利己主義者Nの献身
- ナノ -


DNAが叫ぶから




ノエルの家は、私達の家(廃ビル)から暫く歩いた、住宅地の一角にあった。だだっ広い廃車が積み重なった衆射場と、聳え立ついくつものアパルトマン。混在地帯の一番奥、「ここだ」と告げられたアパルトマンをぼんやりと見上げた。

……ぱ、パリの蔦のからまるふるぅいお屋敷……で、始まる絵本を思い出す。ちっちゃくて可愛い女の子が活躍する絵本である。懐かしいな…と思ってしまうくらい、蔦やら何やらが絡まり、ところどころ外装の剥がれた……崩れかけのAPART〜〜〜。………壊れかけの○adioみたいに言うな。

あっ、ごめんなさい、石投げないで!決して馬鹿にしてるわけじゃないよ!これからお世話になるって言うのに、そんな文句付ける訳ないじゃないか!廃ビルの方がよっぽどボロボロだったし、趣きがあっていいなぁ〜〜って話だよ!もう家ってだけで私にとってはガンダーラ!ただネタを挟まないと死んじゃう病気なだけ!

とんとん、と階段を上がること、三階分。ノエルは鉄製の扉が備え付けられた一室の前で立ち止まった。ポケットから取り出した鍵で、がちゃんとドアを開く。上り口からして簡素な造りの、1LDK。それが、ノエルの住まいだった。私がミヒャを抱っこしているので、代わりの持ってくれていたバッグを玄関先に置いて、ノエルが「入れ」と部屋の中を示す。

「お邪魔します」
「あぁ。きたねーとこだが…」
「せまい。きたない」
「こら、ミヒャ」

むう、と頬を膨らませるミヒャを軽く窘める。ドイツ語だから分からないよね?と慌ててノエルを見ると、憮然とした顔をした。……こ、言葉が分からなくたって、良い意味じゃないってのは分かるよね。これからお世話になるってのに、何てこと言うのかなこの子は。具合が悪いけど、ここはちゃんと言っておかねば…。

「ミヒャ、他所様のお家にお邪魔する時はなんていうの?」
「………」
「ミヒャ?」
「…………クソお邪魔します!!!!!」

おお、元気良い!うんうん、そうだよ、ちゃんと挨拶出来て偉いね。よく出来ました、と頭を撫でると、ミヒャはどやぁ!とでも言いたげな顔をした。良い子良い子〜〜〜。なんか、ノエルはちょっと微妙な顔してるけど。何で??ちゃんとお邪魔しますって言えるうちの子礼儀正しすぎやん??

促されるまま、私もお邪魔しま〜すと言いながら、中へ入る。壁紙はシミが浮かび、床のタイルはひび割れている。あ、めっちゃ天井に蜘蛛の巣張っとる…。ノエル、虫平気なのかな?私も平気になっちゃったけど。

「この部屋を好きに使え。俺の荷物は無視していい」
「え?でも、ノエルの部屋なんじゃ…」
「別に、寝る以外に大して使ってない。俺はリビングで寝るから、気にするな」
「で、」
「気にするな」

………圧が、スゴイ……。確かに、ミニマリストなん?ってくらい物がない。けど、流石に家主から部屋を奪い取るのは気が引けるんですけど…。と、思うのに、有無を言わせない勢いで言い募られると、もう何も言えない。…まー、ミヒャのこともあるから、正直、助かります。……どーしよう、恩が雪だるま方式に増えて行く…。

「トイレはそこ。シャワーはその隣だ。使い過ぎると湯は出なくなるから気を付けろ。家にあるもんは好きに使っていい。火は使ってもいいが、ガスの元栓だけは毎回きちんと確認しろ。古いから、爆発するかもしれねー」

業務連絡みたいだなぁ…と思いながらノエルの顔を見る。……え?今なんかすっげー怖いこと言わんかった?バス、ガス爆発!なんて洒落くらいでしかあんまり聞かん単語聞こえたけど。そのまま、俺は出掛けてくる、鍵閉めろよ。と言って出て行くノエルの背をぼーぜんと見送った。……怒涛の展開過ぎて、心がちょっとついていかない。

私はミヒャを抱いたまま、家の中をぐるりと回って観察をして、最後に使っても良いと言われた部屋に入る。中央に置かれた薄いマットレスと、タオル。私物らしきものはそれだけの、簡素な部屋だった。一応、テーブルとかはあるけど…家全体から生活感の無さを感じる。寝るだけって、本当なんだろうな。でも、服が散らばっているわけでもなく、乱雑なわけでもない、年頃の男の子が住んでいるとは到底思えないリビングに比べ、この部屋は少し違った。

