……ぅみゃ、…」
「………」

むにゃむにゃと言いながら、ベビーベッドの上でむずかる小さな存在。


……
………えっ、天使???

……あっ、違う。弟弟。私の弟だった……危ない、あんまり可愛い過ぎて天使かと思っちゃった……。間違えた、なんて人騒がせな愛らしさ……天使が地上に舞い降りちゃったのかと……。

ふるふる、と緩く首を振る。ウェディングドレス姿のナミさんを女神と間違えちゃったサンジくんの気持ちが分かるようだ。無理もない、ほんっと無理もない!こんなに純白が似合うのは、ナミさんか米かうちの弟くらいだ!白いおくるみが似合い過ぎる。ほんと、私が間違えちゃうのも仕方ない!

…と、待ちに待った時間を経て、母は小さな男の子を出産した。早く生まれたゆえにちょっと小さいけど、それでも元気に産声を上げて誕生した赤ちゃん。私は飽きもせず、四六時中その子を眺めて過ごしていた。あんまりにもベビーベットにへばりついているから、乳母さんにくすくすと微笑ましそうに笑われてしまうくらい。こないだは「勉強が疎かになっているようですね」と家庭教師に怒られた。……ごめんなさい、ゆるちて。

だって、だってだって。ミヒャエルと名付けられた男の子は、間違いなく母の遺伝子を正統に受け継いだと一目で分かる、キラキラの金髪と美貌を持って生まれた、至上の存在だった。

ほへェええええ〜〜〜。……知らなかった。赤ちゃんって、こんなに可愛いんだ。むにゃむにゃと動く口が可愛い。きゅっと握り込んだ手が可愛い。たまに蹴れ蹴れ、と跳ねる足が可愛い。いやもう、全部可愛い。全身から可愛いが溢れている。可愛いの化身。可愛いの権化。ちゅきちゅきらぶりーちゃん。

「……ミヒャ」

弟の愛称を唇に乗せて、つんとその頬を突く。…弟の名前は、ミヒャエル、といった。母が付けた名だ。えっと、英語圏でいえばマイケル、フランス語ならミシェル、と呼び方は変わるのだけれど、名前の由来は、言わずと知れた聖書に登場する大天使ミカエル。神に最も近いとされる、すべての天使達のリーダー。…すげー大それた名前と思うなかれ。欧州は多くの宗教が発祥した地、歴史柄ドイツはキリスト教とも縁深く、それに肖った名前を付ける人は多い。

だから、日本でいったら、太郎とか、健太とかさ。…ちょっと極端かもしれないけど、ニュアンス的にはそんな感じ。ドイツでは最も多いと言われるほど、ありふれた名前でもあるのだ。……でも、それにしたってさぁ。…名は体を表すとは、昔の偉人がよく言ったものだ。……本物の天使と言われても納得出来るほど、ミヒャは愛らしく、また神々しかった。後光が!後光が!微笑みはアルカイックスマイル!!

あまりの神聖さに溶けそうになりながら、えいえい、と今度は掌を突いてみる。……きっ、汚くないやい!ちゃんと洗ってるもん!大丈夫だもん!と誰にしているのか分からない言い訳をしながらも、触らずにはいられない。……あっ。

反射的なのか、ミヒャがきゅっと私の人差し指を掴む。………ほへェ。

「あらあら。ミヒャはお姉ちゃんのことが大好きなのね」
「………」

―――間違いなくあなたは、私の天使だ。

………弟?何それ美味しいのって言うまい、と言ったな?…あれは嘘だ。

………弟って、美味しい……!

うえェええぇええ〜〜〜ミヒャ〜〜〜〜〜お姉ちゃんのこと好きなの〜〜〜〜?私も好き〜〜〜〜めっちゃ好き〜〜〜!!え〜〜、弟って概念だけでご飯十杯は食べれる〜〜〜弟(概念)が美味しい。健康に良い。推しは健康に良い。よし、今日から君は私の推しの子だ!!君は完璧で究極のアイドル!同担拒否どころか同担大歓迎!推す、一生推す!!ついて行きます、一生………!!

