暗殺一家によろしく
- ナノ -
美しい人生よ 限りない喜びよ




初めて見た時に、抜身の刃のようだと思った。それ程までに、その男が纏うオーラは美しく、洗練されていたのだ。

モラウ=マッカーナーシは、シーハンターである。生粋の海の男である彼は、世界中の海を巡り渡り、あらゆる海洋生物の研究、捕獲を目的としていた。その港街は以前にも訪れたのだが、お目当ては近くの海洋に生息しているこの時期にしか生まれない伝説の魚だった。前回の失敗は、モラウが一人でその捕獲に挑んだからだった。ただ魚を捕まえるだけならば勿論一人でも成し遂げられただろう。問題は、その生息地だ。まるで伝説の魚を護るかのように、巣穴である巨大な岩場の近くには獰猛な生物がうようよしているのだ。

恐らく、その鮫を始めとした闘魚達は全滅させるまで止まらない。シーハンターとしてプライドを持っているモラウは必要以上の狩りはしない。生態系を崩すような真似は決して出来なかった。若さゆえの勇み足で失敗したモラウは再戦を近い、この度また同じ港街を訪れた。だが誤算だったのは、未だに援助を願い出たハンターが到着しないことだった。しかも最悪なことに、先程そのハンターはモラウの依頼を反故にするとの連絡をしてきた。

「クソッタレ!!」

あのクソ野郎が協専ハンターだと知っていたら、依頼などしなかったのに。協専ハンターは、協会から斡旋された依頼があれば、そちらを優先する。これで計画がパーだ。下手をすると、今年も不発かもしれない。怒り心頭のまま、モラウは街の中を彷徨った。望むべくもないが、もしかしたら実力のあるハンターがこの街にいるかもしれないと思ったからだ。だが、割と大きいとはいえ、観光地がメインの港街にそんな腕利きがほいほいいるわけもない。肩を落としたモラウは、とぼとぼと港を歩いていた。

「おーい、シルバ!それはこっちに頼む!」
「分かった」

ふと、大きな荷物を持った男と擦れ違う。何気なく通ったその男を、モラウはばっと振り返った。

「……す、すげェ…」

思わず、感嘆の声が漏れた。その男の鍛え上げられた身体は勿論だが、何より目を奪われたのはその美しく統一されたオーラだった。身体をほんの少し覆っているだけであるが、それだけ最小限のオーラを纏えること自体が恐ろしく高密度な念操作が出来る証。なんという、見事な纏。無意識のうちに、拳をぎゅっと握っていた。まるで隙のない男だ。短く刈られた癖のある銀髪と、怜悧な印象を受ける灰青色の瞳。念能力は元より、肉体の練度も相当だろう。ふと、凝視していることに気付いたのか、男が視線をこちらに向ける。射竦められた瞬間、モラウの身体は無意識に戦闘態勢になっていた。

念での戦闘に絶対などない。自分の能力に自信を持っているモラウは、戦えば100%勝つ気概でいく。だが、仮にこの男と闘えば、五体満足でいられるイメージは全く湧かなかった。ごくりと、咽喉を鳴らす。だが、男はすぐにふいっと視線を逸らすと、呼ばれた声の方向へと歩いて行ってしまう。

モラウははっと我に返ると、その背を追った。さぞ名のあるハンターに違いない。こんなところでこれ程の腕利きに出会えるなんて、自分が運が良い。待ってくれ!と男を呼び止める。

「なあ、あんた!」
「…何の用だ。俺は忙しいんだがな」
「そう言うなって!俺はモラウ=マッカーナーシ!あんた、名前何てんだ?」
「……シルバ」
「シルバか!なあ、あんたに頼みがあるんだが!」

素っ気ない言い方にもめげず、食い下がる。すると、シルバと名乗った男は露骨に眉を顰めた。

「……見て分からねーか?俺は、今、仕事中だ」
「いや、荷物運んでるのは分かるけどよ。…仕事?」
「今日中にあの船の荷物を全部運ばないと給料が貰えん。話があるなら後で聞いてやるから、ちょっと待て」
「お、おう」

今日中?給料?荷卸し?色んな疑問符が浮かんだが、頼んでいるのはこちらだ。モラウは大人しく引き下がった。それからシルバは両手でひょひょいっと巨大な荷物を持っては移動させ、持っては移動させを繰り返した。自分の何十倍もある荷物を運んでいる様は驚嘆に値するが、周りの人間が驚いていないところを見ると、恐らく常態化しているのだろう。ますます分からない。何で荷卸しなんかやってるんだ、あいつ?それから一時間も経たないうちにシルバは全ての荷を運び終え、何やら給料袋のようなものを受け取り、モラウのところへ来た。

「それで?話とは何だ?」
「その前に聞いていいか?あんた、何してたんだ?」
「何って、仕事だと言っただろう」
「仕事って、何だよ?」

当然の如く汗一つ掻いていないシルバを前に、モラウは疑問をぶつけた。だが、平然と返されてますます当惑する。仕事とは何だ?

