利己主義者Nの献身
- ナノ -


DNAが叫ぶから




………まだ頭フワフワしてる……。熱狂冷めやらぬ中、試合が終わった帰り道。病み上がりで、いつもなら寝ている時間に興奮していたせいか、ミヒャは私の背中ですっかりおねむである。…気持ちは分かる。私だって、例えるなら夢心地だ。お金を懸けてるわけじゃないのに、あの試合の攻防にドキドキして、一喜一憂して、ひたすらにノエルを見ていたから、ドライアイになりそうなくらい目はシバシバだし、耳は痛いし、握り締めた手は痛い。

道の先を、ノエルが歩く。さっきまで、あんなスーパープレイをしていたとは思えない、スンとした顔。チームメイトや男の人達にバシバシ背中を叩かれてても、変わらない。…鎮火しちゃった後みたいだなぁ。

「……あれが、ノエルの本業?」
「あぁ。…つ、……」
「?…ノエル、凄かったね」
「そうか?」
「うん」
「……そうか」

凄かったに決まってんじゃん。あれを凄いと言わずに何をそう評すればいいのか。ノエルって、めちゃめちゃ運動神経良いんだねェ…。えへへ、私スポーツ見てあんなに熱くなったの初めて。会場に行って熱狂してファンの気持ち、ちょっと分かったかも。

「大人に勝っちゃうんだもん。ミヒャも……スゴイって言ってた」
「……俺は、所謂スイッチハンダーってヤツでな。フットボールをやる上で、他の奴等より有利なのは間違いない」
「スイッチハンダー?」

て、なんぞ?と首を傾げると、ノエルは説明してくれた。

まあ、簡単に言えば両利きだ。世の中には左利きとか、後天的に左利きに矯正したりする人は、一定数いる。野球選手でも、普段はサウスポーだけど、私生活では右利き、とか。それは右利きの投手に慣れてるから有利に働くとか…まあ、色々あるみたいんだけど、アドバンテージとしてはサッカーでも同等だ。

ただ、ノエルは後天的に矯正したわけでも、左も使えるっていうわけではなく―――″右手足左手足でも、全く遜色ないくらい同じ精度で、身体を動かすことが出来る″ってこと、らしい。

物心つく頃からそうだったから、他の人はそうではなくと、大きくなってからノエルも知ったんだって。……多分、めちゃめちゃ凄いんだよね?怪我したから仕方なく、とかじゃなくて、どっちでもいい。レベルが落ちない。右でも左でも違いがない。……私は、そわそわっと、心がぴょんぴょんせずにはいられなかった。

―――…か、カッケェエエエエェエエェェェェ〜〜〜〜っ!!!

それってさ、それってさ!アレが出来るヤツでしょ?!『…俺はスイッチハンダーだ』とか!『…あのボウヤ、左利きじゃよ』…みたいな!スイッチかな?!リョーマくんかな?!何ソレチートじゃん、チーターじゃん!!しびあこ!マジしびあこ!!ノエル先輩マジパなあいっすぅ〜〜〜〜っ!!かぁっっちょE〜〜〜!!!

「コレのお陰で生活が成り立ってる。……飯のタネだな」

そーだね、そーだね!!芸は身を助く……は、ちょっと意味が違う?あー、適切な言葉が思い浮かばない!とにかくすごい!!…………あれ、でも、ノエル…。と、気になったことを思い出す。試合の最中、すっごい矛盾した台詞言ってなかった?

「…ノエル、聞いてもいい?」
「何だ?」
「もし、負けちゃった時って、どうなるの?」

「負けたら10000ユーロ払う。そーゆー約束だ」

あっけらかんと言われたセリフに、目が点になった。……ペナルティって、罰金制度なの?……10000ユーロて。…たっか!!!私の髪の毛何センチ分?ウソやん。え、こわ…。あの試合にそんな大金賭けてんの?そりゃファイトマネーだって破格なんだろうけど、それにしたってだ。知らんかった。プレイヤーまでそんなモン賭けてるなんて、あそこにいる全員ギャンブラー過ぎる。

「………そんな、」
「なんて顔してる。……負けないから、安心しろ」
「……でも。……ノエル、負けても気持ちいいって言ってたから…」

そう、それだ!!思い出した!!ノエルが発した、矛盾したセリフ!そんなリスク負ってるなら、余計におかしい!盛大に物申したいぞ私は!駄目でしょ負けたら!何言ってんの?!内臓売ったりする羽目にならない?!

戦慄する私に、ノエルは「…聞いてたのか」と目を丸くした。聞いてたのかじゃないわい!はい、ノエルさん、そこんところどうなんですか?!もう試合に出ないって、今のうちに言って来た方が良くない?ファイナルアンサー、もうこの金額には戻れませんって言われる前に、降りるのも勇気!

