暗殺一家によろしく
- ナノ -
シルバの華麗なるハンター試験奮闘記 3




ピンポンパンポーン、と明るいチャイムが鳴り響く。地下室の剥き出しになったパイプの各所に括り付けられたメガホンから、その音は聞こえて来ていた。会場に集まった受験者達は、各々意識をそちらへと向けた。

[現時刻を以て、ハンター試験の受付を終了とする]
[受験者総数、298名]
[これ以後、ハンター協会は受験者の死亡、怪我、その他一切に係る責任を負わない]
[ハンターたるもの、選択も、安全も、いのちも全て自己責任]

朗々と流れるのは、機械音を思わせる無機質な声だった。マイクを通しているせいか、人間味を感じさせない、冷たい文章の羅列が続く。その内容に、若く血気盛んなハンター志望者達は鼻を鳴らした。言われずともだ。ここに辿り着いた時点で、既に覚悟は出来ている。今更形式ばった注意事項など並べ立てられて、怖気づく方が可笑しいのだ。早く始めろー!という野次が飛ぶ。

[…愚問だというなら良いだろう。だが、勘違いしてもらっては困る]
[―――ハンター試験第一試験は、既に始まっている]

どういう意味だ?と疑問の声が上がるよりも早く。

[そうそう、一つ言い忘れていたが]

[これより三日、如何なる理由であろうとも、棄権は受け付けられない]

[では、………検討を祈る]

瞬間。

―――ハンター試験の会場は、一切の光の灯らぬ、無明の闇に閉ざされた。


「んっくくっくくくく!!」

男はポップコーンを片手に、モニターを見ながら笑みを零した。優に五メートルはあろう巨大モニターを前にして、まるで映画鑑賞をするかのような体勢で、ロッキングチェアに腰掛けている。波打つ長い髪は顔全体を覆い、ロッキングチェアが揺れる度に毛先が床を擦る。ぽりぽりとポップコーンを口に放り込み、再び笑声を洩らした。

「今年もえらく受験生が揃ったな〜。ガイドめ、もっと篩い落としに掛けろと言ったのに」

世間では難関と言われるハンター試験は、会場に到達するだけで至難と言われているのに、近年はいやに受験者の数が増えた。ハンター試験の格式を重んじるならばもっと少なくてもいいものなのに、困りものである。しかし、今年が豊作だというのなら悪くもないか、と思い直す。

男もまた、幻獣ハンターに名を連ねる者であった。ハンター試験は毎年、ハンター協会から依頼を受けたプロハンターが試験官を務め、各自の裁量で試験内容を定めることが許されている。男は申し出を受けた時、まあ話のタネにはいいかと、気紛れを起こして了承した。

…したはいいが、男は面倒臭がりであった。いざ試験をするとなると、その試験内容を考えるのも億劫で、かといって自分が受験生を審査するのはもっと面倒臭い。そこで、思い付いたのだ。―――期限を設け、期限を迎えた暁に、心身共に良好な状態を保っている者を、合格者としようと。つまり、今モニターの向こうで起こっている状態……ハンター試験の会場で、三日間を過ごすこと、である。

受験生に全員に齎されたのは、光源の一つもない無明の闇。あの空間には、現時点、外界へ通じる扉は存在しない。当然、窓もない。あるとすれば、数百人が生命活動を行うのに不足がない酸素を補う為の、空気孔だけである。

闇に目が慣れる、という言葉があるが、そのメカニズムを知っているだろうか。これは所謂暗順応と呼ばれる作用で、網膜の中にある光を取り込む細胞が増えることによって、段々周囲を視認出来るようになる、というものだ。フクロウが良い例だろう。夜目が利くと言われるフクロウは、この細胞を人よりも多く持っているからこそ、暗闇でも活動が出来るのだ。

だが、それも光源があればの話。如何に少ない光でも視界を確保出来る動物とて、今のハンター試験の会場のように、一切の光源もない状態では、闇に目も慣れようがない。―――次第に、騒めきと共に、受験生達は混乱に陥った。

「おい、ふざけんな?!」
「こんなのが試験だって?!」
「出せ、コラ!!」
「明かり…明かり!!」

各々、ライターや携帯電話などで、明かりを確保する。そして入って来たエレベーターを呼び出そうとするが反応はない。受験を締め切ったと同時に箱のドアは閉じられ、扉を無理やり抉じ開けたとしても、そこにあるのは壁だけだ。受験生がしそうな思考も行動も、予測していない筈がない。…出られない。数時間も会場の中を隅々まで調べれば、ここが脱出不可能な堅牢な地下空間なのだと、彼等にも理解が出来た。

じゃあ、飯はどうするんだ。
排泄は?
こんな空間で、三日も?……そもそも本当に、三日で開くのか?

