利己主義者Nの献身
- ナノ -


世界一の男とその嫁のスローライフな日々



チチチ、と聞こえるのは鳥の囀り。微かに開いたカーテンの隙間から差し込む光で、目が覚める。…あう、なんか寝過ごした気がする…。身体も怠いし…、と上半身を起こす。私の不調の原因を作った張本人は、既に隣にはいなかった。まあ、いつものことである。私、ノエルより早く起きたこと全然ないなぁ。どんなに疲れていても、ノエルはめちゃくちゃ規則的に同じ時間に起きるから、体内に時計があるんじゃないかと疑っている。実は背中にチャックあったりして。

と、冗談はさておき。ぐーてるもるげん!シュネー・ノア、始動!と自分にやる気エンジンを掛けてベッドから降りる。さっとシャワーを浴びて着替えて、薄く化粧を施すと、足早に家を出る。急げ急げ〜。早く行かないとなくなっちゃうぞ〜。

ってなわけで、今日は私の一日ルーティンを紹介しちゃうぞ!気分はユー○ューバーだ!

ドイツ、バイエルンの州都、ミュンヘン。ドイツが誇る都市の中でも三番目に大きく、人口も150万人を超えるビッグシティ。古くから観光地として有名で、美術館や博物館も多い。シンデレラ城のモデルになったと言われているノイシュヴァンしゅちゃ……ノイちゅ、……ああ、言いにくい!ノイシュヴァンシュタイン城も、ミュンヘンにある。一回言ったけど、深い森と湖がマジディズニーって感じでめっちゃいいんだこれがー。

そのミュンヘンから、少し離れた郊外の町。…そこに、私とノエルの住む家はあった。

まるでお伽噺に出て来る家みたいな、可愛い外観をした煉瓦造り。外壁に木軸が見えるのは如何にもドイツっぽくて、大のお気に入りである。家全体を囲うお洒落な塀と植木も拘り抜いている。んでもって、庭は芝生全張りの贅沢構造。豪邸!って感じではないけど、坪面積でいえば相当あるし、一から十までほとんどこっちの意見を通したフルオーダーだから、建てるのには目の玉飛び出るくらいのお金が…。ひえー。

実は、元々はミュンヘンに住んでたんだけどね。もープールとか付いたでっけェやべェ豪邸。何だけど、部屋数も多いし広すぎて落ち着かないし、引っ越したい…とぽつりと呟くと、そんな私の意見とプライベートをメディアに荒らされたくないノエルの意見が合致して、じゃあ家建てるか、と相成った過去がある。

いや、それもどうなんだ?そんな簡単に家建てるなんて…と思うけど、年俸が凄まじい名門クラブトッププレイヤー様は、至って本気だったらしい。あーそれいーじゃーん、いつか建てたいね〜とあんまり本気にしてなかった私は、言うだけならタダだと理想をこれでもかと詰め込んで語っちゃった。…うん、アホでしょ?……その次の日にはバスタード・ミュンヘンと縁のあるファイナンシャルプランナーを連れて、本格的に家を建てる話をしてきた時は、流石にコイツふざけてんのかと思ったけどね。

土地はどこにする?じゃないやい。ミニチュアじゃないんだからそんな簡単に家建てようとしないでよ。シルバニアファミリーのおウチじゃないんだぞ。人生ゲームで『家を建てる』って選択肢が出るくらいの気軽さだわ。……って、突っ込みたかったんだけど、プランナーさんの見せてくれるモデルケースが可愛くて素敵すぎて、はわわわわ…と夢中になってしまった私が一番ふざけてる。…オレハ……ヨワイっ!