温かく、小さくも力強い掌を感じた時、私は誓った。私は、お姉ちゃんだ。お前は誰だと問われたら、一番最初に答えよう。「私はミヒャのお姉ちゃんだ」と。それ以上でも以下でもない。この小さい存在は、全てを懸けても惜しくないどころか、全てを懸ける価値のある存在だった。ミヒャ、私の推しの子よ!いと尊き存在よ!

私は……
―――全力で、お姉ちゃんを執行する………!!!

じーん、と動きを止めた私を見て、またくすくすと母達が笑った。…恥ずかしくないもん!お姉ちゃんだもん!

「まって!」
「……ミヒャ、お姉ちゃんは今からお勉強…」
「まつの!」
「………」
「……だっこ!」

イエス、サー!!…歴戦の軍人なみの敬礼をびしっと心の中でかまして、くるりと踵を返して、サーの御所望通り抱っこをする。びしっと家庭教師のこめかみに何かが浮かんだみたいだけど、知らん、知らん。……ミヒャぁ、またちょっと重くなったぁ?なったぁ?……あ〜〜〜ん、可愛い〜〜〜。可愛いの天元突破ぁ〜〜〜。

あれから二年。寝返り、ハイハイ、掴まり立ちを経て、最近はてちてちよく歩くようになった我が愛しの弟、まいえんじぇるミヒャエルたんは、すくすく成長中である。あ〜〜推しが元気で今日もご飯が美味い!美味い!美味い!…これは煉獄さん。

抱っこして微笑むと、ミヒャは望みが叶って嬉しいのか、ほにゃあと笑った。そして、私の髪の毛をくいくいと引っ張って来る。うんうん、いくらでも引っ張っておくれ。ハゲにしちゃってもいいよ。…ちょっとほっぺたが赤いけど、大丈夫かな?熱あるのかな〜と心配になる。ミヒャは早熟のまま生まれて来てしまった影響か、少しだけ身体が弱い。体調を崩すことも多いので、母も私も乳母さんも、よくあわあわしているのだ。

「…ミヒャエル様、シュネー様は今からお勉強でございますよ」
「やっ!」
「お相手致しますから、こちらで遊びましょう?」
「やぁ!」
「ミヒャエル様」
「やぁらぁああああぁあああぁ〜〜〜〜っ!!!」

痺れを切らした家庭教師に命じられ、使用人の女の人が、私からミヒャを受け取ろうとする。あ、でも…と言おうとするも、もう遅い。ひょい、と脇に手を入れて抱かれた瞬間、ミヒャは可愛い顔を歪めて、ぎゃ〜〜〜〜ん!と泣き始めた。ぎゃん泣き。正にぎゃん泣きである。あ〜あ、だから言わんこっちゃない。

後ろ髪を引かれるけど、チラチラミヒャを窺いながら、仕方なく自室に戻る。振り返って見えるミヒャは両手足をバタバタさせてむずかっていた。おおおお、活きが良いなぁ。と、微笑ましく見ている場合じゃないんだろうね、抱っこしてる当人としては。

「ミヒャエル様は相変わらずですね。先が思いやられます」
「はぁ」

えー、そうかなぁ。生きてるだけで丸儲けじゃん。私はミヒャがこの世に存在してくれるだけで幸せですけど??と言いたいけど、怒られそうなので心の中に留めておく。

まあ、ちょっと大丈夫かなぁって思うこともあるけどさ。ミヒャはあの通り、癇が強く、癇癪持ちだった。雨の日とか、風がちょっと強い日は特にひどく泣くし、私と母、かろうじて乳母さん…以外にはまったく懐かず、抱かれただけでああして泣き喚く。眠たくてもぎゃんぎゃん大声で喚き、目が覚めた時その三人以外が傍にいないとまた泣く…と。