クローゼットなどの家具、ハンガーラックと、…小さなドレッサー。………ノエルの、お母さんの、だったのかな?ここが家族の、寝室だったのだろうか…。なんとなく寂寥感を感じて佇んでいると、腕の中から小さく声がした。

「……しゅべすたぁ…。おれ、こんなとこヤダ」
「ミヒャ」

え?まさか、せまい〜きたない〜ってヤツ?何を言うかね、ミヒャ。さっきのビルの方がよっぽど汚かったじゃん。

「でも、お外は寒いし、危ないでしょ?ノエルに感謝しなくちゃ」
「やだ……」
「ヤなの?」
「……アイツのおうちは、ヤだもん……。しゅべすたぁとふたりが良い」

……………あっりゃぁ。…ミヒャ、…もしかして、ヤキモチ焼いてるのかな?………そ、そっかぁ……。あっ、ダメ、顔がニヤついちゃう…。ミヒャはぷう、とお餅のようにほっぺを膨らませて、ぎゅうっと私の服を握った。うーん、その拗ねた顔、マスターボール級!!今までのミヒャの得意技は「じゃれつく」「あまえる」「つぶらなひとみ」だったんだけど、そこに「すねる」が加わったわけだ。…そんな技ねーよって?ミヒャの固有技だよ!!

「ミヒャ、あのね。ノエルがいいよって言ってくれたから、今日からここは、ミヒャと私のおうちにもなるんだよ」

ミヒャはフェアリータイプ一択だなぁ。だって可愛過ぎるもん!!ほにゃほにゃ緩んでしまう頬を抑えて、抱っこしたままの愛しい子に声を掛ける。怒るとか、喜ぶとか、気遣いとか、ミヒャの情緒が順調に育っていることが私には嬉しい。家では狭い人間関係しかなかったから、こうやって他人と関わることで、もっと色んな感情を覚えて、この子の感性は豊かになっていくのだ。…あ、そうだ、もう他人じゃないんだっけね。

「………おれと、しゅべすたぁの?」
「ノエルもね。……三人一緒に暮らすの。家族が増えるって、素敵なことでしょ?」
「……おれとしゅべすたーのおうち…」

おーい、ミヒャくーん?私の言うこと聞いてる??お姉ちゃん、割と良いこと言ってるつもりだよ?ノエルと、私と、ミヒャで、これからは三人家族だねって言いたいんだけど。……ミヒャと私のおうちにもなるってフレーズが殊の外気に入ったらしい我が弟は、ぽそぽそとそのワードを繰り返した。

「……おれとしゅべすたぁのおうちなら、いいよ!」
「ん?」
「アイツがいても、いいよ、おれ!」

…………えーと、……居候は、寧ろ私達なんだけどね?ふんす!!と喜んでいる弟は、すっかり家主を無視して、家の乗っ取り宣言をしてしまった。……ノエルに知られたらまた拳骨されそう……。黙ってよっと。

おっと、あんまり喋ってちゃダメだね。ミヒャ、君は具合が悪いんだから、あんまり興奮しちゃめっだよ。えーと、ノエルのマットレスはリビングに移動させておこうかな。持って来た毛布を敷いて、その上にミヒャを寝かせる。タオルを濡らしておでこに乗せると、ほにゃあとその頬が和らいだ。……んー、ノエルの前では平気そーにしてるけど、痩せ我慢なんてものまで覚えちゃったのかなぁ…。

いや、これは私のせいだよね…と、反省する。不甲斐ない私の姿は、ミヒャにすらいっぱいいっぱいに見えていたのだろう。なんてこった。パンナコッタ。考え込んでいると、がちゃりとドアは開き、ノエルが顔を出した。あ、帰って来てたのか…気付かなかった。

「鍵閉めろっつったろ」
「あ、ごめんなさい」
「病人はマットレスに寝かせてやれ。…それと、これ」
「……薬?」

ドラッグストアのヤツだけどな、ないよりマシだろ、と素っ気なく言う横顔を、じっと見上げる。…買いに行ってくれたの、わざわざ…。

「また出掛けてくるが、遅くなる。先に寝てろ」

あっ……。御礼すら言う間を与えてくれず、ノエルは再び家を出た。…ホントに薬、届けてくれる為だけに戻って来てくれたのかな…。…………もー、無理。破算宣言しなきゃいけないくらい恩が飽和している。どうする、アイ○ル。そこに愛はあるんか?と問われれば、優しさしかねェと間髪入れずに答える。……優しかったり、冷たかったり、ノエルは私をどうしたいの。温度差でグッピーは死んじゃうんだよ?