それでも、憧れのマイホームには違いない。住み始めると快適さに慄いた。ミュンヘンと違って、ここは自然も豊かでまさに閑静な住宅街って感じ。街中だとノエル、正体バレた時点ですぐ囲まれちゃうからさー…。人の目を気にしないではいられない。ドイツはサッカー大国で、その中でも強豪中の強豪であるバスタード・ミュンヘンのエースストライカーが人気じゃない筈がないのだ。サインくれ!握手してくれ!と圧が凄い。…ノエルはそんな衆目に私を晒したくないらしい。……え、私超大事にされてない?嬉ぴよ。

「おはようございます」
「やあ、おはよう!」

なんてことを考えてるうちに到着したのが、町のパン屋さん。朝七時、開店と同時にたくさんのお客さんがモーニングに並べる焼きたてパンを求めて来る。私もここのパン大好き〜。寄るとついつい大目に買っちゃう。ドイツってパンの種類めちゃくちゃ豊富なんだよ。すごい目移りする。ノエル食べるかな〜。基本朝はシリアル派なんだけど、ライ麦パンはミネラルとビタミンが多いから、たまに食べたりするんだよね。買っとこ〜。

ルンルン気分で家に帰り、私の聖域たるキッチンでお湯を沸かす。あっさごはん〜、あっさごはん〜。フルーツを切ったり、野菜を盛ったりしていると、玄関のドアが開く音がする。暫くして、スポーツウェアに身を包んだノエルがリビングに入って来た。

ワークアウトお疲れ様〜。シーズン中でもシーズンオフでも、ノエルは自己研鑚を怠らない。私よりずっと早く起きて、律儀にノルマをこなしているのだ。超ストイック。朝起きてから夜寝るまで、世界一であり続ける為の努力に休息はない。そこに痺れる憧れる!!

私が一緒にしたら十分でヘバるような朝トレしてる筈なんだけど、ノエルの額にはちょっと汗が浮かんでるくらい。代謝どうなってんの?肺活量もどうなってんの?汗腺死んでるの?…そりゃ90分全力で動き続ける試合に比べたら大したことないんだろうけどさぁ…と半ば呆れつつ朝の挨拶をする。

「おはよう、ノエル」
「おはよう」

………これ慣れないなー。やめない?と思うけど、言い出せなくて早数年。ノエルは朝の挨拶を交わす時、必ず私にキスをする。首に掛けたタオルもそのままにキッチンにやってくると、軽く唇を合わせる。ちゅ、というリップ音が可愛らしく響いて、心なしか満足気に目を細めたノエルは私の頬を撫でてから、リビングを出て行った。多分シャワーを浴びに行ったんだろう。……うー。私は赤くなった頬を押さえた。ノエルにとっちゃただの朝の挨拶と同じなんだろうけどさ……恥ず……。ホント一生慣れない…。

ノエルがシャワーを浴びたら、一緒に朝ご飯。サッカー選手のご飯って気を遣うのよね?と思いがちだけど、うちはちょっと違う。クラブのキャンプとか、遠征の時とか、家にいない時を除けば、ノエルは私の作ったご飯を食べる。お昼はお弁当まで持っていく。そりゃ、私だってスポーツ栄養学について勉強したり、クラブの専門家と話したりするんだけど、とてもアスリート向けの料理を作れるとは思えない。…んだけど、なんかよく分かんないけど、いいんだってさ。……えー、何それ困るぅ。と、思うけど、美味しいって食べてくれるのは嬉しいので、そのままです、はい…。

「卵どうする?オムレツ焼く?」
「ん」
「ちょっと待っててね」

なので、基本的にメニュー構成はノエルに任せてる。パン食べる?って聞いたら、今日は食べるらしいのでライ麦パン。バターはなし。サラダとフルーツは必須。その時々で卵はスクランブルエッグにしたり、オムレツにしたり…あとヨーグルト食べたいって言われたらヨーグルト。飲み物は大体コーヒーかオレンジジュースとかなんだけど、今日はコーヒーらしい。あいあい。私もコーヒーにしよー。

今日の予定とかを簡単に話しながら朝食を終えると、ノエルはクラブの練習場へ向かう。自宅のガレージから登場するのは、某ドイツメーカー社のSUV。真っ黒なボディが、うちゅくちい。…というか!毎回、毎日思うんだけど!ノエルがサングラス掛けてその車乗ると洒落にならないくらい恰好良いからやめてほしいんだけど!!近所のスーパーで迎え待ってて、左ハンドルで颯爽と現れたノエルに「乗れ」って顎で助手席示された時死ぬかと思ったわ!!吐血する〜〜。格好良さで吐血する〜〜〜。

