暗殺一家によろしく
- ナノ -
シルバの華麗なるハンター試験奮闘記 1




ああ、帰りたい。

シルバの心の中は、家を出た瞬間から、その思い一つに埋め尽くされていた。愛しい妻と子に別れを告げ、ハンター試験を受験するために旅路について三日。シルバは、アイジエン大陸から一路東、ヨルビアン大陸までその足を伸ばしていた。

ハンタ―試験の受験を決めたと告げたところ、シルバの親友を自称する男、モラウは喜びに喜んだ。そして、ハンター試験会場の場所、その詳細に至るまで全て伝えようとしたが、シルバはその申し出を固辞した。ハンター試験はその会場に辿り着くまでも試験の一環であり、教示を受けるのはフェアではないという考えからだった。

モラウからすれば、というかシルバからしてもそうなのだが、シルバが試験会場に辿り着かないことなど有り得ず、辿り着いたならば合格しないなどと有り得ない、という考えが根底にある。モラウに教示を受けるのは、すなわち単なる時間の短縮に過ぎないのだが、受験するのであれば徹頭徹尾自分の力のみで行うべきだ。それが、妻ユキノの思惑に沿うものだと思っていた。

真面目過ぎるといえば真面目過ぎるシルバの気質にモラウは苦笑したが、それ以上は何も言わなかった。ただ、試験会場案内にて記されている、アイジエン大陸にあるルーガ市でハンター試験が行われる、その情報のみを告げ、頑張れよ、とシルバを鼓舞した。

シルバが今いる都市からルーガ市までは、およそ100キロの道のり。どうしたものか、と思っていたところで、街の中心部にある噴水に中々強そうな遣い手達がいるのを見つけた。携行品から見ても、大刀の類。十中八九、ハンター試験の受験者だろう。そう当たりをつけたシルバは、絶で気配を消し切ると、その会話が聞こえる範囲まで近付いた。聴力も教化しているため、そこまで近付かなくとも声が聞き取れる。内容はこうだ。

「おい、こっからどうする?ハンター試験会場行きの飛行船、もうすぐ出るんだろ?」
「間抜け。あんなものが真っ直ぐ会場に向かうわけないだろ。罠だよ、罠」

そうか。さもありなん。会話を聞いたシルバは、ふむ、と思案した。確かに言う通り、そんな簡単に辿り着けては苦労しない。毎年数万人の受験者がいると言われている試験だ。篩に掛けるため、罠も張るだろう。そう考えたシルバは、渡りに船とばかりに―――飛行船の発着場へと向かい、目的の船へと乗り込んだ。

「えー、皆様。本飛行船にご搭乗下さり、誠にありがとうございます。当機はこれより、約12時間掛けて、ルーガ市へ向かいます。どうぞごゆるりとお寛ぎ下さい」

アナウンスを聞きながら、ゆったりと椅子に腰かける。その硬さに、僅かに目を細めた。硬い。座り心地も悪い。これでは休まるものも休まらない、と不満に思う。それもそのはず、今までシルバが乗って来たのは、座席、通路、設備諸々最高級の素材と技術を投入した、ゾルディック家の自家用飛行船だ。庶民が乗る廉価な飛行船とは比べるべくもない。家を出てからもシルバの感覚は庶民的とは程遠く、審美眼も自然と厳しくなる。

窓から外を見下ろす筋骨隆々の美丈夫の姿に、誰もが圧倒されていた。何か不機嫌だし。まさか座席が硬いから不機嫌だとは誰も思わない。そうしてかれこれ30分も飛んだ頃―――船室は、俄かに騒がしくなった。

「なあ、可笑しくないか?」
「だよな…都市に向かうはずなのに、何でどんどん山の方に向かってんだ?」

ざわりと伝播するように、不審を滲ませた声が広がる。ルーガ市は、アイジエン大陸の中心にある。向かう先がどうにも可笑しいと、乗客は騒ぎ立てた。元々血の気の多い者達が集まっているので、すぐに運転手出て来い!との声が上がる。それを受けて、操縦席から一人の男が出て来た。

「おい!!この船はちゃんとルーガ市に向かうんだろうな!!」
「ハンター試験に間に合わなくなったらどうしてくれる!!」
「まあまあ、皆様落ち着かれて下さい。心配なさる必要はありませんよ」

声高に上がる批難の声にも、男はにっこりとして応じる。一同は、何だ、ちゃんと向かうのか、と少し勢いを収める。しかし、男が次に口にした言葉に、絶句した。

「心配なされずとも―――この船は、ルーガ市には向かいません」
「な……何だと?!」
「どういうことだ!!」
「そもそも、ハンター試験会場行きの船など、あるはずがないではありませんか。馬鹿なんですか?会場に辿り着くまでが試験だというのに、甘い汁を吸えると愚かにも飛びついた方々など、ハンターのなる資格はございません。ええ、ありませんとも」

男は変わらず笑顔であるが、口から出る言葉は船に乗っている者達の怒りに油を注ぐ、煽り文句だった。容赦なく扱き下ろして、更に続ける。

「この船は、これより高度5000mまで上昇します。そして、ルーガ市から遠く離れたアイジエン大陸まで向かいます。必然的に、貴方方はハンター試験に参加することすら不可能になるのです」
「な…何だと!!」
「もう既に理解されていると思いますが、これもハンター試験の一環なのですよ。罠をそうと看破出来ない低能な方々は、ハンター試験を受験しても死ぬだけです。ハンター協会の優しさに感謝して、来年また頑張って下さい。お疲れ様でした」

