さよならくらい出来る
知らない天井だ…と言うのは、普段とは違うところで目覚めた場合の定番だろう。あまり寝た気はしなかったが、むくりと起き上がる。全身が鈍く痛む。隣を見ると、およそ暗殺者には見えない無防備な顔をして、シルバさんが眠っていた。
寝起きだというのに頭は冴えていて、妙に冷静だった。感情が凪いでいて、自分のものではないようにすら思える。痺れたみたいな痛みが続く身体も、勝手に流れる涙すら他人事で。
なんて隙だらけの姿だろう。きっと誰も信じない。彼が、私の前でだけこんな風に無警戒に眠るなんてこと。私はふ、と唇に笑みを浮かべて、シルバさんの頬に口付けた。
『……そんな姿見せて…、私があなたを殺そうとしてたら、どうするんです?』
出来もしないことを強がって言ってみる。これが最後だと、必死に自分に言い聞かせた。
こにゃにゃちはーーーー☆ みんな大好きユキノちゃんの登場だ!!強気に本気無敵に素敵元気に勇気!神風怪盗ジャンヌが好きって言ったら年代割れる?うるさいな、年齢のことは言うな!心はいつまでも乙女なんだよ!
え?別のお話かと思うほど雰囲気が違う?シリアス仕事しろ?なんてメタいことを言ってみる。ちっちっち!私にシリアスなんて似合わないよね!というわけで、ユキノちゃん花の十八歳…!
逐電しまーーーーーーす☆
ちく‐てん【逐電】
(「ちくでん」とも。いなずまを追う意)
1 非常に敏速に行動すること。急ぐこと。
2 逃げ去って行方をくらますこと。
3 かみなり。
by 広辞苑!今回選ぶのは2番だよ!はい2番勿論2番全力投球で2番!動くこと雷霆の如しって感じかなァ?テニプリを思い出す。懐っ。…でも、流石の私も黙って出奔することなんて出来ない。仕事をしている社会人としてあるまじきことだ。だから、ちゃんと雇い主であるゼノさんとはお話しなきゃね。と思ってツボネさんに大事な話があると伝えると、ゼノさんの書斎まで案内してくれた。ツボネさんは直属だし、ついでに聞いてもらった方がいいや。
「辞める?」
私がここを辞めたい、てか辞めます、と言っても、ゼノさんはあまり驚かなかった。ふうん、とでも言いたそうな軽さでちょっと首を傾げる。あ、その仕草なんだかイルミに似てる。血縁ってすごい。てか四十越えたおじさんが可愛すぎでしょ。なんて萌えてる場合じゃない。うん、場合じゃないぞ私。落ち着け。餅つけ。
「一応理由を聞いておこうか」
『一身上の都合です。申し訳ありません』
「つまり、言いたくないと?」
『申し訳ありません』
都合の良い言葉だよね、一身上の都合って。詳細な理由を聞かれないように牽制してる意味もある。個人的なことなので、ってやつだね。狡くてすみません。唐突にやって来た氏素性も知れない娘を一年も雇ってくれたことはほんとに感謝してる。偏に、ゼノさんの器の大きさの賜物だった。初めは殺そうとしてるのかなーとか思ってたけど。ゼノさんが仕事にプライドを持ってるってことは分かる。だから仕事以外で人殺しなんてしないんだって今は信じられる。原作でもコムギのことであんなにショック受けてたしね。
ゼノさんはふむ、と少しだけ考える素振りをすると、引き出しから何やら紙を取り出して、さらさらと何かを書き付けた。それはツボネさんを介して、私に手渡される。
『…これは?』
「退職金代わりだ。持っていくといい」
見て見ると、小切手だった。……ちょ?!豪快なうえ太っ腹過ぎない?!ゼロが何個あるのか数えるのも面倒になるくらいだよ?!定年まで働いたサラリーマンだってこんなに貰えない。庶民には一生お目に掛かれないくらいの金額がそこには書かれていた。
「行く宛はあるのか」
『考えてはいます』
「そうか。……シルバが寂しがるな」
『………』
その言葉には、無言を以て返した。多分、ゼノさんは私がシルバさんに黙って出て行こうとしていることに気が付いている。そりゃそうだ。わざわざシルバさんが仕事でいない時に辞めるって言い出したんだから。年長者に何も悟られないなんて私も自惚れてない。
もしかしたら、ゼノさんがこれだけのお金くれたのって、手切れ金の意味もあるのかな。ツボネさん達は私のこと嫌ってたし、ゼノさんもそうではないと言い切れない。心配しなくても、もうお宅の息子さんには近付きませんよ。やだ、私ってば卑屈すぎ。だからいつまでたっても陰キャなんだ。
『お世話になりました』
ぺこりと頭を下げたところで、達者でな、と声がした。
『…よし』