……せめて家事から始めるかぁ。……これ、三歳児には何錠かな…と服用の説明書を読みながら、私はそんなことを考えた。

………明けて、次の日。

……ふがっ…。変な声出た…。私は、むくりと上半身を起こす。寒さでも、空腹でも、そのどちらでもなく、自然と目が覚めた。……うわ、すっごい良く寝た気分…。疲れの取れ具合が段違いである。隙間風がぴゅーぴゅー吹き抜ける、ひび割れた窓ガラスではない、きちんとした床に寝るだけでこうも違うのか…。初日にあんなことがあったせいで、寝る時も気ィ張ってたもんな…。安眠というか、熟睡したのはいつぶりだろう。

隣で眠るミヒャの額に手を当てる。…まだちょっと熱いかな…。すっかり温くなっているタオルを絞って、もう一度おでこに乗せる。首元の汗を拭ってやって、ふにふにのほっぺに触れる。……うん、良かった。寒いところで寝ないで、薬も効いたお陰だろう。昨日の夜と比べても、ミヒャの様子は雲泥の差である。

安心するのもそこそこに、カーテンを捲る。日照時間が短いフランスだというのに、日は昇り切っていて明るかった。…まずい、ノエルは…とリビングに顔を出そうとする、と。

「……あ、……おは、」
「…よく寝るな」

玄関で、正に靴を履こうとするノエルとばったりかち合う。…め、面目ねェ…。他所様のうちで寝こけ過ぎだよね…。ミヒャにはあんなことを言ったけど、私もまだ人の家という感覚が抜けないので、余計に恐縮してしまう。下手をするとお見送りすら出来なかったのだと思うと、縮こまるばかりである。…の、ノエル、お仕事行くのかな?

「俺は仕事に行ってくる。大したモンはないが、家にあるものは好きに食っていい。…ミシェルはどうだ?」
「あ、大分良くなって…、まだちょっと、熱があるけど…」
「なら診ててやれ。医者に罹った方がいいなら、言え」

な、何から何まですみません…。家にいた時と症状は一緒だし、熱は下がって来てるから大丈夫だと思うけど、長引きそうならそうさせてもらいたい。

「……鍵、置いてくから出掛けるなら持っていけ。家にいる時も戸締りしろよ」
「う、うん」
「それと、」

はい、はい……と神妙に頷く。はい、何でしょう。ノエルは、じっと私の顔を観察した。え、何…。寝癖付いてる?それとも涎?まだ鏡見てないから確認が…。

「……お前も、」
「うん?」
「…………お前も、ゆっくり休め」


……
…………ハ、ハイ…。

気遣いの言葉に、所在なく手指を擦り合わせる。何だか恥ずかしい。照れ臭い。……あっ、ちょっと待って!

「……遅くなるだろうから、勝手に…」
「ノエル!」
「あ?」
「……ありがとう!!……私、一生懸けてノエルに恩返しするから!」

…や、やっと言えた……。昨日からずっと言いたかったのだ。ありがとうも、ごめんなさいも、惜しむことなく伝えるべきだというのが持論である。ノエルは何でもないことのようにポンポンとしてくれるから、その度戸惑って機を失してしまうけど、これだけは言いたい。ぐ、と拳を握って言ったぞ!と意気込む私に、ノエルは。

「………いらねーから、弟の面倒見てやれ」

と、それだけを言って、ドアを開けて出て行った。


……
………は、ハイ…。

ドライで素っ気ない、感情の濃淡が見えない言葉と態度だけど、ノエルの目が一瞬だけ優しく細められたのを見逃さなかった。……言葉を惜しまないようにしようとする私と正反対の、行動で示すタイプ。ともすれば不器用とも言われてしまいそうな寡黙さは、さりげない気遣いも相まって、……私のハートをチクチク刺した。

………改めて思うけど、ノエルって……すっげー男前だなぁ…。中身だけでなく、外見も……私は渋い男が好みなんだけど、すっごい素質ある。…真面目な顔で気遣いされて、真っ直ぐ愛の言葉でも吐かれた暁には、大抵の女は落ちると思う。その大抵に私は入らない、と、思うけど、……何となく自信を持って言い切れないのは、ノエルの破壊力の所為だろうな…なんて、何処か他人事のように思考の端で考えた。

……それから、更に三日の時が経った。衣食住の三点を満たしたお陰か、薬が効いたのか、ミヒャはすっかり良くなった。もう元気いっぱいで、ちょこちょこと歩き回っては蜘蛛の巣に驚いて引っ繰り返ったり、ベランダに出て行こうとして私に引き戻されたりと…目が離せないやんちゃ坊主ぶりを発揮している。柵とか、付けたりした方がいいのかな…。

