暗殺一家によろしく
- ナノ -
心臓を司る所有の証




シルバがそのことに気が付いたのは、ユキノとイルミと暮らし始めてから数ヵ月が経過した時だった。雇ってもらった船の船員に付き合う形で、並んで休憩を取る。正直この程度の労働では少しも疲れないが、あまり浮いた真似も出来ない。何となしに話をして、ユキノと結婚した、ということを洩らすと、年嵩の水夫達は首を傾げた。

「ユキノ…?何か聞いたことあるなぁ」
「ほら、あの子だよ。小さい子ども連れてる、黒髪の別嬪さん」
「ああ、シングルマザーの!!」

何故か、彼等は名前を聞いただけで脳内のイメージと一致させることが可能だったらしい。今度はシルバが首を傾げる番だ。

「ははぁ、そうなのかぁ。子どもいるけど、良かったのかァ?」
「…あの子は俺の子だ」
「「「え?!?!」」

その言い方はコブ付きの女をわざわざ選ぶのか、という揶揄いを含んだものであったのだろうが、そもそもシルバの実子である。ぎょっとした顔をした船乗り達に、ユキノと話し合って決めた設定を話す。暗殺一家ということを省いて、ほぼ全容だが。どうもレストランの夫妻にも、名家の跡取り息子と勘違いされているようだ。…まあ、確かにゾルディックは歴史ある家柄だからな。上流階級といえば間違いない。話し終えたところで、彼等ははあーと感嘆の溜め息を吐いた。

「すっげェなぁ…物語みたいだ」
「シルバ、おめさん、見かけに依らず情熱的なんだなぁ…」
「こりゃピエトロに勝ち目なんかねェなぁ」
「誰だ?ピエトロって」

問い掛けると、魚売り場の売り子をやっている若い男がユキノにご執心だというのは有名な話だ、と聞かされた。魚を買いに来たところで一目惚れしたんだと、と笑って話している。

「俺たちゃピエトロがいつ口説き落とすかって賭けてたんだけどなぁ」
「父親が現れちゃ仕方ねェ。今度慰めてやっかなァ」
「………」
「…シルバ?どーしたよ?」
「……何でもない」

不思議そうに言われて何とか返事をしたが、不快感は拭えない。自分の妻を狙っている男が言われて笑顔で受け応え出来るはずもない。だから、噂のピエトロという男に多少…多少、敵意の籠った視線を投げることは仕方ないことだ。ぞくりと覚えた目をして、辺りをきょろきょろする男。シルバはむすっと押し黙った。その時はまだ、その程度だった。

ある日の朝。ユキノは午後から仕事で、シルバが休日であった日、イルミを孤児院に送り届けてからは、まったりとした朝を過ごしていた。出来るならシルバはひたすらユキノにくっついていたいのだが、働き者の彼女は朝から忙しなく家事をしている。シルバが手伝おうとしても、洗濯物は破くわ皿は割るわで、以前大人しくしていてくれと言われたので、それからは黙って家事をするユキノを見ている。力加減が難しいのだ。念を使わずにいても、壊れやすそうなものを扱うのは慣れていない。勿論ユキノとイルミは最新の注意を払って接しているが、直さないといけない悪癖かもしれない。

ぼうっと動き回る小さな姿を見ていた時だった。ピンポーン!と玄関のチャイムが高らかに鳴る。手が離せないので出てくれませんか?と言われて、シルバは玄関のドアを開けた。

「ユキノさん久しぶり!あ、突然ごめん。これ街で仕入れたんだけど、似合うかなって……あれ?」

そこに立っていたのは、茶色の髪をした明るい雰囲気の青年だった。照れ臭そうに笑いながら綺麗に包装された袋を掲げるが、出て来たのがシルバだと気付き、首を傾げる。

「あ、あれ…?す、すいません、ここ、ユキノさん、の、家、じゃなかった、ですかね…?」
「…そうだが」
「え…っと?」

男は、訪ねた相手の家にいた銀髪の、およそ御目に掛かったことがない美丈夫に困惑した。鍛え上げられた肉体に相まって、威圧感が凄い。シルバはすぐさま察した。この男の目的が自らの妻であり、非常に不愉快なことだが、特別な感情を抱いているであることを。察しわけがない。自分と同じなのだから。だからこそ、手加減なしに鋭い眼光を以て応じた。