感受性が強く、色んなことを敏感に察してしまうのに、生来の性格なのか、ひどい癇癪持ち。……うーん、これ本人が一番キツイんだろうな…と、私なんかは思ってしまう。気圧の変化一つ、天気の移り変わり一つ、人の入れ替わり一つ、誰もが気付かず通り過ぎてしまうような、些細な日々の変化それぞれが、ミヒャにとっては大きな変化なのだろう。感じ取ってしまうから苦しいのに、安心出来る相手も少ない。

なのにこうして、他人には「我儘だ」「甘やかし過ぎ」「先が思いやられる」なんて心無い言葉を向けられる。使用人の中にも「ミヒャエル様のお世話は疲れる」「シュネー様はもっと落ち着いてた」なんてミヒャの前で堂々と愚痴をいう人もいる。……我儘じゃないよ。ミヒャが一番辛いんじゃないか。好きで泣いてるわけじゃないじゃん。…と、使用人を蹴飛ばしたことがあるので、私もやべェヤツだと思われてる節があるけど、構うもんか。ミヒャの悪口を言う奴ぁ私が許さん。

せめて私達だけはって、思って何が悪いのさ。味方がいないなんて思ってほしくない。安心して身を任せる相手が傍に居てあげるだけでいいじゃないか。甘やかし上等じゃい。私は私のすべてを掛けて、ミヒャを甘やかすのみである。…これが私の、全力全開っ!!!

………一先ず、目下の目標、ドリルを倒さなければ。廊下から響く弟の泣き声をBGMに、せっせと問題集を解く。どやあぁ!と差し出して、溜め息混じりにオッケーを貰った私は、ぴゅーっと風のように子ども部屋に向かった。ミヒャはカーペットの上に一人座って、ほっぺと目を真っ赤にしてぐずぐずと泣いていた。玩具が散乱しているので、多分、あやそうとしたんだろうな。結果は推して知るべしだけど。

「ミヒャ、遅くなってごめんね」
「…!!!……しゅべすたぁ〜〜〜」
「よしよし」

私を見つけて、ぱあ、と表情を明るくするミヒャ。うんうん、お姉ちゃんですよ〜〜〜。あー、こんなに泣いちゃって、可哀想にねェ…。生憎今日は母も乳母もいなかったのだ。うんうん、一人で我慢してて偉いね。今からはお姉ちゃんといようね〜と、膝に乗って来るミヒャを抱っこする。だっこ!と舌足らずに言われるのが可愛い。うん、ぎゅ〜しようねェ。

一緒にお散歩したいとこだけど、うーん。この時間帯はな〜と時計を見る。以前私達が住んでいるのが豪奢な離れ、という話をしたと思うんだけど、ここは正しく離れらしい。離れということはつまり、本邸があるってことで。……まあ、分かると思うが、私達親子の立ち位置は、そんな感じらしい。ほら、なんていうか…悪役令嬢もののお話でよくあるような?そんな感じ。うん。…察してくれ。

私達が部屋に押し込められている時、たまにこの邸を訪れる、一人の男性。……恐らくあの男が、私とミヒャの父親なのだろう。一度だけ廊下に出て、対面したことがある。…ミヒャと私と同じ、サファイアの、鋭い瞳をした人。ぞくり、と背筋が粟立ったのを覚えている。私が娘であることは分かっているだろうに、なんて冷たい目で見るのだろうと思った。まるで路傍の苔むした石を見るような、酷薄な瞳。慌てて部屋に引っ込んで、どくどくと脈打つ心臓を押さえた感覚は今でも思い出せる。

……階下を覗き見ることでしか、まともに全身も見たことがない人。…正直父親だなんて微塵も思えないのだけれど、母は父のことを愛しているようだ。訪いがあった日は、少女のように頬を赤らめ、父から貰ったらしいネックレスを握り締めている。……あんな人より絶対良い人いると思うんだけど。女心って分からん。