明かりの元である携帯や、ライターも電池や油が尽きれば、無用の長物だ。伝搬していく不安は、精神が脆弱な者から気力も奪っていく。その中でも、並み居る者達とは違う、心得のある一部の強者は余計な体力を消耗しないよう、既に動きを止めていた。ハンター試験を受けるにあたって、自分だけが生き残る為の蓄えだって用意している。これくらいで動揺するくらいなら、ハンターになる資格なしということであろう。

―――当然、シルバも後者だ。喧噪も、焦燥も不安も牽制も何のその。人々の意識も向かぬ、天井近くのパイプの上に、木の上で生活する動物のようにごろんと寝転び、くあ、と欠伸を零した。

……説明から解釈するに、三日の間、この暗闇の中に閉じ込められるというのが第一試験の内容なのだろう。人の目は、動物のそれとは違い、彩度に関する認識も深い。それゆえ、単色の空間に閉じ込められると、どうにも落ち着かない気持ちになるものらしい。白でも、黒でもいい。今回の場合は、黒…闇に染まった、閉鎖空間だ。別に閉所恐怖症でなくとも、閉じ込められたという閉塞感と視界が悪いという悪環境で、精神のバランスを保てなくなる。

受験者の精神力と忍耐力を測るには、確かにうってつけかもしれない。が。……シルバにとっては、物心付いた頃に行った、精神修行の一環、その初歩の初歩である。

懐かしいな、と思いを馳せる。ゾルディックは周知の通り、ククルーマウンテンとその麓の樹海全体が私有地であり、樹海を囲む高い外壁の為に、実質出入りが可能なのは正門のみとなっている。広大な敷地には鬱蒼とした森と川があり、あまり知られていないが、地下には古い坑道が存在していた。

山を半周するほどの、全長がどれくらいかも分からない旧坑道。シルバは幼い頃、父ゼノにそこに放り込まれた。入口を大岩で閉じられ、反対側から出られるからなーと軽い助言を受け、光の一切灯らぬ暗道を、それこそ死ぬ思いをして通り抜けた。闇を好む野獣の住処となっているせいで、ただでさえ視界が覚束ない中、襲い来る敵を退けて出口を目指す日々。日付の感覚もなくなって、ようやく太陽の光を拝んだ時は、オレンジの光に網膜が焼けるようだったのを、よく覚えている。…闇に溶け込む暗殺者だって、陽光がなければ生きられないものなのだ。

……そんな記憶を辿れば、ただ暗闇に三日間いるだけでいいなど、天国のようである。というか、寧ろ退屈だった。…いねェよ、そんなバイオレンスな幼少期を過ごしたヤツ…などと、シルバの回想に突っ込みを入れる者など、勿論存在しない。暇な試験になりそうだな…、と早々に目を閉じ、睡眠を取ることにした。どうせ暗いのなら、目を開けていても閉じていても、同じだから。

……それから、どれほどの時間が経っただろう。

太陽の昇り沈みも分からぬ、体内時計も狂ってしまう暗闇では、今が何日めかも分からない。食糧を巡って醜い争いをし、視界が利かぬからこそ余計な諍いを生み、やがては衰弱した者、精神に不調を来した者、息を潜める者…と受験者の反応も分かたれる。むくつけき男達が蝟集しているせいで、悪臭が鼻に突く。垂れ流された糞尿、吐瀉物の臭い。空気が循環されない為に、嗅覚が人一倍優れたとある少年が「うェ〜〜〜」と終始鼻を摘まんでいないといけないほど、環境は劣悪だった。

―――そんな、時間と五感を圧迫するしんと静まり返った空間の中で。

ピピピ…ピピピ…

機械音が、響き渡った。

「……ン?」

気配を遮断して、警戒する為に意識の端だけ起こして惰眠を貪っていたシルバは、振動するポケットの中の機械に目を開けた。……彼の正確な体内時計は、閉じ込められてから三日目の朝だと言っている。身体機能はある程度コントロール出来る上、一週間くらいなら飲まず食わずでも平素と変わらぬ動きが出来るという、化け物染みた身体能力のお陰で、死屍累々としている地上の面々とは裏腹に、未だにピンピンしている。…電話か、とポケットを探り、ディスプレイに表示されている名前に目を瞠った。

