暗殺一家によろしく
- ナノ -
そして父になる




受け入れてもらったことは、シルバに望外の喜びを齎した。感動のあまり、思い切り抱き締めてしまうほどには、我を忘れていた。背中を叩かれて腕を離すと、ユキノはふう、と大きく息を吐いた。すまん、強く抱き締め過ぎたな、と謝罪する。これでも加減していたつもりだが、堅どころか纏も出来ない彼女からすれば強すぎたらしい。この四年の修行で更に力が強くなったから、気を付けなければ抱き潰してしまうかもしれない。至近距離で見つめ合っていると、下方からじいっとこちらを凝視する視線を感じる。

目をやると、猫のような大きな瞳をぱちぱちさせながら、幼児がこちらを見ていた。やはり、シルバの子で間違いなかったらしい。しゃがみ込んで、視線を合わせる。すると、少しだけ警戒するように子どもは後退った。まあ、そうだろうな。図体のデカい男がいきなり現れたら警戒もする。母親とやたら親しくしていれば尚更だろう。名前は?と聞くと、イルミ、と答えてくれた。声質からして、男だな。息子だったか。

「俺はシルバという。……お前の……、父親だ」
「……おとうしゃん?」
「三年も放っておいて、何を今更と思うかもしれん。俺にそんな資格があるかも分からん。…だが、もしお前が許してくれるなら…お前の父親として、一緒にいさせてくれないか?」

お父さんと呼ばれて、胸に刺さるものがあった。ただの鸚鵡返しだとしても、だ。イルミは、自分を父親と認めてくれるだろうか。もし嫌がられたら、たまにでいいから、会ってくれるように頼んでみよう。そうして、少しずつでも慣れてほしい。遠目からでもいいから、見守ることを許してほしいと思った。

「………イルの、おとーしゃんになるの?」
「なりたいと思っている」
「……おかーしゃんのこと、すき?」
「愛している」

お父さんという言葉が生物学上の父親、という意味なら間違いなくそうだが、家族としての父親になれるかどうかは、これからだ。四年もの間、一番子育てが大変な時期にほったらかして、都合の良いことを言っている自覚はある。同時に、ここまで大きくなるまでのイルミの成長を見たかった、とも。赤ん坊から喋れるようになり、歩けるようになるまで、どんな風にイルミは変わって行ったのだろう。過ぎた時は戻らないが、それでも惜しかった。

「あいしてるってなーに?」
「好きよりも、もっともっと好きってことだ」

イルミからの問い掛けに、心からの言葉を捧げる。ユキノのことを、世界で一番愛している。真摯に応えると、イルミはうーんと考える素振りを見せた。シルバの言葉に意味を咀嚼しているのだろう。頭の良い子だな、末は医者か学者にでもなれるかもしれない、と思ったのは、もしかして親馬鹿というやつなのだろうか。

イルミはきっと、ユキノのことが大好きで、大事なのだろう。その仲を裂くつもりはない。出来るならば、シルバにも同じように、ユキノとイルミを愛させてほしかった。その権利が欲しい。

「…おかーしゃんのこと、うーんと、だいじにしてくれる?」
「ああ、もちろんだ。お前のことも大事にしたい。…させてくれるか?」
「うん、いいよ!じゃあ、おとーしゃんもかぞくね!」

にっこりと笑んだ息子が可愛過ぎる。シルバは衝動的に、イルミを抱き締めた。ユキノを抱き締めた時よりも、もっともっと力を抜いて、壊れ物を触るように優しく。小さくて、温かくて、頼りない存在だけれど、どこまでも大きな存在。二人のことを、これからうんと大事にしたいと思う。離れていた分を埋めるように、シルバ自身の心よりも命よりも。ユキノは、涙を堪えるように口許を押さえていた。きっと彼女は母親として、イルミの気持ちを最優先したであろうから、安堵しているのかもしれない。