「……俺の妻に、何か用か」
「つ、…妻?…………そうか、ユキノさん、結婚したんだ。…そおかあ…そーだよなぁ……。あんな美人が、ずっと一人なわけないもんなぁ…」

シルバの一言に打ちのめされたらしい男は、一気に憔悴した様子になり、ははは、と乾いた笑いを零した。そして、お幸せに…と蚊の鳴くような声で囁いて、ふらふらと帰って行った。同情はしない。愛しい女に近付く害虫に対する慈悲など持ち合わせていない。

シルバが扉を閉じると、誰でしたか?とユキノが問うてきた。茶色の髪をした若い男だった、と答えると、うーんと首を傾げながらフェデリコさんかな?と零す。行商人の息子で、父の商売について街を離れることが多いらしい。家が近所なので、何かと気にかけてくれる優しい人だ、と言われて、シルバは無言になった。そのまま、小柄な体を腕の中に閉じ込める。

『わ…シルバさん?』
「………」

やはり、懸念は本物だった。シルバは気が付いてしまった。今更…本当に今更であるが、ユキノは大変魅力的な女で、それゆえに彼女を狙う男は多いのだ、ということに。

シルバがうだうだしていた四年の間に、他の男に奪われていなかったことが奇跡なのだ。あの時、もう既に恋人や夫がいる、と言われてもおかしくなかった。紙一重で間に合っただけなのだ。しかも、ユキノは鈍感だ。何かと気にかける理由が、ただの親切だと本気で信じ込んでいるような様子に、頭痛がするような思いだった。

「ユキノ」
『はい?』
「キスしてもいいか」

問うのは、もう癖のようなものだ。二度も怒られれば流石のシルバも学習する。再会を果たしてからも、シルバは許可なく彼女に口付けたことはない。最初きょとんとしていたユキノは、次いで頬を染めて、顔を俯かせる。そして、躊躇いがちに口を開く。

『あのですね、シルバさん。きちんと聞いて下さるのはありがたいんですが…、その、もう、いいですよ』
「いいって?」
『ですから…、シルバさんは、キスをするのに、許可を取る必要はないんです』

もう、夫婦なんですから。したい時に好きなようにしていい、と言われて、目を瞬く。しかし、牽制のように勿論外や人前では駄目ですが、と付け加えられる。だが、そんなことを言われては。少女のように可愛らしく頬を染めて、恥じらいながらそんな可愛いことを言われては。シルバの理性が、全速力で家出するのは無理からぬこと。抱き締めたまま、寝室へと連れ込んだ自分は悪くない、と思う。…その時のユキノは殊更に愛らしくて大変昂ぶ……やめておこう。褥での艶姿など、シルバだけが知っておけばいいものだ。

まあ、そんなこんなで。自他共に認めるほど嫉妬深いシルバは、傍目にも分かる証を求めた。いくら噂が広まるとしても、知る限りのうち二人も害虫がいたのであるならば、もっと生息していても不思議ではない。次の日には、街にある宝石店へと足を踏み入れた。結婚指輪が欲しいというと、奥様の指のサイズは如何ほどでしょうか、と聞き返される。…その日のうちは、すごすご引き下がる。

「……このくらい…、だな」

一応、内緒でしたいと思っている贈り物だ。寝ているユキノの手を借り、感覚でサイズを測る。優れた観察眼は、見本として示された指輪を見ればすぐに適切なものを探り当てた。本来ならば給料三か月分の婚約指輪を渡すべきなのだろうが、婚約という段階をすっ飛ばして結婚した二人だ。そこは勘弁してもらうしかない。シルバは、暗殺という仕事で得た金銭ではなく、初めて労働という仕事で手にした対価によって、彼女への贈り物を購入した。真白で穢れないユキノの身を飾るには、それが相応しい気がしたのだ。

そうして手にした指輪をポケットに仕舞って帰宅すると、何やら玄関に二つの気配があるのに気が付いた。出迎えにしては仰々しい。だが見知ったものであっただけに、何も考えずいつもの如く扉を開け、固まった。