「…もしもし?ユキノ?」
〈…んー……、…ピッ、…んん?〉

だが、電話の先から聞こえてきたのは、予想していた声ではなかった。少し高めの、幼い声。小さく悩まし気な声と共に、ぴっぴと何度か機械音が続く。…どうやら、シルバが電話に出たことにも気付いていないらしい。と、いうことは、勝手に弄っているんだな…とその光景が容易に想像出来て、自然と口元が笑んだ。愛しい息子の、当人からすれば一生懸命な、傍から見れば微笑ましい姿が目に浮かぶようだ。

「……イルミか?」
〈んっ!……おとーしゃん?〉
「あぁ」
〈おとーしゃん、いま、しけんなの?〉
「…あぁ、そうだ。………良い子にしてるか、イル?」
〈イルはいつでもイイ子だよぉ?〉
「そうだったな」

シルバは今度こそ、声を出して笑った。そういえば、かつて妻に聞いたことがある。彼女が孤児院にイルミを迎えに行った時、良い子にしていた?と聞くと、こう返すのが定番なのだと。孤児院のお手伝いさんに聞いたとしても、敏感に聞き耳を立てて「イルはイイ子だもん!」と言うのだとか。…いつかシルバも聞いてみようと思っていたセリフを、まさかこんな状態で聞くことになるとは。思わぬ僥倖を得た気分だ。

〈おとーしゃんは、しけん、がんばってる?〉
「あぁ。…頑張ってる」
〈イルもねェ、おべんきょ頑張ってる!あとね、ちゃんとピーマンも食べたの!〉
「そうか、偉いなイルは」

ユキノ曰く、お喋りが出来るようになってからはどうしてどうして、あのねあのねが凄いのだと言うことだったが、本当にその通りだ。一緒に風呂に入れている時でも、今もそうだが、イルミはシルバが黙っていても勝手に話しを展開していってしまう。一人で延々に喋っている様が可愛くて、止め処ない話に相槌を打って聞き入る。

「……ユキノはどうしてる?」
〈んーとね、ぼーっとしてることがあるの。おとーしゃんがいなくてさみしそうなの〉
「………」

シルバは携帯電話を握り締めたまま、心臓の辺りを押さえた。クリティカルヒットだ。

そうか…寂しそうか…そうか…。と、イルミの言葉を何度も反芻する。送り出したのは彼女だし、実際平気なわけではないという言葉も貰ったが、第三者から様子を聞くのとは訳が違う。イルミが言うなら、間違いないのだろう。寂寥を感じて、一日でも早く愛する妻と息子の元に帰りたいと切に願っているのがシルバの一人善がりでなくて良かった。

安堵と共に、再び息子の取り留めのない近況報告に耳を傾ける。独特の擬音語を使って綴られるイルミの日常も、母との穏やかな暮らしぶりと、遊び相手の一番手である父がいないことの不満に彩られていた。彼等の当たり前に、ちゃんと自分がいること。いなくなっても変わらないわけではないと実感できただけ、この受験には意味があった気がする。

「…イル」
〈なあに?〉
「……約束を、憶えているか?」
〈うん!〉
「そうか。…ならいい」

言葉少なに、分かり合う親子。男同士には、時には言葉は要らないものなのだ。イルミは女児のように愛らしいけれども。

〈……ル、………イル?〉
〈あ……おかーしゃん〉

電話口の遠くの方で、イルミを呼ぶ声がする。途端にイルミの声色に拙い、と言いたげな雰囲気が混じった。やっぱりユキノの携帯を勝手に弄っていたらしい。見つかってしまったようで、聞き取れないが、何事かを話すような音がした後、通話相手が変わる。……シルバの心を常に占拠する、唯一人の女。

〈…まったく……、玩具じゃないのに。……シルバさん?ごめんなさい、お忙しいのに…〉
「いや、いい。丁度オレも掛けようかと思っていたところだ。イルの声が聞こえて良かった。怒らないでやってくれ」
〈あの子もお父さんと話したかったんでしょうし、そこは怒りませんよ。ただ、勝手に遊んじゃダメよって言うだけです〉

そうか、ならいいのだが。流石にシルバから掛けた、という言い訳は発着履歴を見れば一目瞭然なので使えなかったが、それで愛息が叱られないなら良かった。かつてユキノの家に転がり込んでいたことから分かるように彼女は礼儀に厳しいところがあるので、イルミを専ら躾けているのも彼女だ。…シルバはついつい甘やかしたくなってしまうのに。きちんと叱れるところは、本当に凄いと思う。イルミに愛らしく見上げられ「おとーしゃん、飴ちゃん買ってェ」なんて言われると、よしお父さんが買ってやろうと、抗えず財布を取り出してしまう……、いや、改めなくてはと思うのだが、これが中々……、と、反省は置いておくとして。

