暗殺一家によろしく
- ナノ -
雨、後




富・名声・力、この世のすべてを手に入れた男、暗殺王、シルバ・ゾルディック。彼の放った一言は人々を山に駆り立てた。「俺の命か? 欲しけりゃくれてやる。来たれ! この世の全てはここに置いてある!」男達はククールマウンテンを目指し夢を追いつづける。世はまさに大暗殺時代!

「どうしたの、お母様?」
「え?」
「手が止まってるよ」
「ああ、ごめんなさい」

……ま、まずいまずい。思考が完全にトリップしてたよ。あれだ、中の人が降りて来たって感じだ。私は何馬鹿なことを考えてるんだか。絵本を捲っていた手を止めて、朗読する声まで止まってしまっていたせいで膝の上に座っている愛息子は不満げである。少し膨れた頬が可愛い。ぐう天使。もう一度ごめんねと謝って頭を撫でてあげると、ちょっと機嫌は直ったらしい。改めて絵本の続きを開く。

それにしても。ゴトーさんに頼んで買って来てもらった絵本だけど、正直これはどうかと思うんだけどなぁ。タイトルは『海を手に入れた少年』。夢のある感じの題名とキラキラした可愛らしい表紙とは裏腹に、内容は切った張ったの血みどろな戦いと、陰謀と策略を用いて海賊王と呼ばれた大海賊を陥れて海を支配するというヘビーストーリー。私は子どもの情操教育に良さそうな本をお願いしたはずなんだけど、ゴトーさんェ…。ゾルディック的にはそうなのか?これが情操にいいのか?

カルトちゃんが目をきらきらさせて本に釘付けなのも複雑な気持ちに拍車をかける。何で子ども向けの本なのに生首の絵が普通にあるの?カルトちゃんの感想が「この人下手だね、お母様。こんなに血が出ちゃってる」っていうのも困る。そんな同意求められても、お母様こういう時どんな顔をすればいいのか分からないの…。まあ、私が冒頭で訳分からないナレーションを繰り出した理由も分かってもらえたことと思う。早い話が現実逃避である。

息子を五人も産んどいてなんなんだけど、世界観が違い過ぎてたまに私はついていけなくなる。思考がトリップするのはあまりにもバイオレンスな嫁ぎ先の感性に私のキャパシティーが爆発しそうになるからだ。いや、息子は可愛いけどね?カルトちゃんなんか娘みたいだけど、息子は可愛いけどね?出来るならちょっとだけでいいから倫理観ってものを身に着けてほしいなぁ。

目の前の艶やかな髪を撫でながら、私はここまでの出来事に思いを馳せた―――。


**********

その日私はとても上機嫌だった。期末テストで良い点を取ったお蔭で、お小遣いが増額されたのだ。それを持ってアニ●イトに駆け込み、楽しみにしていたラノベの新刊を購入する。次は漫画の新刊を買おうかなぁと予定を立てつつ、ルンルン気分で店を出る。

と、そこは既に、普通ではありませんでした。

私はその場に縫い付けられたように動けなかった。そう、動けなかったのだ。こういうと厨二臭いと思われるかもしれないが、その空間に満ちる雰囲気は尋常ではなかった。たとえるならばパーティがまだ誰もいない新米勇者が初期装備「かわのよろい」を唯一のおともに村を出た途端魔王とエンカウントしたかのような圧倒的絶望感、悲壮感というか。ピリピリした肌を刺すもの、これが殺気!!ってな感じだ。

…というか、ここ、どこ?私はメイトに来たんだよね?その店舗はデパートの中にあるんだから、店を一歩出たら目の前にはレディースの服屋があったはずだよね?何で路地裏?何で外?何でお空真っ暗なの?いつからドアはドアでもどこでもドアが設置されるようになったの?科学の神秘なの?何より、足元に広がるこの赤い液体は何なの?絵具なの?疑問だらけの脳みそは束の間停止し、私にオタクならではの思考を促した。

………ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
「私はアニ●イトから出たと思ったらいつのまにか真っ暗路地裏に出ていた」
な…何を言っているのかわからねェと思うが私も何をされたのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…瞬間移動だとか白昼夢だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねェ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。

……ク、クリリンのことかー?

いやごめん、これはふざけました。違うよね、分かってるよ。私の頭上にはしきりにはてなマークが浮かんでいる。え?いやいや待って?何なの?いっそ本当に夢だと言われた方がよほど納得出来たよ。二度寝するレベルだよ。さっきまでこの辺は凄い賑やかだったはずなのに、しーんとしていて人っ子一人いない。店を出たら別世界でしたって、そんな二次創作じゃあるまいし。私は召喚の鏡も潜った覚えはないんだけど。よしんば潜ったとしても自動ドアくらいなんだけど。定番のネタとしてはツンデレの女王の声をしたつるぺたピンクブロンドの美少女がいるところなんじゃない?現状が理解出来ない。

息をするのも苦しい雰囲気ながら、必死に体を動かして、恐る恐る一歩踏み出してみる。ぴちゃり、と足元で音がなる。きっと色のついた水に違いない。これがヘモグロビンだなんて信じない。私は科学の成績は良くないので判断は付かないけど、鼻を突く金臭いのも辺りの工場でもあるからだろう。だから血じゃないったら。信じないったら。どうすりゃいいんだ…せ、せめて交番でもあればいいんだけど。無意識に縋りつくものを求めてぎゅうっとラノベを握りしめる。ひいい〜、足元で嫌な音がするよう。