促されて、シルバはイルミを抱いたまま部屋の中に足を踏み入れる。慣れないせいで、抱き方が合っているか分からなかったが、イルミは自分で腕に座り直した。やはり居心地が悪かったらしい。これも、今から慣れていけるだろうか。二人の家は、玄関からセンスよく飾られていて、家庭的な生活感に満ちていた。リビングの隅に箱があって、中にはおもちゃが詰めてある。小さな子どもがいるとは思えない程片付けられているのは、ユキノの努力の賜物だろう。見回していると、イルミがくいくいと服の裾を引っ張って来た。

「おとーしゃん、イルのおもちゃ、見せてあげる」
「そうか、ありがとう」

可愛いな、とその笑顔を見て思う。子どもがこんなに可愛いものとは知らなかった。ユキノと、自分の血を継いでいるからだろうか。ほっこりと和んでいると、タオルを取り出してユキノがイルミを制した。

『イル、駄目よ。遊ぶのは後で。…シルバさん、イルのこと、お風呂に入れてあげてくれます?』
「…俺がか?」
『大丈夫ですよ。イルはちゃんと自分で自分のことは出来ますし。溺れないよう、見ててあげて下さい』

困惑したシルバに気付いて、フォローを貰ったが、それでもなお緊張する。大丈夫だろうか、俺で。責任重大だ。小綺麗な脱衣所にイルミを降ろすと、イルミは自分でよいしょ、よいしょ、と服を脱いでカゴに入れた。ここにいれるの、と言われて、シルバも倣った。本当に賢い子だ。普通の子どももこうなのだろうか…いや、イルミが特別天才に違いない、きっと。イルミは浴室の端の洗面器に入っている黄色いおもちゃを手に取ると、シルバに見せて笑った。

「あひるしゃんだよ」
「そうか、あひるさんか」
「あとでね、ほかのもみせてあげるの。とくべつだよ?」
「ああ」

可愛過ぎるんだが…。これが父性というものか。ぐう、と変な声が出た。お父さんと呼ばれることも嬉し過ぎる。ユキノの言う通り、イルミは自分の身体も頭もちゃんと自分で洗った。だがシャンプーが目に入って、こしこしと擦っているのを見かねて、頭からお湯を掛けてやる。すると、ぷるぷると犬のように頭を振って、おとーしゃんもちゃんとあらうんだよ?とこまっしゃくれた口調で言ってくる。シルバは、思わずくすりと笑った。いつもユキノに言われているんだろうなぁと簡単に予想がついた。分かった、と言って、イルミを抱き上げて湯船に浸かる。

「あのね、10をね、5回数えたら出ていいんだよ」
「イルミは数が数えられるのか?偉いな」
「まだ10までなの…」
「きっとすぐ数えられるようになる。俺が教えてやる」
「うん」

ほにゃあと笑う顔が本当に可愛い。ふにふにとした手と頬が愛らしい。ほわほわとした気持ちになっているところで、浴室が控え目にノックされた。ひょっこりと顔を出したユキノは、タオルに包むようにしてイルミを受け取る。その手付きはシルバよりよっぽど手慣れたもので、当たり前だが、彼女はきちんと母親なんだな、と実感した。

続いて出ようとしたが、イルミのことばかり見ていて自分のことは放ったらかしであったので、ユキノの言葉に甘えて入り直す。足も満足に伸ばせないような小さな浴槽だが、こんな風に落ち着いて風呂に入ることはなかった気がする。…想像よりも、悪くないものだ。

浴室を出たが、カゴの中に入れていた服はなくなっていた。代わりに、バスローブが置いてある。まあ、イルミは当然のこと、ユキノの服もシルバには入らない。これを着ろということだろうな、と思いつつ身に纏うが、やたら寸足らずだった。少し恰好付かないが、仕方あるまい。丁度イルミの髪を乾かし終わったらしいユキノがこちらを見る。シルバはその傍に近寄って、腰を下ろした。くうくうと寝息を立てているイルミの頬をつん、と突いてみる。

懺悔じみた言葉を口にしたが、ユキノは恨み言を零そうとはしなかった。寧ろ、周りの手助けに恵まれた、黙って出て行って悪かったと、謝られてしまう。責めてもらった方が、いっそ楽なんだがな。こうやってあっさり許されてしまうと、余計にどうやって償えばいいか分からない。沈黙が落ちたところで、ユキノが言った。

