暗殺一家によろしく
- ナノ -
答 唯一無二の絶対であることこそ真理




あれだけの縁であったと、油断していたことは認める。あいつは特別な用があってこの街に来たのだろうし、世界を股に掛けるシーハンターだ。海は広く広大で、どこまで続いているのかなんて自らの目で確認した者はいないだろう。だから、この島に再びやってくる偶然なんて想定していなかった。いや、必然の間違いか。

「よう、シルバ!!遊びに来たぜ!!」
「………帰れ」

平日の夕方、鳴り響いたチャイムの音に玄関の扉を開けたシルバは、見覚えのある大男が立っているのを見て、すぐさま状況判断をした。一言だけ呟いて、扉を閉めようとする。だが、敵も然る者。ガッと扉の間に足を挟む。

「まあまあそんな冷たいこと言うなよ親友!」
「勝手に親友認定するな!帰れ!」

ギリギリと扉が悲鳴を上げるような勢いで攻防を繰り返す。言い合いをしていると、ユキノがどうしたんですか?と言いながら出てくる。モラウは馴れ馴れし気にようユキノ!と声を掛けた。シルバの額に青筋が浮かぶ。人の嫁を勝手に呼び捨てしやがってこのヤロウ。許可した覚えはない。

とりあえず近所迷惑になるからと玄関先に入れると、モラウは近くまで来たので寄った、折角だから呑みにでも行こうかと、とのたまった。なんて勝手な奴だ。こっちの予定はお構いなしか。当然断るつもりだったが、なぜかユキノの乗り気で、それは良い!とモラウの提案を歓迎した。自分はイルミがいるから行けないが、シルバもたまには呑んで来たらいいと、快く送り出される。

シルバとしては、ぽかーんと呆気に取られる流れだ。嫌だ。これからユキノが夕飯を作ってくれるというのに、何が悲しくてむさ苦しい男と二人で呑みに行かなくてはいけないのか。だが、抵抗する間もなくズルズルと引き摺られて、結局その日は明け方までモラウと呑み歩く羽目になった。解せぬ。

モラウはそれからもシルバの元を訪れた。酒を持って来たこともあれば、呑みに誘いに来ることもある。最初は鬱陶しいと思っていたが、ここまで来ると天晴だという気持ちが勝った。人の都合なんてお構いなしの男だが、不思議と憎めない。豪快な性質は海の男にありがちなもので、悪いヤツではないことは直感で分かった。まあ、たまになら、呑みに付き合ってやってもいい、そんな気持ちになっていた矢先だった。この男が更なる面倒事を持って来たのは。

「頼むシルバ!お前しかいないんだ!」
「しつこいなお前も」

前言撤回だ。本当に面倒臭い。もう二度と呑みにも付き合わない。こいつは言うに事欠いて…シルバに、ハンター試験を受けろと言って来たのだ。受験すれば受かることなど分かり切っている。あれは、アマチュアがプロとなる為の試験。ハンターであれば、必然的に念能力も収めることになる。既に念能力者であり、紛うことなき戦闘のプロであるシルバからすれば、児戯のような試験だ。だが、受かることと受けることは別だ。

「頼むって!お前が受かったら分け前ちゃんとやるから!」
「いるかそんなもの!」

勝手に人を賭けの対象にしておいて、その言い様だ。シルバは拝むように両手を合わせているモラウを睨み付けた。ハンター試験を受けることになれば、妻と子と長いこと離れていることになる。シルバにとっては、何より耐え難い状況だ。

頑なな態度を取るシルバを、今度は泣き落としのような形でモラウが宥めてくる。なぁなぁ頼むよ〜と殊勝な態度だが、こいつの魂胆は分かっている。柔らかく頼み込むフリをして、その実うんと言うまですっぽんの如くしつこく絡んでくるのだ。だが、今回ばかりは折れてやるつもりはない。はあ、と大きく溜め息を吐いた。

「モラウ。―――…俺は、ゾルディックの人間だ」
「ゾルディックって……あの、暗殺者のゾルディックか?!」
「あぁ。元、だがな。だが、ブラックリストに載るような犯罪者であることは間違いない。そんな俺が、ハンターに相応しいと思うか?」

自分でも不思議だ。何故、こいつに話そうと思ったのだろう。ゾルディックの名はもう捨てたもので、それをハンターであるこいつに知られることは、どう考えても不利益しか齎さない。危険を誘発するような行為だ。それでユキノとイルミの安全を脅かすような事態に繋がったら、どうする。自問しながらも、自答する。

何故だろう。―――モラウのことを、信頼している自分がいる。

「……何だそれ。見損なうなよ、シルバ」
「!」
「お前の生い立ちとか、家業とか、知らねェけどよ。ハンターやってりゃ人を殺すことだってごまんとある。俺だってお前と同じ穴の貉だっての!!」
「…モラウ」
「つーか、もう違うだろ!お前、暗殺者辞めたくて辞めたんだろ!だったら蒸し返すんじゃねー!!」