何となしに家事をして過ごしているが、私もそろそろ、本格的に仕事を探したいところである。昨日、市庁舎に赴いたところ、「未だ申請は通っていませんので、お待ちください。定住地が出来たのであれば教えて頂ければ…」と言われ、がっくり肩を落としたばかりである。

………………ホントに全部、ノエルの言う通りだったなぁ…。改めて痛感して、ノエルの家のアドレスを伝え、とぼとぼと歩いた帰り道。……このまま養われているだけじゃ、真性のヒモになってしまう…と戦慄を覚える今日この頃。

あ、そうだ。後一つ、目下の悩みがある。

夜、夕食を食べてから、再び靴を履いて外に出ようとするノエルをじーっと見つめる。ノエルは私達がここに来てから、連日仕事終わりにまた外に出る。戸締りしろよ、とそれだけ言い置いて、数時間姿を消して、夜遅くに玄関の扉が開く音で、私はちょっとだけ目を覚ますのだ。最初は居候の分際だし、余計な口出しをしたりしたら鬱陶しいかな…と思ってたけど、どうにも気になる。今日だって、あんまりかち合わないことも多いから、漸く顔を合わせられたし話が出来るかと期待したのに。

うずうず、うずうず。…だってさぁ、夜の街は危ないんだよ?何があるか分からないし…、極力外に出るなって言ったのは、ノエルの方なのにさぁ…。

「……また出掛けるの?」
「あぁ、先に寝てろ」
「…………何処に行くのか、聞いても良い?」

こちらに背を向けているノエルに、控えめに問いかける。ノエルは、気になるのか?と当たり前のことを聞いて来た。気にならないわけないだろ!!だって、心配になるじゃん!不安になるじゃん!好奇心猫をも殺すと分かっていても、本能に従ってしまうのが動物なのだ。先達の金言は偉大だが、こればかりは後ろ足で砂だって掛けちゃう。

……危険なことしてるんじゃないよね?私の妄想力を舐めないでほしい。犯罪まがいなこととか、怪しいこととか……、まさかとは思うけど、ノエルが危険なことに関わってたらどうしよう、と思ってしまう。…あ、あんなことやこんなこととか……ひィ!

「……そんなに気になるなら、一緒に来るか?」

戦々恐々としている私を他所に、ノエルはあっさりそう言った。え?いいの?と心の声をそのまま声に出すと「来てもつまらねーかもしれねーが」と言いつつ、靴箱を開けて何かを取り出す。…知りたい気持ちも、心配な気持ちも、本物だ。…私はごくりと咽喉を鳴らして、行く、と宣言した。

―――……街灯の明かりがあっても、夜の街は暗い。

しかも、身を切るような寒さだ。ひェえ…と震えながら、握っていたミヒャの手を自分のポケットに入れ……ようとして、やっぱり抱っこする。そーそー。ミヒャはね、病み上がりだし、外は寒いし危ないから…って待ってて貰おうと思ったんだけど「行くーーーーーー!!!!!」とベイブレードみたいに床を暴れ回るから、仕方なく連れて行くことにした。相変わらず活きが良い、私の弟。

アイスクライマーみたいな重装備をさせたミヒャ、もふもふで可愛い過ぎる。ああ…あったかい……人間カイロ……子ども体温……天使湯たんぽ…とすりすりする。一生抱っこしてたい、このヌクモリティ。

それにしたってノエル、どこまで行くんだろ…。この地域はあまり出歩いたことがないので、ちょっと新鮮だ。壁の落書きも次第に多くなり、何処となく雰囲気も危険そうなものに変わってきている。…ホントに危ないことじゃないよね?…露骨に、怖くなって来たぞ。恐々と、離されないように気を付けながら歩いて行く。

暫くすると目的地に着いたのか、ノエルはフェンスに囲まれた公園のような場所で足を止めた。…ここ?…こんなとこで、何するんだろ…。

「よお、ノア」

んひゃ?!唐突に耳朶を打った声に、びくりと身体を跳ねさせる。人が居たこと、全然気が付かなかった。驚いて振り向いて……その光景に、ごくり、と唾を飲み込んだ。

…………す、すっごい悪の軍団感……。

こちらを見据える、複数の双眸。月光を背に、思い思いの形でフェンスに寄り掛かったり、ブロック塀に腰掛けたりしているのは、ノエルと同じ年頃に見える少年達だった。だが、ティーンエイジャーにしては、みんな表情とオーラが凄まじい。面構えが違う……というヤツだ。

有体に言えば。

―――…………め、めっちゃ怖ェえええェええェ………!!!!