…ま、それは置いといて。なぜ散歩に出れないかっていうと、庭にね、いるんだよ。…うーん、多分、本妻?の人の子ども達が、きゃっきゃうふふと外で遊んでいる時間帯。そりゃ、異母とはいえ兄妹なんだけどさ…。一度顔を合わせた時、はっきり言われてしまったのだ。ゴミを見るような目で表情を歪めた、年長らしき男の子と、女の子、もう一人男の子。彼等は一様に私を指差して言った。『穢れた血め!』と。

………いや、お前等はドラコ・マルフォイか!!もしくはあれか、スネイプ先生か!

すっげー悪口を言われたんだろうけど、ぽかんと呆気に取られる方が先だった。あれか!マグルは嫌いか!純潔主義か!魔法界のポリティカル・コネクトネスに反してますよ!それは差別用語です!スネイプ先生は大好きなんだけどね、彼の生き様は私の模範で「先生!」と心から呼んじゃうほど素晴らしい愛の人だと思ってますけどね?!でもその呼び方だけは頂けない。

…と、まあそんな感じで、離れに押し込められるようにして住んでいる私達の存在を、本邸の人達は心良く思っていないようなのだ。乳母さん達以外の使用人の態度からしても、言わずもがな。…いや、私は別にいいんだけどね。でも、ミヒャがそんな風に言われるのは我慢出来ない。この子がそんな言葉を聞いて、傷付くのも見たくない。ミヒャに暴言を吐かれた暁には、私は活動限界を迎えて暴走するかもしれない。

だったら初めから接触しないようにするのが賢い選択というものだ。意地の悪いガキ共め、あんな奴等は嫌いだ。肥溜めに落ちて溺れてしまえ、クソガキめ。……おっとお口が悪くなっちゃう。ついつい。

ねー、ミヒャ。お散歩はあのガキどもがいなくなってからにしようねェ。それまではお姉ちゃんと手遊びしよ〜と、せっせっせーのよいよいよい!をしてみる。この子は頭が良いので積み木遊びでも何でも、すぐに職人?!というレベルで積み上げてしまうのだ。智慧の輪とかルービックキューブとか、今度用意して貰おうかな〜。

何てことない、穏やかで、長閑な日々を謳歌している筈だった。素敵な母と、可愛い弟と、優しい乳母さんと、僅かな人の中に囲まれているだけで満足で。この緩やかな囲いを出るなんて、思ってもいなかった。

母は私が知る限り、最高の女性だった。いつも笑顔を絶やさない、優しい人。愛情深くて、自分より他人を気にしている、そんな人。


―――一緒に逃げようと、そう言えなかったのを後悔したのは、母が死んだ日のことだった。


あっさり、本当にあっさりと、母は死んだ。私は泣き崩れる乳母さんに、その事実を聞かされて、茫然とした。棺の中の母は、その透徹な美貌を永遠のものとして、眠るように目を閉じていた。綺麗だなぁと、場違いな感想を抱く。……父は、葬式には来なかった。

父が参列しなかったことがショックじゃないといえば、嘘になる。なるけど、まあ、そうだろうなと思っていた。語り聞かされたことはなかったけど、父と母の関係は、多分まあ、そういうことで。ほとんど世捨て人のように隔絶された生活を送っていれば、嫌でも分かる。―――母と、私と、ミヒャの存在を好ましく思わない人は、この世に確かにいる。

三歳になったばかりの幼いミヒャが、小首を傾げながら私の手を握る。段々見えなくなっていく棺と私を見比べている。あの優しい母が死んだということすら、きっとまだこの子は理解出来ない。私はミヒャを見て笑った。……右手に残る温もりだけが、私を現世に繋ぎ止めてくれている。……負けねーぞ、コノヤロー!!

……おっしゃーーーーー!!!!