そのまま抜き足差し足で歩いていると、前方でぐきゃ、と変な声がした。びっくう!と反射的に跳ねてしまう体。今度は何!と顔を上げると。

びしゃっと顔面に跳ね飛んだ液体。見上げた視線の先には、鋭利な何かを手にした人影と、崩れ落ちる人、らしきもの。


……
………血だったわ。現実逃避してごめんなさい。血だったわ〜なあんだそうなのか、パターンBか。OKOK許容範囲だわぁ。………なわけあるかっ?!血だ!血だ!きゅ、救急車ぁ!いや先に警察?!とにかくメーデーメーデー!おまわりさあん!殺人事件です!いっそコナン君でもいいよ!

あわわわわわと脳内で大パニックを起こしていた私に気付いたのか、犯人らしき人がこちらを向く。その時だ。辺りを真っ暗にしていた月を覆う大きな雲が晴れて、光が降り注ぐ。こちらを見つめる影はコナンでありがちの真っ黒な衣装を着てはいたけれど、その姿は月明かりを受けて神秘的に輝いていた。風に緩く靡くのは、光を浴びてキラキラと光る綺麗な銀糸の糸。こちらを真っ直ぐ見つめる猫のような鋭い瞳は、薄い青色をしていた。二つの色の対比が、そのコントラストが、非現実的な状況と相まって、とてもこの世のものではないような気さえした。

―――綺麗だと、そう思った。

陳腐な感想だ。私にはどうやら、国語の才能もなかったらしい。二十歳くらいに見える男の足元に血溜まりに沈む人がいる。刃物だと思っていた鈍色の鋭利な何かは凶器ではなく長く伸びた爪だったらしい。心構えをする暇もなく放り出された見知らぬ土地で出会ったのが、ピンクブロンドの美少女ではなく、シルバーブロンドの美青年だったなんて笑えない。けれど、有体に言えば私は彼に見惚れていたのだろう。何せ、現実世界では滅多にお目に掛かれないリアルな美形だったのだ。思考の片隅で眼福だと思った。…男日照りですいません。

「……こんばんは。月が、綺麗ですね」

…えーと、えーと、とりあえずなんか言わなきゃ。殺人犯に会った時はなるべく相手を刺激しないようにしないといけないってうちの近所の村上のおじいちゃんが言ってたし。村上のおじいちゃんは殺人犯に会ったことあんのか、なんて突っ込みはしてはいけない。って思って口を開いたけど、何言ってたんだ私?!何で普通に世間話?!テンパりすぎっしょ!

「こんな夜にそれを汚すようなことは、無粋だと思いませんか?」

訳:良い月夜なのでそれに免じて目撃者である私を見逃して下さい。…婉曲に言ったつもりなんだけど、伝わったかな?耳の横にあるんじゃないかというくらい大きな音を響かせる心臓が煩い。


永遠とも思える刹那の間、私と彼はじっと見つめ合ったまま動かなかった。


あれから数日。何故か知らないが見逃して貰えたらしい私は命からがらその場を逃げ出して、行く宛もなくどこかの軒下で蹲った。交番がないんだよここ。てか真っ暗で怖いし〜。動けないよお、怖いよぉ。死体らしきものが真っ暗でよく見えなかったことがせめてもの救いだった。もしまともに見てしまったら、私はその場でリバースしていただろう。いくらアニメやドラマで見ていても、実物とはきっと大違いのはずだ。

そうやって朝まで待っていると、どうやら私がいたところは店先だったらしい。ひょっこりと顔を出したのは50かそこらの優し気なおばあさんで、彼女は目を丸くしながら私のことを家に招き入れてくれた。いや、正直怪しさ満点だよね。なんて優しい人なんだ。この世は捨てたもんじゃない。

私はかくかくしかじか、まるまるうしうしで事情を説明した。マリと名乗ったおばあさんはそこそこ大きな古書店を営んでいるらしい。どうやら私が持っているラノベがいたくお気に召したらしい。日本語だからかな?マリさんを見て思ったんだけど、どう考えてもここは日本じゃない。地名を聞いてもミンボ共和国とか訳分かんない地名を言うし。異世界か?異世界なのか?

まあそれは置いといて(本当は置いときたくないけど)マリさんからは夫には先立たれ気ままな一人暮らし、良ければ一緒に住まないかというありがたいお言葉まで頂いた。出来たら警察に行きたいけど、同じ説明をして頭のおかしい子と思われて塀のある病院に連れてかれても困るしなぁ。とりあえずお店のお手伝いをするとして、当面はお世話になることに決めた。ありがたや。魔女宅のキキが住んでたみたいな別棟の空き部屋を借りて、ひとまず衣食住には困らなくなったと安堵する。

ところで。一番の疑問は、マリさんの店の手伝いをさせてもらった日に解決することになる。目に映る本の数々に記された文字が、どこかで見覚えのあるものだったのである。ポケモンのアンノーンみたいなあれである。

つまり。



―――HUNTER×HUNTERかよっ!!!!





前/4/

戻る