鋭い視線を容赦なく浴びせられて、私はバンビちゃんみたいにフルフル震えた。すごい怖い!取って食われそう!よくあるアニメOPの悪役サイドの集合一枚絵みたいな!伝わります?!この感覚!俺達が教えてやるよ……夜遊びってヤツを、とか言ってきそう!もしくは、お前も鬼にならないか?とか!

やだやだ、間違って東京卍會の集会場所に来ちゃってるよ〜〜〜〜。ノエル、目的地ここじゃないよね?違うって言って!!

「―――、―――」
「――――――?」
「―――――――」

わー!!こっち来たーーーー!!!ATフィールド!ATフィールド全開!と唱えて、ノエルの背に隠れる。なんか言ってるけど、分からんし怖い!おまえうまそうだな、とか言ってない?言ってない?

「……―――。―――、―――」

ノエルが受け応えをして、近付いて来ていた少年達は足を止めた。でも、ジロジロと注がれる視線は止まらない。遠慮なんて皆無の、観察してますと言わんばかりの好奇心に満ちた目だ。ひえ〜〜〜。私人見知りなんだよ〜〜〜。

「………この辺に適当に座ってろ。…大丈夫だ、取って食われやしない」

と、ノエルは一言だけ言い置いて、私の頭をポンと撫でて、公園の真ん中に歩いていった。……えっ、何今の。頭撫でた?……ナチュラル過ぎて違和感覚えなかったけど、カッコ良すぎじゃなかろうか???………あっ、ちょっと待って!置いてかないで〜〜〜。…虚しく伸ばした手だけが落ちた。がっくし。

……数分後。言われた通り、ミヒャを抱いたまま、腰を下ろしている……のだが。

「おチビちゃん、名前なんてーの?」
「―――、弟?」
「ビール、―――?」

………し、四面楚歌だ……。シュネーは逃げ出した!しかし、回り込まれてしまった!……を、体現したら、きっとこうなる。いつの間にやら公園には人が増え、大人も少年達も合わせて、視界を巡らせれば相当数確認出来るようになっていた。穴だらけやん、ってくらいピアス開いてたり、入墨してたり、パンクファッションだったりと……見た目で判断しちゃダメなんだろうけど、コワ…と感じてしまう外見の方々ばかりだ。

そして私は、前述の通り、見事に囲まれていた。右も左も前も後ろも、どっかりと腰を下ろした怖いヤンキー達ばかりである。……獲物?確保された獲物?囚われた宇宙人?……何で囲むの〜〜〜、と泣きそうである。ずい、と顔を近付かせてひい、と身を竦ませると、私が怖がっていることを察したのか、腕の中で勇者ミヒャエルが吠えた。

「なんだよ!!なんかもんくあるのか!!しゅべすたぁに近付くな!!」

やだうちの子肝据わり過ぎィ。み、ミヒャたん、ダメだよぅ〜?挑発しちゃダメ、ダメ!あ〜〜〜、ごめんなさい、許して〜〜〜と、ミヒャ、大丈夫よ、と声を掛けるが、ミヒャはうるうる…と奥歯を噛み締めていた。威嚇するワンちゃんかな?…囲んでいる人達がカラカラと陽気に笑ってくれたのが救いである。……わ、悪い人達じゃ、ないのかな?

「―――、――――!――――!!」
「―――――、ノア!――――!」
「――――!!」

公園の中央で、二人の少年と話していたノエルがこちらに向かって声を張り上げる。周りにいる人達がそれに答えるけれど、残念ながら分からない。…フランス語は目下勉強中なのだ。ノエルに頼んで簡単な日常会話はフランス語で話すようにしてもらってるけど……、うーん、ヒアリングも出来ない。なんて言ってるのかな?辛うじて分かったのは、ばいきん、という単語だった。………バイキンマン?

「ン?チビ共、―――――?」
「……あの、……フランス語……分からなくて…」
「―――。珍しいな。―――、チャド!――――!」

話し掛けられても、喋らないんじゃなくて、本当に分からないのだ。英語で答えると、男性は目を丸くして、誰かを呼んだ。すると、髪に派手なメッシュを入れた少年が近寄って来た。

「フランス語喋れないんだ?不便だな」
「…あ、英語…」
「ちょっとだけなら、喋れるからさ。…俺はチャド、お前は?」
「シュネーです。こっちは、弟のミヒャエル」
「よろしく」

…良かった。思ってたより気さくな人だ。ちょっとほっとした。チャドと名乗った少年はにかっと人好きのする笑みを浮かべて、私の隣に腰を下ろした。…あ、そこ座るんですか。

「お前達、ノアのツレ?アイツが誰かとつるむなんて珍しーなぁ」
「……えっと、お世話になってて…」
「お世話!そっちのが面白ェーな!」

チャド少年はケタケタ笑いながら「いつフランスに来たわけ?」「何歳?」「何処住んでんの?」と、尋問か?という勢いで問いかけてくる。よく喋る子だ。

……ていうか、今更突っ込めなかったけど、ノエルって、ノエル・ノアって言うんだ。綺麗な響きの名前だなー、でもなんかどっかで聞いたことあるような気がするんだよなー。…何処だっけ?