〈……ええと、〉
「………」
〈………〉

一番の共通の話題である、イルミの話が終わってしまい、沈黙が落ちる。暫くの間、二人は無言だった。語るべきことはいくらでもある筈なのに、電話が繋がっているのに、ただ静寂だけが続いた。

「………」
〈………〉
「………ユキノ」

愛しい女の名前を、口に乗せる。

〈…はい、シルバさん〉
「………すぐに帰る」

結局、イルミがしたように近況報告をすることもせず、シルバの口から出たのはそんな決意表明のような言葉だった。相も変わらず、シルバの世界には、ただ二人しかいなかった。…最近はそこに、もう一人加えてもいいか、という気になっていたが…、試験が始まっても、新たな登場人物はないままだ。早く帰って、愛妻に、どうだ、見たことかと胸を張りたい。……その先で伝えたい言葉があったから、シルバは受験を受け入れたのだ。

あんまりにも成長のないシルバの物言いに、呆れることはなく。電話口の声は、鈴を鳴らしたような笑い声混じりになった。

〈……はい。………待っています〉

脳裏に、目元を細めて笑う彼女が浮かぶようだった。そうして、また無言のまま、静寂が残る。だが、心地良い沈黙だった。黙っていたとしても、気まずいと思うこともなければ、落ち着かないわけでもない。語らずとも通じる、穏やかな時間。

〈…?なあに?〉
「……どうした?」
〈イルが……、お父さんと話したいの?〉
〈うん〉

そうか、イルミが。ナビゲーターのルウに向けたもの…当然だが、それ以上の父性愛を全開にして、耳を傾ける。日に日に愛らしさを増して来る愛息子の声を聞けるのも、遠地にいる今では貴重な喜びだ。どうした?と優しく聞くと、イルミは元気よくシルバを呼んだ。

〈…おとーしゃん!〉
「ん?」

〈…はやく帰って来てね!〉

………それはもう。―――言われるまでもない。

途端、ぶわりと上がったシルバの存在感に、腕に覚えがある強者達はゾゾゾ!と背筋を凍らせた。



―――シルバが実に楽しそうに家族との会話を繰り広げている中。…外野は、呆然、驚愕と、呆気に取られていた。この時ばかりは、受験者の心の声は一致していただろう。

……で、………電話しとる……。


この、極限の状況下で。三日三晩、暗黒の中、食事も排泄も満足に出来ない、精神的にも肉体的にも最悪な状態で。……電話。デンワだ。電池あるじゃねーかとか、何和む会話してんだ、とか、そういう突っ込みをする気力すらないのに。床に這い蹲る者達は、一瞬ここが地上なのではないか、夢だったのか…と錯覚した。それくらい、シルバの会話は日常的に過ぎた。それを驚きを以て見つめていたのは、何も受験者だけではない。

「な、何者だ?あの男…」

モニターの向こうで悠々と苦悶する受験者を見てほくそ笑んでいた陰湿な試験官は、慌てて、手元の資料を捲った。ハンター試験の際は、受験票を協会に送ることになっている。ただ、受験者が偽名を使っておろうが、はたまた孤児だろうが極悪人だろうが、ハンター協会は差別しない。ハンターの門扉は誰にでも平等に開かれている。

だが、伝説の暗殺一家の跡取り息子が、念能力とて上位から数えた方が早いほどの練度で習熟しているであろう存在が―――ハンター試験を受験しているなどとは、流石に予想外だった。幸い、彼がそれを知ることはなかった。シルバ、と。……姓を捨て、ただそれだけが記された受験票に、ゾルディックの名前はなかったから。

ただ、試験官と受験者の脳裡には深く刻まれたことだろう。―――なんか一人、ヤバいヤツがいる、と。


そして遂に、四日目の朝。


ゴゴゴゴゴ……と地響きを立てて、エレベーターと反対側の壁が左右に開く。そこから続く、暗い道。ハンター試験第二次試験の会場へと続く、一本道だ。


[…約束の時間だ。……現時刻を以て、ハンター試験一次試験を終了とする]

受付を終了した時と同じ文言を機械的に繰り返す声…に、少し動揺が混じっていた気がするのは、誰のせいだろうか。

[二次試験の受験を望む者は、この先に進みたまえ。……ちなみに、五分後にこの扉は自動的に閉まる。その時点で一次試験の会場に居た者は、受験資格を放棄した者とみなす]

這いずって出ようとしても、人数にも行動にも限界がある。出ることが出来るのは、自らの足で地を踏み締めることが出来る者に限られるだろう。残った棄権者は、速やかに地上に放り出されるのみだ。



[………ハンター試験、第267期、第一次試験……合格者、91名!!!]



二次試験へ進み出た者達の後ろで、重い音を立てて、扉が閉まった。



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