利己主義者Nの献身
- ナノ -


我が心のユートピア



―――だが、案ずること勿れ。何度でも言うが、私は個性:楽天的を発動するビギナーヒーロー。あんなにもだもだした感情も、時が経てば風化して、喉元過ぎれば何とやら、二日も立てばけろっとして日常に戻った。………思考を放棄したともいう。

ふんふん、と小さな鼻歌が浴室に反響する。食事の買い物を済ませ、夕食作りにはまだ早い時分、私はお洗濯に精を出していた。

おっ洗濯〜〜〜♪おっ洗濯〜〜〜♪と心の中でリズムを取りながら、ジャブジャブ、ジャブジャブ…。気分はおばあさんは川へ洗濯へ…ってヤツだ。おしんでもいいけど。

タライに水を張って、洗濯物を放り込んでは洗濯板に擦り付けて汚れを落とす、を繰り返していく。洗濯機ないんだよねェ、ノエルの家。てゆーかテレビもない。かろうじて冷蔵庫はある…あれだ、ドア一つで冷凍スペースが右角にちょこんってあるやつ。新・三種の神器が登場している時代に、旧・三種の神器さえ二つ欠けている事実。これじゃ即位できません。…まー、贅沢言える立場じゃないっちゃね。

テレビもない、ラジオもない、車もそれほど走ってない。朝起きて、ミヒャ連れて、10分ちょっとの散歩道!…選曲チョイス古い?でも別にこんな街嫌だ〜〜とは思わないんだな。タイトル付けるなら「おらパリさ行くだ」なんだろうけど、寧ろ一区は物価が高いし、おシャンティ過ぎて合わないから行きたくない。……根っから庶民なんだよなぁ。

よしよし、お洗濯完了!んひゃ〜〜〜、水冷たかったぁ。手はすっかり真っ赤になっている。取り敢えず絞ったから、これでおっけーかな。かじかむ手で洗濯物を持って、今度はベランダへ。途中、ミヒャが足元に纏わりついてくるので、なでなでして宥める。もうちょっと待っててね〜、お洗濯終わったら遊んであげるからね!

ガチャリ、と玄関が開く音がする。お、ノエル帰って来たのかな?

「おかえり、ノエル」
「あぁ、ただい………?!」
「?」
「何してる?!」

何って……お洗濯だけど?今まさに干すとこ。見て分からない?ノエルは何処か鬼気迫る顔をして、私の手から洗ったばかりのノエルのパンツを奪い取った。…何ぞ?

「どうしたの、ノエル?」
「………」
「パンツ返して?干すから」
「……………自分で干す」

…そう?別にいいけど。?と頭上にはてなを浮かべていると、ノエルはタライから自分の洗濯物を取って干し始めた。「これからは俺の下着は洗わなくていい」なんて言葉を添えて。???…ここに来てからずっと洗濯してきて何も言わなかったのに、何で今更?

疑問に思うけど、まあ、そう言うならいいけど…と、一応頷いておく。ノエル、思春期かね。今日はパンツは見られちゃ駄目なヤツだったのかね。別に派手な柄のパンツなわけでもないのに、何が恥ずかしいんだろう。変なノエル〜なんて思いつつ、ノエルが自分の分を干し終わったタイミングで、私も自分の洗濯物を手に取る。ちょっと毛玉付いてきてない?このパンツ…。毛玉付きビヨビヨパンツ履いてるってノエルに思われるのもヤだなぁ…裸まで見られといて今更だけど、私にだって羞恥心はあるのだ。……これは見えないよう真ん中に干しておこう。

さて、次はミヒャの〜。つぎつぎ、と洗濯物を手に取ったところで聞こえて来たガン!!!と大きな音に「きゃっ」とびっくりして声が出た。目を向けると、ノエルがドアに両手をついて悶絶していた。…い、痛そうな音したなぁ…。どーしたの、ぶつかちゃったの?

「ノエル、大丈夫?」
「…………ダイジョウブダ」

本当に?なんか、カタコトじゃね?ロボットみたいになってるよ?…ちょっと大丈夫ぅ〜?気を付けなきゃダメだよ?ちょっと見せて?

「………コブになってる。冷やす?」
「………」
「……ノエル?」

手を伸ばして、すりすりとノエルのおでこを触ってみると、ちょっと赤みを帯びているし膨らんでいる気がする。冷やした方がいいんでない?目立つかもよ?…聞いてみたけど、反応がない。…ただの屍のよ……いや、そうじゃなくて。

ノエル〜〜?とフリーズしてしまったノエルの目の前で手を振ってみる。やっぱり当たり所悪かった?ぼうっとする?痛い〜?ともう一回手を伸ばし……たんだけど、手首をはっしと掴まれた。あ、再起動した。

「…ノエル?だいじょう……」
「走って来る」

…はい?

「走って来る」

ノエルはもう一度同じことを繰り返して、くるりと踵を返した。走って来る?もう夜になるけど?そろそろご飯作るけど?…え、ノエル、本当に行くの?慌てて玄関まで行くと、ノエルはしゃがみ込んで靴を履いていた。え〜、何それ?!アスリートとしての魂が目覚めるにしては唐突すぎない?サッカーの為の体力作り?頑張ってるのは知ってるけど、外寒いから明日で良くない?

「先に食ってろ」
「のえ、」
バタン!!!

乱暴に閉められた玄関のドアに、ひゃあ!と身を竦ませる。ぽかんとしていると、なぁに〜?と言いながらちょこちょことミヒャがやってきたので、抱っこする。子供らしい甘い匂いが心を落ち着かせてくれる。のあは?と聞かれたので、どっか行っちゃった、と返すと、何で?と小首を傾げられる。………何でだろうね、お姉ちゃんも分かんないや。…変なノエル。

夜、鼻と顔を真っ赤にして、冬なのに身体から湯気を噴いて帰って来たノエルに呆れ、更に次の日、きちんと畳まれた下着を含めた衣類を見て、また微妙な顔をするノエルに、私は首を捻るばかりであった。洗濯って洗うだけじゃなくて、畳むまであるに決まってるじゃん。何が嫌なんだろ。ホント、変なノエル〜。

突然の奇行に頭を捻っていた私は、まさかつい先日まで、ノエルが自分のことを男だと勘違いしていたなんて、全く以て知らなかった。知っていたら、激怒していただろう。誰が男みたいにまな板ぺったんこやねん!色気ゼロってか!!…と。

知らないからこそ、ちょっと走っただけで息切れしたし、私もノエルを見習って運動しようかなぁ〜なんて、能天気なことを考えていられた。



知らぬが仏。

―――世の中には、知らない方が円満に続いていくユートピアだって、確かに存在するのだ。



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