ミヒャ、安心しろ!!Don’t worry!!お姉ちゃんがついている!!

お姉ちゃんが、絶対に君を守ってみせる!!!

お姉ちゃんと一緒に、あらま飛んでったあばんちゅーるだぁあああぁああっ!!!

後から思い出すと、顔から火が出そうなほど恥ずかしいけど、あの時は私も突然の喪失感と、怒りとか絶望とか不安とか、色んな感情で可笑しくなってたんだと思う。最高にハイ!!ってやつだ。乳母さんが持たせてくれたお金と貴金属を手にミヒャと共に家を出る。このままここにいても、良いことにはならないのは分かり切っていた。最悪な結末にもなりかねない。渋る乳母さんを半ば無理やり説得して、彼女の手引きのお陰で、私とミヒャは無事国境線まで辿り着くことが出来た。

「…お嬢様、本当に行かれるのですか?」
「うん。…ここまで連れて来てくれてありがとう」

ライン川を挟んでドイツとフランスを繋ぐミムラムの歩道橋の前。そこで、私達は向き合っていた。もうお分かりと思うが、私の目的地はフランス、花の都パリである。お〜、シャンゼリゼ〜ってやりたいわけじゃないよ。…まあやりたい気持ちはあるけど。

フランスを選んだのは一応、理由がある。ドイツの隣国というのは勿論だが、とある協定があること、その歴史的背景から、移民に対する理解と保護が厚いことが一番の理由だった。

日本は島国なので馴染みはないかもしれないが、大陸にある国は大抵陸続きで、船がなくても歩いて国境線を越えることが出来る。とある協定というのは、簡単にいうと検査なしで各国の行き来を許可しますよって協定だ。つまり、パスポートや身分証の類がなくても、出入国検査で阻まれることがないのだ。方法は色々あるが、このミムラムの歩道橋は、歩いてドイツからフランスへ渡ることが出来る橋。少しでもお金を節約したい私達にはうってつけだ。

もう一つ、みんな『ベルサイユのばら』は知っているかな?そう、宝塚でも有名なベルばら。私は断然オスカル様派だ。…それはおいとくとして。その物語が佳境を迎えるのは、歴史の授業でも習うフランス革命の勃発。今でこそ市民の権利は向上し、当たり前に認められてるけど、王政が敷かれている中、市民の手で政権を打倒したというのは、当時は世界中を揺るがすビックニュースだったのだ。その為、現代においても生まれながらの自由と平等、友愛という精神が強く根付いてる…らしい。自然、移民も多くなる。

私だって、誰の庇護も受けずに幼いミヒャと二人、暮らしていけるとは思っていない。であれば、後ろ盾は必須。それが国であるならば、言うに及ばず。…ってわけ。検査なしに出国出来て、保護基盤の厚い国。そこを目指さでどこを目指す!今の私からすれば、フランスはガンダーラみたいに思える。何処かにあるゆ〜とぴあ〜。

「やはり、私も…」
「いいの。あなたを巻き込むわけにはいかない」
「ですが、お嬢様…」
「…あそこにいて、私達が平和に、穏やかに暮らせると思う?」
「………」

答えがないのが、何よりの答えだ。私を路傍の石のように見つめたあの男は、母がいなくなった今、尚の事あの離れを訪れることはなくなるのだろう。母は健康体で、病を思わせる兆候はなかった。事故だと聞かされても、その詳細を明かされなければ疑念は残る。……母の死が偶然なのか、誰かが仕組んだ必然なのかは、確かめようがない。だけど、そうなのではないかと思わせる悪意があるのだけは、疑いようのない事実。

私は全然いいけど。人生二回目だし。…やっぱウソ。めっちゃやりたいことある。前世で出来なかった青春謳歌したい。…煩悩塗れな私はともかく、ミヒャは。……ミヒャだけは、って思うのだ。この子は特に、男の子だし…欲しくもないもののせいで、自由も安全もない環境には置きたくない。フランスは自由の国だ。私はそこに、ミヒャの未来を見ているのだ。