俺の知ってるお前はうぜェくらい嫁さんと息子が大好きな日雇い労働夫だっての!!と叫んで、モラウは心外そうに腕を組んだ。その言葉に驚くと同時に、心のどこかでそう言うだろうということを予想していた。裏表がなく、情に篤く、悪く言えば甘い男だ。きっと、シルバの過去を話したとしても、それを誰かに口外することも否定することもないと、分かっていた。…何故だろうな。

だが、ハンター試験の受験とは別の話だ、と言おうとしたところで、いいんじゃないですか、という声が聞こえた。弄っていたキューブ型の玩具をイルミに手渡しながら、床に敷かれたマットに腰を下ろしていたユキノがこちらを見ている。

「ユキノ?」
「さっすがユキノ!話が分かる良い女だな!」

あ゛あ??何て言ったお前?ユキノが良い女だということは当たり前だが、何だその言い様は。狙っているというのなら相手になるぞ。この世から跡形もなく消し去ってやる。気の良い奴だとか関係ない。塵殺だ。何だかモラウが言い訳をしているが、聞く耳は持たん。ギラリと殺気を放ったところで、ユキノが間に入って来た。ハンター試験の受験に彼女は賛成らしい。

『考えてもみて下さい。私とシルバさんは正式な夫婦ではありませんし、社会的な信頼はほとんどありません。だから、ハンターライセンスを手に入れることは、私達家族にとっても良いはずです』

ユキノの言葉に、目を瞬く。確かに、その通りだった。シルバには戸籍があるが、それはシルバ=ゾルディックとしてのもの。対して、ユキノには戸籍がない。夫婦として周知されてはいるが、実際は社会的に認められたものではないのだ。そんな二人の間に生まれたイルミも、推して知るべしだ。

シルバは、驚きを持ってモラウを見つめる。すると彼は、何だか罰の悪そうな顔して、明後日の方向を向いている。…確かに、話したことはある。ゾルディックだとは言っていなくても、ユキノと自分が所謂事実婚であるということを。もしかして、モラウはそのことを覚えていて、シルバにハンター試験の受験を勧めたのだろうか。

ハンターライセンスが持つ効力は絶大だ。警察や、政府すら、プロハンターであることを知れば掌を返す程に、ハンターに対する信頼は厚い。戸籍がないだけで怪しまれたり、蔑まれたりすることのある世間だが、ハンターライセンスさえ提示すれば憂いは無くなるだろう。モラウの意図に気付いたことを、この男もまた察したのだろう。賭け事の対象だなんて、こっちに気遣いを持たせないような嘘まで吐いて。

その不器用な優しさを、無碍に切り捨てる気にはなれず、小さく考えさせてくれ、と答えるので精一杯だった。

モラウは、また聞きに来るから、そん時に答えを聞かせてくれ、と言って帰って行った。もやもやした思いを抱えたまま、食事と風呂を済ませる。煩悶とした感情の理由は分かり切っている。一人で考えているだけでも答えが出ないと、ユキノに問い掛けた。彼女は相変わらず、シルバのハンター試験受験には賛成のようだった。

「………ハンター試験は、長ければ二ヶ月も掛かる試験だ。分かっているのか?」

再びのシルバの問い掛けに、ユキノは何を当たり前のことを聞いているのかと言わんばかりに、はい、と頷いた。何とも呆気ない軽々しさで。その軽さが余計に気落ちさせる。もしかしたら簡単な実技試験のみで早く終わると思っているからこそ勧められたのではないかという淡い期待は儚くも打ち砕かれた。

そうか。分かってはいたが、傍を離れたくないと思っているのは、シルバだけだというわけか。いや、別に落ち込んではいない。…いや嘘だ。落ち込んではいるが、それは仕方のないことだ、と必死に自分に言い聞かせると、シルバの手にそっと小さな手が添えられた。

『平気じゃありませんよ。でも、我慢出来ます。シルバさんの為だと思ってますから』
「……俺の為?」

平気じゃない、という言葉一つで感情が浮上する己を単純だと内心笑いながら、続く言葉に首を傾げる。シルバの為という言葉と、船乗り達の航海への同行要請を断ることが繋がらない。モラウの依頼を受けたのは障害を排除するための効率を考えただけで、好きで受けたわけではない。そう答えると、ユキノはそっと微笑んだ。