『シルバさん』
「おとーしゃん」
『せーのっ』
『「おたんじょうび、おめでとーーーー!!」』

ぱあああん!!という破裂音と同時に、何やら細長い紙のようなものがシルバの上へと降り注ぐ。きゃっきゃっと楽し気な様子の妻子。すわ敵襲かと身構えてしまった。何だこれ?と手に取ると、色とりどりの紙テープだった。最初の掛け声とユキノの言葉で、漸く今日が自分の誕生日だということに思い至った。

そういえばそうだな。今まであまり気にしたことがないから忘れていた。未だ靴も脱がないシルバに痺れを切らしたのか、愛息がくいくいと手を引いてくる。最近力が強くなって来たな…とほわほわしつつついていくと、リビングの机の上には所狭しと豪勢な料理が並べられていた。特に目を惹くのは、中央に置かれているケーキだろう。

「ケーキはイルが作ったの!」
「すごいな、イルミ。美味しそうだ」
「えへへ」

ああ、息子が最近富に可愛過ぎて困る。男だというのに目は大きいし肌は白いしで見ようによっては女にも見えるせいか、邪な輩にかどわかされないか心配になる。知らない相手にはついていってはいけないともっと言い聞かせるべきだな…と思案していると、席に着くように促された。

座ったところでユキノが電気を消した。すると、ローソクについていた火が浮かび上がる。そのまま始まったイルの歌に、じーんと感動してしまった。暗くて良かった。本気で感極まっているところを見られるなど、父親としての威厳を大幅に損ねてしまう。だが、子ども特有の愛らしい声音は、いつまでも聞いていたいと思うほどだ。請われるままに、ローソクの火を吹き消す。そういえばこれも、イルミの誕生日にやっていたな。まさか自分が同じことをするとは思わなかった。

「おとーしゃん、おめでとぉ」

にこっ、と微笑むイルミは、本当に天使なのではなかろうか。最近夜にユキノが生まれた頃のイルミの写真を見せてくれるのだが、可愛さが留まることを知らない。ユキノが天使のように可愛いでしょう?という言葉に全面同意する。が、一つ訂正するとすれば、天使よりもイルミの方が神々しくも愛らしいに違いない。異論など認めない。

相変わらず、ユキノの作る料理も美味い。気合いを入れてくれているのが伝わる、手の込んだ料理だ。ゾルディック家の料理人も一流だったが、シルバはこちらの方が好きだった。食卓を囲む妻と子の遣り取りを見ているだけでも、心が温まる。手の届く距離にいることで団欒の喜びもいや増す。

作ってくれたケーキは、想像していたものよりも甘くなかった。恐らく、ビターチョコレートが材料だからだろう。シルバは食べられないわけではないが、甘いものは得意ではないから有り難い。黙々と食べるシルバを、じいーっと大きな目で見てくるイルミ。どうした?と聞くと、おとーしゃん、おいしい?と聞き返された。何だ、それが気になっていたのか。笑みを浮かべて、今まで食べたケーキの中で一番美味い、と答える。本心だった。妻と子が手ずから作ってくれたものだ。どんなものよりも最高に美味い。

終始にこにこしている可愛い息子と微笑む妻を堪能しつつ、食事を終える。朝イルミを孤児院に送り届ける役目と、風呂に入れる役目は大抵シルバなのだが、今日は既に風呂に入れているらしく、ゆったりと一人風呂に入ることが出来た。それも良いが、やはり少しずつ数を数えられるようになる息子の成長を感じ取れるのが一番良い。明日は一緒に入ろうと思いながら上がると、ユキノがすーすーと寝息を立てるイルミの頭を撫でていた。

「ユキノ。ありがとう。俺が以前言ったこと、覚えていてくれたんだろう?」
『…はい』

並んで座って礼を言うと、ユキノは照れ臭そうに頷いた。表情の変化に乏しいのは確かだが、シルバにはもう、彼女の感情の濃淡がよく分かる。喜びを表すように抱き締めてから、これは良い機会なのではないかと思い付いた。手を出してくれ、というと、すっと右手を差し出される。