「荷卸しの仕事だ。日雇いのな」
「………荷卸しぃ?!」
「後は漁協に雇われて、用心棒まがいなこともしている」
「待て待て待て!あんたハンターじゃねェのか?!」
「ハンターじゃねぇ。日雇いの労働夫だな」

モラウはぽかーんと阿保面を下げた。何の冗談だと叫びたい気分だった。この磨き上げられた刃のような男がやっている仕事が、ハンターでもなく、日雇いの労働夫?宝の持ち腐れ過ぎる。

「俺のことはどうでもいいだろ。それで話って何だ?」
「…あ、あんたに頼みがあるんだ」

呆気に取られたが、まあいい。ハンターでなくとも、相当な実力者であることは間違いない。モラウは己の事情を説明した。その話をじっと聞いていたシルバは少しの間思案したあと、断る、とにべもなく言った。そして、話はこれで終わりだな、と踵を返した。あんまりといえばあんまりな反応に慌てたのはモラウだ。他に頼めるような人材はこの街にはいなかった。伝説の魚が生まれる時期まで後数週間。そのうちに何度か下見のため航海に出なければならないのだ。もう時間がない。

モラウはそれからさっさと別の荷卸しの仕事についてしまったシルバの後をやいのやいの言いながら付け回した。頼む報酬は弾む数週間でいい付き合ってくれお前しかいないんだ!との熱烈ぶり。その日は追いかけようとしたら撒かれてしまった。次の日朝から港でスタンバイしているとシルバが現れたので、また周囲をうろうろする。額に青筋が浮かんでいるように見えるのはきっと気のせいではない。やかましいBGMを聞いて仕事しているようなものだ。終いには、その情熱にシルバの方が屈した。邪魔でしかない。

「……分かった。数週間だけお前に付き合ってやる」
「本当か!恩に着るぜ、親友」
「誰が親友だ!ほとんど脅しだろうが!」

まったく迷惑なやつだ、と溜め息を吐くシルバとは裏腹に、モラウは上機嫌になった。早速行こうぜ!と勇むと、シルバは少し待て、と言ってから港にある建物へと向かった。

「漁協に数週間航海に出ると断って来た。これで他の仕事の勧誘が増えたら全部お前のせいだぞ」
「勧誘?」
「俺は日雇いの荷卸しの仕事しか受けん。だが、今まで何度も一緒に航海に出てくれと頼まれてる。これで前例を作っちまったじゃねーか」

よく分からないが、シルバは何日も仕事浸けになることを厭っているようだった。理由は分からないが、ほぼ初対面で突っ込んで聞くことも出来ず、モラウはすまん、と謝罪だけしておいた。

それからモラウとシルバは、モラウが用意していた船で航海に出た。やはりというかなんというか、シルバは卓越した技術の持主で、事戦闘に至るとそのオーラはますます研ぎ澄まされたものへと変わった。鋭い視線と闘気に、直接相対しているわけではないモラウですら肌がヒリついた。堅気ではない。恐らく、何か戦闘に携わる仕事についていたはずだ。でなければ、これ程にはなるまい。モラウはとんでもない拾い物をした、と己の豪運に拍手喝采したいくらいだった。

「あんた、ハンターになる気はねーのか?」

船を走らせている間の世間話に、モラウは己のことを話していた。シーハンターであること、世界中の海を回ってること。シルバの過去には触れずに、ただ問い掛けた。これほどの男がただの日雇い労働夫であることが漠然と惜しいと思ったのだ。モラウの問いに、シルバは視線を巡らせた後、首を振った。

「悪いが、ないな」
「何でだよ?あんたほどの実力があれば合格は固いぜ?何なら、俺が推薦してもいい」
「そうじゃねえ。試験は、時間が掛かるんだろ」
「そりゃな?下手すりゃ一か月近く掛かる場合もある。何だ、それが駄目なのか?」
「あァ。―――妻と子の傍を、長く離れたくないからな」

そうか、妻と子の傍を離れたくないか。それなら仕方ないな、と納得しかけてから、モラウは飲んでいた発泡酒をぶううーーーと噴いた。

「つ、つつつ、妻?!あんた、結婚してんのか?!しかもコブ付き!?!?」
「あァ」

あっさり頷かれたことに驚きを隠せない。モラウとそう年も変わらないだろうに、結婚しているとは予想外過ぎた。家庭を持っているような雰囲気の男ではないというのに。シルバはなぜそんなに驚かれているのか分からないという顔をして、持参していた弁当を開いた。それを何気なく覗いて、また酒を噴く。シルバは眉を顰めて弁当を退避させた。