『私、シルバさんに友人が出来て、嬉しかったんですよ』
「友人じゃない」
『どうして?あんなに仲が良いじゃないですか』
「あ……、……友人なんて、必要ないからだ」

咄嗟に飛び出そうになった言葉を、寸でのところで呑み込んだ。友人ではない。友人など、必要ないと、シルバはそう教えられて育ったのだ。家族以外に親しい者を作れば、もしその相手を殺せという依頼が来た時に躊躇する。友人だと思っていた相手が、ゾルディックを狙う輩である可能性もある。先祖が積み重ねて来た経験が、ゾルディックの家訓を作った。そのせいか、暗殺者を辞めた今も、シルバは友人という言葉を測りかねている。

…モラウのことは、確かに嫌いではない。だが、アイツに感じるものが、友情であるかどうかなんて、シルバには分からないのだ。なのに、ユキノは自分達が友人に見えるという。

「友人が出来ることと、ハンター試験、何か関係があるのか?」
『ありますよ。―――シルバさんの世界が、広がります』
「俺の世界?」

はい、と愛する妻は、シルバの頬に手を当てて、またシルバを困惑させる言葉を紡ぐ。それでも耳を傾けずにはいられない。理解したいと、思わずにはいられない。他ならぬ、彼女の言葉だからこそ。

『行き過ぎた愛情は……愛ではなく、依存と呼ぶんですよ』

いぞん。依存。耳慣れぬ言葉に、目を瞬いて、子どものような返ししか出来なかった。ユキノの意図するところが分からない。依存という言葉が縋り、拠り所にすることを指しているなら、正しくその通りだ。だが、それの何が悪いのだろう。ゾルディックを捨てたシルバにとっては…ユキノが、世界の全てなのだ。

『もし…もしですよ、私が死んでしまったとしたら、』
「―――やめろ!!」

ユキノが口にしようとした言葉を、考える間もなく反射で遮った。驚いたような気配が伝わるけれど、続きを聞きたくなかった。

「やめてくれ…例えだとしても、聞きたくない。お前を喪うなんて考えたくない」

想像だにもしたくない。シルバは、ユキノの小さな身体を掻き抱いた。この温もりが感触が、この世から喪われてしまうなんて冗談じゃない。そんなことになれば、シルバは気を違えてしまうだろう。正気でなんていられない。そんなシルバの背中を、優しく撫でる手がある。

『だから駄目だって言ってるんです。そんなんじゃ私、死んでも死に切れません。きっと、化けて出ちゃう』
「それでもいい。触れられなくても…傍にいてくれれば」

「―――置いて逝くくらいなら、一緒に連れて逝ってくれ」

口を衝いた懇願は、紛れもない本心だった。この世には、死者の念がある。死の際での強い未練や執着は、死者の魂を昇華させ、念という形でこの世に遺る。それでもいい。それでもいいのだ。ユキノは、シルバの全てだ。彼女がいなくなったこの世に、何の未練があろうか。念としてでも傍にいてくれるのなら、それだけでよい。

シルバの心からの哀願にも、ユキノは冷たい答えを返した。イルミはどうなるのか、と。…それを問うのは、卑怯だ。シルバだって、息子のことは愛しい。他ならぬ、ユキノとの間に出来た子だ。イルミのことを挙げられると、口を噤むしかなくなってしまうではないか。

『シルバさん、私はね。シルバさんと離れるつもりなんて、これっぽっちもないですよ』
「…」
『一緒にいたいし、一緒にいてほしい。だから…これは、お願いです。―――もっと広い、世界を見て来て下さい』

『その上で、シルバさんが私とイル以外いらないと言うなら、もう何も言いませんから』

恨みがまし気な目を向けると、また柔らかく微笑まれた。まるで幼い子どもに言い聞かせるような声だ。理不尽、とまでは言わなくても、理解不能な願いを押し付けているのは彼女のはずなのに、これではシルバの方が我儘を言っているようだ。

どうしても?と問うような視線に、どうしても、と返される。お願いという体を取っていたとしても変わらない。嫋やかな見た目と反して、ユキノはひどく頑なで意志が強いのだ。世界を見ることで、シルバの何が変わるとも思えない。まさかまた暗殺者に戻るわけも、ましてや二人の傍を離れようという決意なんてありえない。

「…分かった。行ってくる。だが、俺がお前達の傍を離れたくない気持ちは本物だ。だから速攻で終わらせて帰って来る。…それでも、いいんだな?」

こくりと、頷かれる。ならば今は、それだけで我慢しよう。

シルバは、ただ、ユキノが自分にとっての全てだということを証明するために、ハンター試験を受けるのだ。友人も、仲間も、広い世界も、まだ見ぬ未知の出会いすら、シルバには何一つ必要じゃない。欲しいものは一つだけだと、証を立てるために。

『シルバさん。―――行ってらっしゃい』

愛してると伝えれば、愛していると返してくれるようになった愛しい女を抱き締めて、シルバは彼女の言葉に応える六文字を心の中で唱えた。


*****************
次回から、番外編でハンター試験編が始まったり、始まらなかったり。


/43/次

戻る