「そっちじゃない」
『?』
「…こっちの手にするものだと、聞いてるからな」

一説には、心臓に一番近い位置だから、その指に誓いの輪を通すという。縛りたいというよりは、主張のつもりだった。傍から見ても、誰が見ても、既に彼女が自分のものであるという明確な印を付けておきたくて。そんな傲慢な考えを見透かされたのだろうか、ユキノはきょとりとした後、困ったように柳眉を下げた。気に入らなかっただろうか。

「……嫌だったか?」
『い、いえ…でも、シルバさんの誕生日なのに』
「元々渡したいと思って用意していたものだ。…これを付けてくれるのが俺への誕生日プレゼントだと思ってくれればいい」

そう言うと、ユキノは光に翳すようにして、とっぷりと指輪を見つめた。気のせいでなければ、頬が僅かに赤らんで、瞳も潤んでいる。結婚式も挙げていないが、きっと彼女もそういうものに憧れがあるのだろう。ぎゅっと左手を握り込んで、極上の笑みを見せてくれた。ありがとうございます、嬉しいです、という言葉に、左手を取って口付ける。礼を言いたいのは、シルバの方だ。

「…これでお前が…俺のものだと、誰が見ても分かるようになった」
『シルバさん』
「俺は、それだけで嬉しい」

この指輪は、ユキノが考える以上に特別な意味がある。もう誰にも渡さないという誓いの意味だ。装飾として使った石は、ブルーダイヤモンド。シルバの誕生石であると同時に、永遠の愛という石言葉を持つ。自分が面倒臭い性質だという自覚はある。だって、生まれて初めて本気で誰かを愛したのだ。変化系の人間は気まぐれではあるが、己にとって絶対となるものを見つけた時、その執着心も人一倍となる。それこそ、シルバが全てを捨て去ってしまったくらいに。

ユキノは暫く手を取られたままじっとしていたが、不意にシルバの分の指輪はないのか、と問うてきた。まあ、あるにはある。結婚指輪だから、当然ペアリングだ。同じデザインのものを取り出すと、ユキノは先程のシルバと同じように左手を取って、薬指に指輪を通した。そして、上目遣いにこちらを見て、一言。

『―――シルバさんだって、私のものでしょう?』

その時のシルバの心境を、どう表せばいいだろうか。最初に脳天を突き抜けるような衝撃が走り、次いで何もかもを更地にされたあと、綺麗に整地されて、そこに楽園が建設されたような。いや。自分でも何を言っているのか分からない。とにかく、だ。

シルバは、ユキノが自分に対して独占欲や執着心を持ち合わせているとは、今まで欠片も想っていなかった。愛されていないと思っているわけではない。言わずとももうそれを疑うつもりはないし、イルミという存在がいる以上、何よりも明確な愛の証に違いない。だが、愛情と所有欲はまた別だ。他所の男に嫉妬して、その度に対抗心を燃やして、こんな子供染みた真似をするなんて、自分だけだと思っていたのだ。

間違いなく、シルバの方がユキノのことを愛していて、愛情の天秤が釣り合わずとも一向に構わないと思っていたのに。これは、不意打ち過ぎる。嬉しくないわけがないではないか。嗚呼、駄目だ。そんな可愛い仕草をされては。―――限界だ。

留める理性をかなぐり捨てて、小さな体を布団に押し倒すと、僅かな抵抗を返された。悪いが無理だ。もう止められない。というか、火を付けたのはお前だからな?と思いつつ、黒曜石のような瞳を覗き込むと、獣のようにギラギラとした形相の男が映っていた。ああ、俺か、と他人事のように考える。そうなるのも無理からぬこと。

イルミがいるから、まあ、ここで無体を強いるつもりはないが。

『ん、』
「…キスするのに、もう許可はいらないと言ったのはお前だな?」

自分の言葉には、きちんと責任を取って貰わなくては。

なぁ、ユキノ?

俺の誕生日が終わるまで、我儘を聞いてくれても良いよな?と愛しい妻を愛でることに没頭していく。

―――だってまだ、夜は長い。


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宿屋から出る時そんな台詞言われたら気まずくて何も言えんわ。



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