「汚いな、やめろ」
「い、いやちょっと待て…何だその可愛い弁当は!」
「妻の手作りだ。息子とお揃いのな。何だ、文句があるのか?」

ない。ないが…。モラウは、口許を拭いながら言葉に詰まった。シルバが開いた弁当は、所謂キャラ弁というやつで、海苔で作られた可愛い黒猫が印象的だった。キャ、キャラに合わなさ過ぎだろ…と心の中で呟いた。貶せば、機嫌を損ねると思ったからの配慮だった。そりゃあ息子は小さいなら喜ぶかもしれないが、シルバは大の大人だ。

だが別に本人は恥ずかしいなどと微塵も思っていないようで、心なしか和んだ雰囲気を出しながら弁当を食べている。家庭どころか交際している女もいないモラウには未知の領域だ。シルバが食事を終える寸前、波が大きく撓み、前方に巨大な影が浮かぶ。だが、モラウが戦いに意識を向ける前に既に動いていたシルバの手刀が、その影の首を斬り落とした。ぷかぷかと哀れっぽく浮かぶ胴体と頭。

「あーーーーーーっ!!てめ、シルバ!!むやみやたら殺すなっつっただろーが!!追い返しゃいいんだよ!!」
「…すまん、つい。手加減は難しいな…」

この調子で、シルバは現れる魚を悉く倒してしまうのだ。これでは生態系が崩れてしまう。ぷんぷん怒るモラウに、手をぐーぱーしながら悩むシルバ。ったく、この超絶危険な絶対殺すマンを家庭に納めちまうなんて、どんな豪のモンだよこいつの嫁ってやつは!とますます彼の連合いへの謎は深まるばかりだった。

帰港したのは、それから丁度七日目の夕方だった。目的の伝説の魚を見事生け捕ることが出来、上機嫌のモラウとは裏腹に、シルバの早く帰りたいオーラは限界だった。だが、すぐに姿を眩まされては困る。ここまで付き合ってもらったのだから、約束通り報酬は弾むつもりだった。

船を港につけて降りたところで、口々に水夫達が声を掛けて来た。やっと帰って来たのかシルバ!待ってたぜ!俺の船にも乗ってくれ!と大人気である。そのうえ、色んなタイプの美女がシルバに近付き、色っぽい流し目を送りながらしなだれかかっていった。ひゅう、と思わず口笛を吹く。羨ましいくらいのモテっぷりだ。

「ああん、シルバさん、会いたかったァ」
「ねェん、今夜こそ私に付き合ってよぅ」
「あらズルイ、私よ。たっぷりサービスするわ」

やんややんやと姦しい女達に囲まれながらも、シルバの顔は冷ややかだった。美女に胸を押し当てられても、面倒そうに眉を顰めるばかりだ。断る、興味ない、と素っ気ない。そんなシルバはふと港の奥の方へ視線を向けると、今までのクールな表情が嘘のような笑顔を浮かべ、そちらへすっ飛んでいった。正に電光石火。早すぎて目で追えなかった。行き付く先には、よく見えないが、女が一人立っているように見えた。その相手を、シルバは両手を広げて腕の中に閉じ込める。ああ、あれが噂の嫁か、とモラウは納得した。目的の人物に逃げられた女達は、あーん、と残念そうな声を上げた。

「おめェらも懲りないなァ」
「シルバじゃなくて俺はどうだ?今夜空いてるぜ?」
「すっこんでなさい、お呼びじゃないのよ」
「そーよそーよ、シルバさんくらいイケメンに生まれ変わってから出直してらっしゃい!」

ひでェな!と言いながらも笑い声が洩れる。どうにも日常茶飯事的な遣り取りのようだ。

「そんなに良い女なのか?シルバの嫁さん」
「え?あー、そうねェ。悔しいけど美人よね」
「そうそう。エキゾチックって感じ?黒い髪と黒い目が印象的でね。夢中になるのも分かるわよ」

モラウの質問に、女達はうーんと考えつつ答えた。同じ女の評価なら正当だろう。男よりもよっぽどシビアだ。だが、彼女達の雰囲気には嫉妬めいたものはあまり感じなかった。シルバに気があるんなら、嫁さんは邪魔じゃねェのか?というと、困ったように笑われた。

「うーん、なんてったらいいのかな。私達も、最初は一晩遊びたいなって感じだったんだけどね」
「だって顔もいいし身体も最高じゃん?既婚者だって遊んでる男はたくさんいるから、声を掛けたんだけど」