郊外に住んでるので、移動に車は必須である。勿論ノエルにもマネージャーさんはいるので、別に送迎を頼んでもいいと思うのに、絶対自分で運転するんだよなぁ〜。そのお陰(せい?)で、私はすっかりサッカー関係者とは関わらない毎日を送っている。別にいいんだけどさ。

「行ってくる」
「行ってらっしゃい」

運転席側に回って、今度は行ってらっしゃいのちゅー。……これもやめない?と、提案したい。けど、一回凄い目で睨まれたから以来怖くて言えてません。はい。

バイバ〜イ。エンジン音をさせて去って行く車を見送る。さて、今度は私の時間だ。朝食の片付け、洗濯、掃除…と、以前の家と違ってそこまで大きくないので、家事は私一人で全然事足りる。一通り済ませて庭へ出ると、ほにゃあと頬を綻ばせる。えへへ、おっきくなってきたな〜。実は私、家庭菜園始めたの。トマトとか、ハーブとか育ててる。これがまた楽しい。美味しくなってね〜と話し掛けながらお水をあげる、至福の時間である。

あー、思い出すなァ。んん、皆さんご存知と思うけど、私には弟がいてね。これが女神様みたいに綺麗で天使みたいに優しい、もうスーパーウルトラファントムハイスペックまいぶらざーなんだけどね?…コホン。…その子は、ノエルと同じバスタード・ミュンヘンのU-20クラブチームに所属してる。凄くね?美人で優しくて才能にも恵まれてるとか凄くね?……コホン。まずい、気を抜くとすぐに弟自慢が……だってきゃわいいんだもん。

そうそう、そんで前にさ、ミヒャとそのチームメイトと一緒にBBQしたの。なんか憧れだったんだよー。ホームパーティ的なのするの。あの子達もまだまだ食べ盛りだし、お肉の方がいいなって思ってさ。で、勿論ミヒャ達とBBQは楽しかった、んだけど。何故か分かんないけど、そこにクリス・プリンスさんが参加してきちゃったから、話が拗れた。

あ、クリス・プリンスさんは、イングランドの『マンシャイン・C』に所属してるサッカー選手。自称、ノエルのライバル。ノエルは否定してるけど、私も実は良いライバルだなーって思ったりしてる。だって、ノエル楽しそうなんだよ。クリスさんと話してると、ちょっと子どもっぽくなって口も悪くなるの。そういう大人げないノエルが見られるのが新鮮で、好きだなんて言ったら、怒られそうだから言ってないけど…。

んで、そのクリスさんが参加したBBQは、それはもう荒れに荒れた。ミヒャとクリスさんは喧嘩するし、ノエルとクリスさんは言い合いするし…。それくらいなら可愛いもんだ。でも、流石にうちの庭で大乱闘スマッシュブラザーズを始めるのだけは頂けない。あの人達はみんな超次元サッカーかよと言いたくなるような身体能力を持ってるので、うちの芝生の方が耐え切れなかったのだ。

お?ふざけんな?この芝生誰が維持してると思ってんだ?あ?しかも私が大事にしてる家庭菜園までめちゃくちゃにするしさぁ…。あー、今思い出しても腹立って来たぁ。あの時の私は、多分覇王色の覇気が出せてた。もしくは絶界。それからなんか、ミヒャのチームメイトの私を見る目が変わった気がするし。…そんなに怖い顔してたかなぁ、私…。

苦難を乗り越え、再起した家庭菜園ちゃんが一層愛しい今日この頃。えへへ、今度は無事に育つといいな〜。水やりを済ませ、部屋の中に戻ると今度は趣味の時間。私は結婚する前は服飾関係の仕事をしてたんだよね。だから今でも、クッションカバーとか、コースターとか、時間が空いたらそういうものを手作りしてる。…んー、今年はノエルにセーターでも編もうかな。なんて考えながら、紅茶を飲む一時が至福。