「ありがとう。私とミヒャは、大丈夫。…大丈夫だから」
「………。では、フランスに着かれたら、まず公共施設に行かれて下さい。保護の際に必要な面接などはパリで行われますが、申請自体はどこでも可能です。望めば、パリまで連れて行ってくれるでしょう。お嬢様達がお二人でパリを目指されるよりは、安全な筈です」
「分かったわ」

え、詳し。そーなん?知らんかった……普通にパリまでの長旅するとこだった。…なんて詰めが甘いんだ私。でも、乳母さんが詳しくて助かった。その通りに致します。こくりと頷くと、彼女はごそごそとポケットを探る。

「それと……こちらも、お持ち下さい」
「これ…」
「………奥様のものです。生憎、これしか手元には残らず…」
「ううん。これがあるだけで嬉しい。ありがとう」

これ、マミーが大事にしてたネックレスだ。わぁ…一緒に埋められたか、取り上げられたとばかり思っていた。言うなればこれは、唯一の形見。良かった。…マミーとの思い出の縁があって。渡されたネックレスをきゅっと握ってから、首に掛ける。大事にしなくては。

「…ミヒャ、挨拶して。今までありがとう、元気でねって」
「?……ありがと!元気でな!」
「……坊ちゃま」

ミヒャは言われるがまま、乳母さんに向かってそう言い放った。しんみりどころかちょっと尊大なところがチャームポイント。うーんやっぱりミヒャはこうでなくっちゃ。三歳になって我儘っぷりに磨きがかかってるって?そんなこと言うのは誰かな?可愛いから良いんだよ!

その証拠に、そんなミヒャの言葉でも乳母さんは泣きそうになって、てか泣いちゃって、屈み込んでミヒャを抱き締めた。?と首を傾げてもされるがままのミヒャ。……やだ、なんか泣きそう。そのあと、私のこともぎゅっとしてくれる。マミーがいなくなってからは失ったと思っていた温もりだ。…嬉しいなあ。

「……じゃあね」
「………はい、お二人とも…どうかお元気で」

もみじのように小さなミヒャの手をぎゅっと握る。この手だけ離さなければ、私は何も要らないのだ。そのまま乳母さんに小さく手を振って、橋の上を歩き出す。少し風が冷たいかな。景色を楽しめるほどの余裕はないつもりだったけど、こうみてみると圧巻だ。考えてみれば、邸に缶詰で折角欧米にいるのに何も見れてないからなぁ。

「…しゅべすたぁ、このお水なあに?」
「これは川って言うのよ」
「川?」
「うん。……これからは色んなものを一緒に見ようね、ミヒャ」

欄干の間から、光を受けてキラキラ光る水面を興味深そうに見つめているミヒャ。前世の記憶がある私と違って、ミヒャにとっては全てが新鮮な筈だ。感受性が豊かなミヒャは、何が好きだろう。将来は何になるのかな。画家とか、芸術家とかかな〜と想像を膨らませる。ミヒャは私の言葉に、うん!と大きく頷いた。ぎゃわいい。

チラっと後ろを見ると、すっかり米粒みたいな大きさになってしまったけど、乳母さんはまだそこにいた。…こんな別れ方になってしまったのは、本当に申し訳ない。生活が落ち着いたら、いつか逢いに行ければいいな。

私とミヒャは「せーの」で橋の真ん中に当たるであろう切れ目を大股で飛び越える。訳が分からずとも、ジャンプしたのが面白かったのか、きゃはは!と楽しそうなミヒャの笑顔が可愛い。

守りたい、この笑顔。てか一生守る―――!!

なんて誓いを新たに、私はもう一度ミヒャの手を握り締めた。

さらばドイツ。こんにちはフランス。


―――我が弟の、輝かしい未来のために!!



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