数百人単位の荒くれ者に囲まれても、微塵も意に介さず煽る煽る。彼はアマチュアではあるが、心源流の門下生であり、念能力も収めている。この態度は束になって掛かって来ても負けるはずもないという自信の表れでもあった。

「ふざけんな!!さっさと船を引き返しやがれ!!」
「そうだ!てめェをぶっ殺してやってもいいんだぜ!」
「おっと、言い忘れていましたが、この船は既に自動運転に切り替えております。私を脅しても無駄ですよ。既に運転に必要なキーは捨ててしまいましたので、目的地に着くまで止まりません」
「な…てめェ!!」

あ、降りたい方はお好きにどうぞ。この船にはパラシュートなどはありませんので、身一つのスカイダイビングになりますがね、と嘲笑と共に付け加える。こうしている間にも船は少しずつ高度を上げており、咄嗟に窓から下を見た者達は慄いた。こんな距離で、船から降りるなど自殺行為だ。勢いは萎み、誰もが今年のハンター試験合格という目標が己の中で崩れて行くのを感じた。

意気消沈した面子を見て、満足した男は、ふう、と息を吐いた。そんな中、男の眼前まで歩み出た者がいる。―――シルバである。見た目からして相当な実力を感じ、男は少し気を引き締めた。

「一つ聞きたい」
「…何でしょうか?」
「この船に乗船するのが失敗であったことは分かったが、あの都市からルーガ市に向かうには、何が正解だったんだ?」
「ああ…。そうですね。貴方方にはもう伝えても意味ないことなので、教えて差し上げましょう」

男は、シルバに投げられた問いかけに、肩の力を抜いた。確かに強そうな男だが、所詮はあの程度の罠に引っ掛かる者。気を張る必要もないと、思い直したのだ。それは、シルバの完璧な絶により、彼が念能力を修めていないと男が誤解したことに起因する。アマチュアとは一線を画した力を有していても、世界でも数少ない本物の強者との、彼我の実力差を理解出来る程、男は熟していなかった。良いでしょう、と無知な者を啓蒙するような気分で、口を開く。

「あの都市の南東を走る大河に沿って歩くと、一つの小高い山に辿り着くのですが…その山の麓には、別名孤狼の谷、と呼ばれる渓谷があります」
「…ほお」
「そこには、ある魔獣の一族がおり、代々ナビゲーターを務めています。彼等に実力を認められれば、ハンター試験会場まで連れて行ってくれます」
「…そうか」
「まあ、来年の参考程度に考えて下さい。この情報だけでも価値はあったでしょう」

告げられた内容に、船室にいる者達もそうか、と思い直した。甘い罠に引っ掛かった己を猛省しつつ、来年の受験の思いを馳せる。楽な道を選ぼうとしたことがそもそも間違いだったのだ。男の言う通り、来年どの都市が目的地になるとしても、ナビゲーターの情報を掴んだのは収穫だ。

シルバは内容を頭の中で咀嚼し、納得した。質問は以上ですか?という言葉に十分だと頷く。―――これで、目的は達した。そして、おもむろに窓まで近付き、がらりと開放する。え、と声を上げたのは男だった。

「な、何をしてるんです?」
「その話が聞きたかった。―――もう、この船に用はない」
「ちょっ…!!!」

男が止める間もなく、シルバは縁に足を掛け、まるで段差を飛び越えるような気軽さで、宙へと身を躍らせた。

「「「「ええええええェえええェええええーーーーーー?!?!?!?!」」」

上方から悲鳴のような、驚愕の入り混じった声がする。重力を帯びて速度はいや増すが、この程度大したことはない。足を強化したまま地面に降り立つと、そこには巨大なクレーターが出来上がる。だが、シルバには怪我一つない。そのまま悠々と立ち去る姿を凝で見つめていた男は、ははは、と乾いた声を洩らしながら、その場にへたり込んだ。

―――あんな化け物が、まるでそうとも悟らせずに、この船に乗っていたことの得体の知れなさを、遅まきながらも痛感したのだった。

シルバは、こきりと肩を鳴らした。罠ならば罠なりに、それを逆手に取って情報を得ようという目論見は、一応成功だ。確か、孤狼の谷だったな、と情報を反芻する。

彼にとっては、一分一秒すら惜しいのだ。とっとと、叶うならば自分以外の受験者すべてを即刻戦闘不能にしてでも、合格をもぎ取って自宅へと凱旋したい。その為なら、大人げないと言われようとも、己の全霊を持ってして事に当たるつもりだった。ぎゅっぎゅっと軽く屈伸運動をすると、脚にぐっと力を込める。瞬きの後、残ったのは踏み締められた際に大きく穿たれた地面と、名残りを感じさせる一陣の風のみ。


―――目指すは、孤狼の谷。ナビゲーター一族のいる、試験会場への道しるべだ。



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割と長くなる予感…。
読まなくても、本編に支障はありません。
完全オリジナルストーリーで展開します。

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