「勝利だけがフットボールじゃない。少なくとも、俺はそう思ってる。…けど、それは手を抜くってわけでも、勝利を諦めるってわけでもない」

ふん!と意気込んでいる私と対照的に、帰って来たのはそんな言葉だった。言いながら、ノエルはまるで魔法でも使っているみたいに、軽やかにボールを蹴り上げた。綺麗な放物線を描いて宙に落ちたボールを踵で受け止めて、また浮かび上がらせて。…糸でもくっついているみたいだ。生き物みたいに軽々と動く白い球体が、意思を宿らせてノエルに操られている。自分の肉体の遣い方も、ボールの動きも、すべてを完璧に把握しているからこその技巧。……すごい。

「フットボールのことだけ、考えていたい。嫌なことも、面倒臭いことも、全部取っ払って」

「フットボールの為だけに、生きていきたい」

「―――いつか緑のフィールドで、フットボールのすべてを感じられたら」


ぽつりと、独り言のように紡がれる言葉を、ただ聴覚で捉える。先程までの熱を鎮火させた、漣のような目だった。何処までも凪いで、何処か寂しそうな……。途端に、私は、きゅう、と心臓を掴まれたような気になった。

「―――……嗤うか?」

月道を背に、月を映したような金色の双眸が向けられる。私を見ているようで、見ていない……何処かもっと、遠くを見てる。届かない、行きたい場所に焦がれるように。こんなノエルは違う、と、漠然と思った。


彼は、……ノエルはひどく、息がし辛そう。

まるで陸に打ち上げられた魚みたい。

まるで翼を奪われた鳥みたい。

まるで、……まるで、手足を鎖で繋がられた囚人みたい。


この世界はきっと、ノエルがノエルらしく生きていくには狭すぎて、不寛容な世界なのだ。自由に奔るノエルは、水を得た魚のようで、翼を手に入れた鳥のようで、…解き放たれた人のようだった。途方もない賭け金だって、その後のことも、考えだしたら不安要素だってキリがないし、止めた方がいいじゃないかって気持ちは絶対ある。……あるんだけど。

あの姿を見てしまったら、そんなノエルに、私が返せる言葉なんて決まってるじゃないか。

嗤うなんて―――、冗談でもありえない。

「嗤わないよ」

だって、



「―――私も見えたから」

「ノエルが、緑のフィールドを駆けるところ」



―――緑のフィールドを駆け上がる、その背中。誰もを魅了してやまない、スーパーシュートがゴールネットを揺らす。

そうして貴方は、にこりとも笑いもせず、ただ当たり前のように目を閉じて……ゴールを噛み締めるの。

あれが、ノエルの言う、フットボールの全てを感じてるってことなのかな。………そうだといいなぁ。



その背中を、横顔を、輝きを。………私はノエルの姿に見た。確かに見た。彼の未来を、―――この目で見たのだ。幻でも、白昼夢でも、何でもいい。




「貴方のゴールに、世界中の人々が熱狂する未来が―――、私には見えた」



さっきの、スラム街の小さな公園に、間違いなく世界で一番熱い場所があった。最後のシュートが決まった瞬間の、空気が裂けるような歓声。あれは確かに、ノエルの為の喝采だった。紙吹雪と共に眩いばかりの光を浴びる、そんな未来と今が重なって、あの瞬間、貴方は間違いなく英雄だった。―――サッカーをよく知らない私だってそう思ったのだ。誰かを惹きつけ、翻弄しては夢中にして、勇気付ける。それだって才能。ノエルが持つ、身体能力とは別の魅力だ。


……それだけ、………それだけサッカーが好きなんだね、ノエル。


間違っていなかった。魅力の塊のような人だと思ったけど、本当にそうだ。

こんな人がきっと、世界を変える。……誰かの運命を、狂わせるように変えて行く。

私のサイドエフェクトどころか、全細胞が、DNAがそう叫んでいるのだ。私は私の感覚を、誰よりも真っ直ぐ信じている。……文句あるぅ?キリ!と自分では真面目な決め顔をしていたつもりなんだけど、何故かノエルはパチパチと目を瞬かせた。…あ、ちょっと子どもっぽいね、その顔。

「…………ヘンなヤツだな、お前」

む。それはあんまりじゃないか?しみじみ言うことでもないでしょ!…どうせならおもしれー女と言ってくれ。カタクリ様みたいに、随分未来を見てやがる…でもいいよ!でも空言でも妄想でも戯言でもない!私は大真面目なんだからね!!頬を膨らませて抗議しようとした、……んだけど。

言葉にならなかった。

ノエルが、私を見て笑ったから。

小さく口角を吊り上げるのではなく、笑い声を上げる、何処か嬉しそうで、少年らしい…年相応の笑顔だった。

……………ノエルって、そんな風に笑うんだね。…………なんか、………かわいいじゃん。

その顔を見たら、もう何にも言えなくて。…さっきみたいな、寂しそうな目をされるより、何百倍もマシだなんて、思わされてしまって。

…………ヘンなヤツでもいっか、と、私も笑った。



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