記憶を辿れど、思い出せない。思い出す努力をやめると脳細胞は死ぬというけど、まあ暇な時にゆっくり考えよう。あ。そーいえば、今から何があるんです?

「何だ、本当に何も知らないんで来たんか。……これこれ」
「これ?」
「―――フットボールだよ」

「………フットボール?」

そ!と言いながら、彼がくるくると回したそれは、見慣れた白黒のものではなく、真っ白一色のボールだった。……ふっとぼーる……つまり、サッカーか。それ、サッカーボールだったのか…とようやっと気が付いた。ノエルが家から持って来たのも、確かに白いボールだった。……スポーツって、漫画でしか縁がないんだよなぁ…。一番知ってるのは野球で、後はどっこいどっこいなんだけど。

あれ?でも、つまり、今からサッカーするってこと?ここで?…昼にやれば?と、疑問とすれば尤もなのだけど、ダメな理由があるらしい。―――つまり。

…………ぎゃ、ギャンブルじゃん。

この試合は、密やかにスラムで行われる賭け試合なのだそうだ。えー…ヤバイ話じゃん…。と、思うのも無理からぬこと。

だが、シュネーは知らないことであるが、フランスは欧米諸国の中でもカジノ等の賭博施設が多い国だった。国民性として、賭け事を好む者が多い傾向にある。欧米ではスポーツベッティングは立派な娯楽の一つであり、法律的にも寛容な姿勢を示している。この試合は、賭場を開設するのではなく、あくまで″個人間″で行う、正当な賭博行為であり、違法にはならない……と、いう見解の元行われているのだ。閑話休題。

だが、言われてみれば、ともう一度公園を見る。古ぼけてボロボロだけど、確かに公園の両端にはネットが張られたゴールがある。公園を囲むような見物客は、賭け事に興じる者達らしい。…はー、成る程ねェ…、と納得した。ノエルはスラムの代表として試合をして、そのマージンを受け取っているらしい。そりゃ、立派な本業である。手伝いが副業ってのも納得だ。

「アイツの試合見るの、初めて?」
「うん」
「じゃあきっと、度胆抜かれるぜ。マジですげーから」

チャド少年は、ボールを手にしたままニッと笑った。………って、言われてもなぁ。私サッカーのルール、ホントに知らないし。そもそも十一人でやるスポーツじゃなかったっけ……三人でどうやって成立させるんだろう、と試合自体にはほとんど興味ないんだけど、そうまで言われるノエルの雄姿には興味がある。

そんなことを思っていると、抱っこしているミヒャの頭がうつらうつらと動き始めた。どうやら眠いらしい。寝てていいよー、とその背中を撫でる。

―――そこで、公園に、新たに三人の男性が入って来た。……途端。

ピリ、と空気が変わったことを、肌で感じ取った。何…?と、中央に目を向ける。ライトに照らされた、それでも薄ぼんやりと暗い夜の公園で。―――一際眩い輝きを放ち始めた少年。その両眼に青い炎を見た気がして、私は腕を擦った。……息が白くなるほど寒いのに、何処か熱い。…この熱は…、何だろう?

……遂に、試合が始まる。

な、なんかドキドキするなぁ…。コイントスというらしい、どちらのマイボールか決まる遣り取りをしてから、各人が配置につく。大丈夫なんだろうか…とそわそわしながら相手チームを見る。だって、見るからに強そうだ。てか、大人じゃん。どう見てもノエル達より数歳は年上そうな三人の男性は屈強で、いくらノエルの体格がいいとはいえ、その差は歴然だった。大人びてはいるけど、やっぱり少年なんだな、と思わせるには十分。……でも、今は嬉しくない差だ。

てか、ズルくない?他の区から来た人達なんだよね?これ、年齢制限とかないの?大人の方が体力も筋力も違うんだから不利じゃん!運営、出て来ーい!!と野次を飛ばしたくてしょうがない。こんなアドバンテージ、スポーツマンシップに悖るんじゃないの?