挨拶したその日に荷物を纏めたけど、正直言ってほとんど持っていくべきものはなかった。ここに来た時に着てた服を着て、下着とか着換えを詰めれば、それで終了だ。ゾルディックにお邪魔した時から今まで、シルバさんは沢山のものをくれたけど…全部、置いて行くことにした。本とか、服とか、宝石とかね。だって黙って出て行く不義理をするんだ。これで金目の物もまで持っていくなんてどんだけだよ。そこまで腐ってないわ。メイド服も気に入ってたけど、きちんと畳んで置いておく。こうしてみると、私の一年ってこんなものか、と思ってしまう。
広くて綺麗なお部屋の中にあるものは、シルバさんがくれたものだけ。私自身のものって全然ないんだもん。きい、とドアを開けて外に出る。屋敷から出るところで、ツボネさんが玄関前に立っているのが見えた。
「これを」
『?』
ツボネさんがくれたのは、飛行船のチケットだった。パドキア共和国のある大陸から、アイジエン大陸にあるカキン国までのチケット。うわー、私が今後の生活が一切先行き不透明なの完全にバレてんじゃん。考えてはいますなんて嘘でした。どこ行こっかなあーから始めるとこだった。てへっ☆ 正直めっちゃ助かります。
『…ありがとうございます』
「分かっていたと思いますが、私は貴方を疎んでいました」
え、何。唐突なカミングアウト。知ってたよ。あんなにバリバリ睨んでおいて知らないわけないじゃんね。でもわざわざ言うことなくない?傷付く。
「ですが、それは貴方の人格自体をという意味ではありません事よ。寧ろ、貴方が分を弁えた娘であったことは感謝しています」
達者でやりなさい、とツボネさんが初めて私に微笑んだ。え、待って何それ…ツンデレ?ちょっと泣きそう。よく分かんないけど、私の性格とかが原因ではないらしい。もう何でもいいや。終わり良ければってやつ。色々あったけど、ツボネさんの厳しい指導も今後役立ちそうだもん。次の職でハウスキーパーとかいいかも。私だって、感謝してる。
ツボネさんにも深々と頭を下げてから、屋敷を出る。ククルーマウンテンの頂上に屋敷があるせいで、麓まで降りるのはめっちゃ登山…いや下山なんだけど。ほんとにキツイ行程ですが、大丈夫。私にはミケがいるからね!!
ミケは私が屋敷を出た瞬間、どこから嗅ぎつけたのかミケはやってくる。ごめんよ、ちょっと乗せてくれないかい?というと、はっはっはと舌を垂らしながらしゃがんでくれた。やだうちの犬賢過ぎ…。人の言葉完全に理解してんじゃん。と感動しつつよじ登る。尋常じゃなく成長したお蔭でこんなことも出来るのだ。猫バスならぬミケバス。あっでも待ってもうちょっとゆっくり走って?私飛んでいっちゃうから。毛が毟れるんじゃないかってくらいミケにしがみ付き、門の近くで降ろしてもらう。
あれ、そういえばだけど、試しの門、どうやって開けよう。そうなのだ。原作と違い、まだ試しの門の脇には小さな扉がない。つまり、外に出るには試しの門を開けるしか方法はないのだ。やっべ、忘れてた…どないしょ。もっかい戻ってツボネさんに頼むかな、とそこまで考えた時だった。
「俺が開けてやる」
『…!ゴトーさん』
「出て行くんだろ?」
いつの間にか、後ろにはゴトーさんがいた。げ、マジか。ツボネさんにはゴトーさんにもよろしくって言付て、会わないでおこうと思ったのに。いつも以上に怒っているような様子に気まずくなるけど、開けてくれるっていうなら否やはない。うん。
私が出て行こうとしていることを察してか、ミケがきゅんきゅんと鳴く。聞いたことないような切なげな声だ。行かないで、とでもいうように顔を舐められて、胸がきゅうっとなった。ごめんね、ミケ。私が唯一ここに心残りがあるとしたら、キミのことだけだよ。世話役だったのに…無責任だよね。ごめんね、と謝って頭を撫でる。みんなに可愛がられて立派な番犬になるんだよー。もう認めるからさ、キミが侵入者を噛み殺してたミケだって。こういうと洒落にならないけど、一杯食べて大きくおなり。
「何か言伝があるなら、聞いてやる」
『誰にですか?』
「若様に決まってんだろ」
ミケを撫でている私にゴトーさんがぶっきらぼうに言った。え、言伝?そんなのないけど。残すつもりなら書き置きでも書いてるよ。
『ありません』
「…何にも?」
『はい、ありません』
「物でもいい。何かないのか?」
『お渡し出来るようなものは、何も』
そう言い切ると、ゴトーさんの目が吊り上がった。般若のお面みたいだ。めっちゃ怖い。もー、だから言いたくなかったんだよ、絶対ゴトーさん怒るの分かり切ってたんだからさぁ。そんなこと一々聞いてくるから悪いんじゃないか。怒られても困る。
「ふざけんじゃねェぞおい!どんだけ不義理なんだてめェは!」
あー、もー!最後までこれェ?