結果は全敗らしい。街一番の美人と言われている女すら、シルバは袖にしている。

「もちろん、シルバさん落そうとしてムキになってる女はいるんだけどね。私達はもう恒例っていうか」
「そうそう。フラれるまでがお決まり?」
「だってさァ、勝ち目ないのよ。シルバさんってば、本当に奥さんのことしか見てないから」

そう言って、女達は楽しそうに微笑んだ。見ていて気持ちいいくらいなのだ、シルバの盲目っぷりは。妻が愛しい子どもが可愛いということを臆面もなく口に出し、徹頭徹尾妻だけを愛し、少しの脇目もしない。あんなに良い男なのに、他所に手を出そうという意識を微塵も見せずに女達を振り、休みの日は子どもと遊び、妻と手を繋いで買い物をしていることもあるという子煩悩な愛妻家。

あそこまで来れば天晴だ。あんな男もこの世にいるのだという希望になる、と一人の女は語った。だから彼女達は羨ましいと思ってはいても嫉妬はしない。寧ろ、シルバが本当にいつまでも妻一筋なのか、試すためにからかって近寄っているだけなのだという。

女達からの話を聞いた後、モラウはシルバの下へと近付いた。まだ嫁を抱き締めていたらしいシルバはこちらに気付き、嫁の肩を抱いて振り返る。

「ユキノ、紹介する。こいつがモラウだ」
『初めまして』
「モラウ、妻のユキノと息子のイルミだ」
「はじめまちて」
「おう、ご丁寧にどーも。モラウ=マッカーナーシってモンだ」

あくまで優先順位は家族らしいシルバは、先に妻と子にモラウを紹介した。ブレねェなこいつ、と少し呆れてしまう。ぺこりと頭を下げた女は、表情には乏しいが、なるほど女達のいう通り美しい女だった。異国情緒な、独特な雰囲気を纏っている。息子は母親似らしく、くりくりの目でこちらを見上げて、舌足らずに挨拶してくるのが可愛い。

シルバは可愛いだろ?と言わんばかりのドヤ顔をしており、モラウの見ている前で堂々と妻のこめかみにキスを落とした。でろでろの甘々だ。人前でやめて下さい、と怒られても、すまん、と全く反省していないような甘ったるい表情で謝る。好き好きと身体全体で語っていた。これがあの研磨された鋭いオーラを放つ絶対殺すマンと同一人物…?とモラウは目を疑った。

「ねえおじしゃん」
「おじ……、なんだ、坊主?」
「おしゃかな見たいー」
「お?興味あるか?じゃあ特別に見せてやるよ」

おじさんと言われて少し傷付いたモラウは気を取り直し、特注の水槽に入れた魚を見せてやった。海中の月と綽名されるその魚は、まん丸のフォルムに美しい黄金色をしている。きらきらと光を反射して輝く様を見て、イルミも同じように目をキラキラさせた。きれーいと言いながら喜びを露わにする。売れば数十億は下らない伝説の魚である。一年越しの目的を果たしたモラウは、そうだろうそうだろうと得意げになった。同じように魚を見ていたユキノも、本当に綺麗、と呟いた。

「欲しいか?お前達が欲しいなら獲ってくる」

なんてこと言うんだてめェ!とモラウが怒りの声を上げる前に、ユキノがふるふると首を振る。

『悪戯に乱獲するものではありませんよ。絶滅しては困るでしょう』
「困る?」
『ええ。むしろ、保護して見守るべきです。人の都合で必要以上に狩ったりしたら、可哀想です』
「そうか。お前がそう言うならやめよう」

熱い掌返しを見たが、感心した。この嫁さんは、道理というものを分かっている。人間が食物連鎖の一番上に立っている、生態系を自由に弄っていいなんて傲慢極まりない。だから必要以上に狩らず、モラウも繁殖方法の確立を目指して、この魚を捕まえた。

ああ、そうか。このユキノという女だからこそ、シルバはこうなったのか。以前どんな仕事をしていたかも知れないし、未だに雰囲気は鋭いが、シルバは彼女といる時は人間臭く、同時にとても幸せそうだった。彼が仕事を一日で終わらせるものしかしないのは、妻と子ども達の傍にいたいからだけでなく、人間であるためなのかもしれない。近くにいるときに、生を実感している。普通の人間ならつまらないと思うような、平和極まりない平凡な日常が、この男にとっては何にも代え難い宝物なのだろう。

元来情に篤く、脆い性分であるモラウは、不覚にも感動して、じーんと胸を熱くしてしまった。闘いしか知らなさそうな男の幸せの形を目の当たりにして、ああ、家庭っていいもんなんだな、と思わされてしまう。

こいつらには、ずっとこのままでいてほしいなァと、他人事ながらモラウはそう願ってしまうのだった。



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