あー!!ノエル、怪我とかしないよねーー!!大丈夫だよね〜〜?!危険行為とかあったら止めてくれる人いるの?!…なんて、始まるまでずっと不安で心配だった思いが、すべて杞憂と分かるのは、試合のあとすぐだった。

―――開始の合図から数十秒も経たない間に、弾丸の如き勢いで軌跡を描いたボールが、相手チームのネットに突き刺さった。

次いで。―――……ノエル達のチームを応援する者達から上がる、爆発的な歓声。私の耳を劈く喝采を浴びても、まだ現実が理解出来なかった。

え?……えっ?

………な、なにが………起こったの?

あ、ありのまま今起こった事を話すぜ!!催眠術だとか、超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねェ!!…とポルナレフ化しながら、何度も何度も目を瞬かせる。ボールがノエルに渡ったと思ったら、次の瞬間、ゴールネットが揺れていた…何言ってるか分からない。私も分からない。……えっ、これ、ノエルが蹴ったボールがゴールしたってこと?で、おけ???

「OH!!」
「サイコーだ、ノア!!!」
「ジーニアス!!!!」

んひゃ〜〜〜〜、歓声すっごい!!鼓膜破れる!!!スタンディングオベーションというべきか、私の隣に座っていたチャド少年まで、飛び上がる勢いで喜んでいる。嵐のような、怒涛の勢いだ。音の塊が唸りながら迫ってくるみたい。……ミヒャ、大丈夫かな?と腕の中を見ると、いつもは寝ている時間なので、むむ…と眉を顰めて目を開けていた。煩くて起きちゃったらしい。ひー、ごめェん。

もう一度、ノエルに視線を戻す。凄い喝采だが、その声が聞こえてもいないみたいに、当のノエルの表情は変わらない。ハイタッチしようとするチームメイトもスルーしている。

「――!!――――!!!」
「――――!!………――――…monstre!!」

相手チームは、お互いに何かをがなり立てている。大きな喝采にほとんど掻き消されてしまうが、ひとつの単語が耳に残った。……もんすとらって、言った?ぴょんぴょんと飛び跳ねているチャド少年の裾を引いて、疑問をぶつけてみた。

「ねェ、今あの人達、なんて言ったの?」
「んー?!」
「今!!あの人達、もんすとらって言った!!」

私の声が聞こえていないのか、口元に耳を寄せて来るチャド少年に、今度は声を張り上げる。もー!音の爆弾がヤバイ!!きーこーえーまーすーかー!!

「もんすとら……あぁ、monstre!怪物って意味だな!ノアについた渾名だよ!」
「渾名?」
「お前も今のシュート見たろ?化け物染みた強さなんだよ、アイツ!」

渾名って…蔑称じゃない、それ?確かに凄かったけど、なんか…。っていうか、あのノエルのシュートは怪物っていうより…。

思いを形にする前に、再び試合が再開される。だ、駄目だ、考えるのはあとあと!また見逃しちゃう…!一瞬たりとも見逃さない、と心に決めて、瞬きすら惜しんでノエルを見つめる。

リスタートした試合、ゴールを決めたのがノエルなので、今度は相手チームのボールでの再開だ。そんな簡単なルールも知らないのか、とは言わないでほしい。マジで素人なのだ。むむ…と首を固定して、目だけでキョロキョロ。この試合の中心はどう見てもノエルなので、ノエルを追っていれば自然と先行きは理解出来るだろうという試みだった。

でも。

は、速いっ……。残像だ、しゅんっ、と影分身を使ってるんじゃないかと疑ってしまうくらい、ノエルは速い。端っこにいたと思ったら、もう相手の前に立ち塞がって、動きについていく。相手チームも必死だ。さっきの得点があるからか、ノエルに二人がついて、ボールを渡さないようにしている。…んひゃー、すごい…。ボール捌きが見えない。……そこだ、行け!!と叫ぶチャド少年うるさっ!!もーちょっと黙ってて!!集中できないから!!

ワイワイ騒ぐ外野はさておき、ノエルは対戦者の身体を手でいなして、その足元からボールを掠め取った。切り返し、再び敵陣へ。チームメイトが並走していたけれど、金色の目は真っ直ぐ、ゴールだけを見ているようだった。独楽みたいに軸足を基点に半回転、空いた隙間に身を屈めて滑り込み…、ゴールが決まる。

…………ふぁ、ふぁんたすてぃっく……!と心の中で雄叫びを上げた。

スゴ!!スゴスゴのスゴ!!バラサバラサ!!ピョンピョンでブー!!……思わず出ちゃった、ブースカ語。…ふ、古い?そんなことないよね?