嗚呼…のどかだなぁ……。夢のスローライフ……。今なら吉良吉影の気持ちが分かる…。激しい喜びはいらない…そのかわり絶望もない…植物のような人生を……。それが私の目標……。

………まぁ、世界一の男と結婚した時から、そんなものは諦めてるんだけどね。てへっ。

ふう、と一息吐いて椅子から立ち上がる。わ、もうこんな時間。そろそろお昼ご飯の準備しなきゃ。…ふと、キッチンのシンクの上を見た私は、こてんと小首を傾げた。ありゃ?ノエルに渡した筈のお弁当箱がどうしてここに…?ちゃんと手提げバックに入れて助手席に置いた筈…。

……ぽくぽくぽく、チーン。

………閃いた!!……じゃないやい!!

あれ!!昨日の!!洗って仕舞い忘れてたお弁当箱!!…これ!今日の!!作ったお弁当箱!!

うわ〜〜〜〜っ、やっちゃった〜〜〜っ!!何で今日に限って、先回りして助手席に置いたんだ私〜〜っ!!いつもみたいにノエルに渡しておけば、絶対「軽くないか?」って気付いてくれたのに!!……ひい〜〜っ、どうしよ〜〜〜っ。

………
………
………悩んでても、仕方ない!

―――行くしかない、このビックウェーブで……!!

私は、バッと渡し忘れたお弁当箱をバッグに詰め、お出かけ用の恰好に着替え、すちゃ!とサングラスを掛けた。そして手に取る、車のキー。……ふっふっふ、久しぶりに私の愛車『マツカゼちゃん』が火を噴くぜィ…!!

ガラガラと開けたガレージの奥…ノエルの車の駐車位置の後方には、一台の車が停まっている。車体の色はブルーローズをイメージした青。丸みを帯びたフォルム。だけど溢れる高級感は流石外車といった風情のコンパクトカーは、ノエルが私に買ってくれたお気に入りのマイカーである。

うちの近くにはスーパーもあるし、大抵のものは徒歩で賄える。それでも郊外なので、一応車があった方が良いだろうと、誕生日に貰った豪気なプレゼントだ。色も見た目も可愛カッコよくて大好きで、外車で左ハンドルってのも素敵過ぎて、私は当初、ノエルを助手席に乗せてこの子を乗り回していた。送り迎えとかね。喜んでしてたの。

……してたんだけどぉー。数日経ってノエルに言い渡された『運転禁止令』の前に、悲しいかな、マツカゼちゃんは早々にお蔵入りになってしまった。今ではガレージのこやしとなり、ぽつんと物悲しく駐車されているだけ…。え、酷くない?折角買ってくれたのにひどいやん?異議あり!と断固として抗議しようとした私に、助手席から降りたノエルは、見たこともないような真っ青な顔をして「二度と運転するな」と言ったのだ。……何で???

ノエル曰く「トレーニングキャンプで一週間過密メニューをこなした後よりキツイ」とのこと。意味分からん。でも、ミヒャも嫌がるんだよなぁ。最初は喜んで乗ってくれたのに、次に誘ったら青い顔して「ギア全開で周辺視野使ってプレイするより疲れる」と断られた。…だから分からんって!どうしてサッカーで例えるのかな君達は!

…ふーんだ、いいもんね。頼まれたって君達はもう乗せてやんない。いーもん、一人で乗るから。…ってことで、火元よーし、戸締りよーし、お弁当よーし。車に乗って、いざ出発バスタード・ミュンヘンへ!

……あれっ。アクセルとブレーキってどっちだっけ。あれっ、Nってギア何?D……だったっけ?あら?エンジンかからない……何で?…あっ、掛かった!…わー!!…おっとっと……慣れて来たぞ。あれ、ウインカー出したかったのにワイパーが……あれ?…道どっちだったっけ………あれ?

………あれ?


前/13/

戻る