「若様の気持ちは知ってんだろうが!なのに、何にも残さないつもりかよ?!物も、言葉も?ンなの、薄情が過ぎるだろうが!!」
『ーーーどっちが』
ゴトーさんの言葉を聞いた途端、自分の中でぷちんと何かが切れた。地の底から這うような声が出る。自分がこんな声を出せたことに驚いた。ゴトーさんも驚いてる。
『薄情なのは、シルバさんの方です。―――私は、あの人に何にも残さない。物も、言葉も、何にも、何一つ、残したくなんかない』
駄目だ。こんなこと言っては駄目なのに。ゴトーさんのせいだ。何も言わずに去ろうと思ったからゼノさんにも言わなかったのに、一度口にしたら堰を切ったように溢れ出て止まらない。私の唇が、壊れてしまったみたい。一度零れ出れば、もう落ちていくだけ。こんなの、全然私が望んだ綺麗なさよならじゃない。
『シルバさんは、言ったんです。自分から暗殺者を引いたら何も残らないって。笑っちゃいます。残らないんですって。―――私、あの人の中に少しも、残らないんですよ』
その程度の存在だったって、あんな形で突きつけるなんて酷過ぎる。シルバさんは変化系。気紛れで嘘つきなんだってね。大事なものがあっという間にゴミに変わるんだよね。知ってるよ。分かってるよ。シルバさんがいつか、私をどうでもいい存在だと思うようになるなんて分かってる。―――分かってたはずだよね、私。
好きだって、言ったくせに。俺の女だって、言ったくせに。
『私は、あの人の中に少しも、ほんのこれっぽっちも、残ることが出来ないんですって』
シルバさん。あなたは、私をこんな風にしてしまった。マリさんの元を離れて、ゾルディックに身を寄せて、私の世界をシルバさんを中心とした繋がりで構成されたものに変えてしまった。この世界に縋り付く縁は、もう、シルバさんだけ。私には、シルバさんしかいないのに。あなたにとって、私は何の価値もないんだって、そう言われた私の気持ちが、あなたに分かる?
いつか捨てられるかもしれないのに、どんどん依存していく。嫌われることに怯えて、不安になる日が続いていく。そんなのは…そんなのは、あんまり惨めじゃないか。
『だったら私も残さない。何一つ、シルバさんには残さない』
卑怯でいいよ。不誠実でいい、不義理でいい。薄情だって冷血だって、いくらでも罵ってくれて構わない。私は、生き汚いし、口は悪いし、態度も大きければ礼儀もなっていない、良いところなんて少しもない、道ばたのぺんぺん草みたいなどうしようもない女だ。だけど、だけどね。
―――私にだって、プライドはあるの。
これ以上、あなたを好きになりたくない。あなたがいないと生きていけない、そんな私になるのは嫌なの。
だから消えるんです。シルバさんの前から。逃げるんです。ゾルディック家から。出て行って、あげますから。シルバさんの人生からも。
―――あなたにとっての私が、まだ大事なものであるうちに。ゴミへと変わる…その前に。
『これでさよならにするんです。……ただの、私の我儘ですよ』
私は、涙を流さないようにぐっと唇を噛み締めた。薄情なシルバさんの為に、薄情な私は涙の一つも流さない。そのくらいの恰好は付けさせてほしい。
シルバさん。あなたは、キキョウさんと結婚して幸せになってほしい。原作通りの、揺るぎない暗殺者のあなたでいて。私のことは思い出にしてくれていい。いや…いっそ、跡形もなく忘れてくれた方がいいかな。その方が、消えた甲斐もあるから。
『ゴトーさん…、シルバさんのこと、お願いしますね』
みっともないなァ、私。きっと上手く笑えてない。でもいいや。シルバさんの前じゃなきゃ、何でもいいよ。あの人の前じゃ、もう恰好付けられそうにないからさ。
ゴトーさんは、何かを言おうとしたけれど、結局何も口にしなかった。そして、無言のまま試しの門を開けてくれる。私は最後にミケを一撫でしてから、その門を潜った。門が閉まる直前まで、ゴトーさんとミケを見つめていた。そのまま、無機質な音を立てて門が閉まる。
それだけで、私のゾルディックとの繋がりは切れた。
『―――ばいばい、シルバさん』
私は、静かに空を見上げた。私の心とは裏腹に、天気は雲一つない、どこまでも続く快晴で。
―――こんな日くらい、雨が降ってくれてもいいのに、と小さく呟いた。
柔らかな風が吹く十八歳の春、出会った頃と同じ季節に、私はシルバさんの前から姿を消した。
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