また歓声をとどろかす周囲に合わせて、私もぎゅっと拳を握る。手に汗握る展開だった。あと一点。このまま押し切れる。大人にだって勝てる…と思ったのに。何故か仲間割れを始めるノエルのチームに、飛び上がらんくらい驚いた。

え?!…えっ?!何で怒ってんの、あの人?!何かを叫びながら、ノエルの胸倉を掴んで引き上げる姿。勝ってるのに、喧嘩する理由がまったく理解出来なかった。あっ、審判!審判いないの〜〜〜?!タイムタイム!!あの人、ノエルを殴ろうとしてます!!誰か止めて…え、よくあること?!……あって堪るかい!!ええいもう、私が行ってやる!!と腰を上げかけた。

……その時、―――静かな声が、耳朶を撃つ。

こんなにも周囲が煩いのに、その喧噪すら置き去りにして、ノエルの声は不思議と私の聴覚を揺らした。

「―――!!!」

ふぅ、と息を吐いて、ノエルが胸倉を掴んでいる少年を見竦める。その両眼が強烈な意志を持って煌めく様が、目に焼きついて離れない。青い炎に揺らめく、凄艶な瞳。揺らめいた炎は確かに熱いのに、何処か氷のように冷ややかで、怖いのに美しい。

「―――味方にアシストして勝つより、俺がハットトリック決めて負ける方が気持ちいい」

…なんて目だろう。…なんて目をするの。本能と自尊心を薪として焼べて、凄絶な利己主義を燃やしているような、そんな目だった。

その焔が火傷するくらいの熱を持つのか、それともすら超越して寧ろ冷たいのか。人間の防衛本能をかなぐり捨てる勢いで、触れてみたいと思った。―――とても奇麗だ。


私は、この時、……初めて、ノエル・ノアという少年の本質に触れた気がした。

向けてくれた優しさも、吐き捨てられた冷たい言葉も、冷静に見える大人びた態度も、そんなものは全部違う。

―――………これが、……これが、ノエル・ノアという少年なのだ。


その後のことは、あんまり覚えていない。今度は相手チームに得点を取られて、野次が飛んでも。私の目は、ただノエルだけを見つめていた。ぽつりと、小さな呟きが腕の中の存在から落ちる。

「…ミヒャ?」
「…………すごい」

驚いて、ミヒャを見る。ノエルに弊意を抱いていたようだったから心配していたのに、その小さなほっぺを赤らめて、宝石みたい瞳をキラキラ輝かせている弟。私の呼び掛けも聞こえていないようで、じっと、試合を観ている。……そうだね、ミヒャ。凄いね。本当に凄い。……流石、私の弟。見る目もあるし、感性も一緒だ。きっと今、私達姉弟、一緒の顔をしていると、確信が持てた。

脳内のフィルムに焼き付けようと、じっと、ノエルを見ている。

敵チームも、当然味方チームの応援をしている人も。須らく、ノエルの一挙一投足に魅了される。キラキラと。キラキラと。…星を砕いて散りばめて、一人の人間を装飾したら、きっとああなる。恒星みたいに自ら光を発して、見つめる相手の網膜さえ焼く。近付いたら火傷してしまうと分かっていても、誰もが太陽のように眩い存在に、焦がれずにはいられない。バチ、と青い炎が私の目の端に光った。

ゴールを目指して、走る背中。あ、こける…!と慌てたのも一瞬で、ノエルの右足が地面を蹴る。そのまま舞うような動きで身体の上下が反転する……次の瞬間。


―――放たれた強烈なバイシクルシュートが、ゴールネットを揺らした。


「―――…!!」


聴覚を刺す歓声も、肌に刺さる寒さも、すべて、些末事だった。―――音が消えて、景色も溶けて、世界に一人。



―――舞台は世界一を決める、W杯。八万人の大観衆。緑のフィールドを駆け上がる、一つの背中。……独りの英雄。

0-0の文字が電光掲示板には刻まれている。転がるボールを受け取って、数多いる選手の中でも一際、私の目を惹き付けて離さない人が走る。目の前にはただ、ゴールキーパーだけが立ち塞がる。後方で声を上げる味方に一瞥もせず―――、片脚が、フィールドから跳ねる。

ゴールを迷わず撃ち抜く、白黒のボール。全ての期待も絶望も抱えて―――……主役は、その一撃で、物語に終止符を打った。



…………私の心は、この瞬間、遠くにあった。


遠い遠い、未来の先に。私が見つめる、視線の先に。


―――――………貴方が居た。



………ノエルが居た。


未来と今が交差する公園で、私はずっと、ノエルの背中を、ただ、見つめていた。



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