『…明日は、シルバさんの服を買いに行きましょう』
「ん?」
『着替えも必要ですし…あ、そうだ。歯ブラシとか…食器も二人分しかないんです』

確かに、見る限り完全に母と息子が住む為に必要なものだけが揃っている、という感じがする。だが当たり前に、シルバとの今後を考えた台詞を言われて、戸惑った。

『?どうかしましたか?』
「いや…俺は、ここに住んでもいいのか?」
『他に行くところが?』
「いや、ないが…」
『では、ここに住むでしょう?家族なんですから』
「…家族」
『はい、家族です』

家族、で、いいのか。俺が。ユキノには傍に置いてほしいと懇願したし、イルミには一緒にいさせてほしいと言ったのは確かだが。いきなりのことで戸惑っているのは二人も同じであろうし、ひとまず距離を置いて、いずれは、と考えていた。久しぶりに再会したユキノは相変わらず美しく魅力的で、恋人として過ごしたこともないのに、家族として過ごすことになるなど段階を飛ばし過ぎだろう。

「―――俺とお前が夫婦で、イルミが子どもってことで、いいのか?」

これだけは、確かめておかなくてはいけない。シルバは、そんなに清廉な男ではない。同居人のような家族として、過ごせるなんて自惚れてもいない。間違いなく手を出す。惚れた女と一つ屋根の下にいて、何もしないなんていう、理性的な男にはなれそうもない。じっと見つめると、その意味を理解したのか、ユキノは頬を染めて頷いてくれた。咄嗟に抱き締めてしまった、俺は悪くないと思う。

…と、まァそんなこんなで、共に暮らすことを許してもらったわけだが。いきなり襲い掛かるような無粋な真似をするつもりはなく、まずはきちんと家族として基盤を整えることが大事だ。次の日は、朝から買い物のために店に繰り出した。シルバの恰好は暗殺の時に着る作務衣のため、こうしていても目立つ。まず最初に服ですね、と言われて服屋に赴く。

こう言っては情けないことこの上ないが、俺は一文無しなのだが、というシルバに、ユキノは心配しなくていい、とシルバの服を選別し始めた。心なしか楽しそうだ。あーでもないこーでもない、これも似合う、こっちはどうだろうか、と何着も服を体に当てられる。…着たことないな、こういうの。

「おかーしゃん、イルのはぁ?」
『今日はお父さんの服なの。イルのはまた今度ね』

窘められて、イルミがぶう、と頬を膨らませる。そして、備え付けられた椅子に座って、おもちゃを弄り出した。大人しいな、本当に。

「お客様、何をお探しですか?」
『あ、ちょっと主人の服を見立てていまして…』
「まあ、素敵な旦那様!であればこちらなどいかがでしょう?」
『そうですね…違う色はありますか?』
「ございますよ!」

わいわいと盛り上がる店員とユキノを他所に、シルバはじーんと感動していた。主人…。ユキノが自分のことを、主人と呼んでくれた。夢にまで見た呼称である。感動も一入だ。

「お似合いですぅ!」
『…うん、いいですね。これも頂きます。シルバさん、次はこれで』
「あ、あァ…」

それから何度、着ては脱ぎ、また別の物を着てはお披露目をする、を繰り返しただろうか。何だか着せ替え人形にでもなった気分である。もうこれくらいでいいんじゃないか?と言い出すタイミングを失ってしまった。最終的にはシャツにスラックスという服を着たまま会計することになり、積み上げられた服の量に閉口してしまった。いくらなんでも買い過ぎではないだろうか。

「おとーしゃん、いっぱい買ったねェ」
「ああ、そうだな…」

何だか疲れた。大量の服は当然だがシルバが持つことにしたので、今はその荷物とともにベンチに腰掛けてイルミと待機だ。ユキノはいそいそと歯ブラシと食器を買ってきますね!と去って行ってしまった。…あんなに溌剌とした顔が出来たんだな、あいつ。女の店員と合わせて、シルバは終始押されっぱなしだった。

シルバはぼうっと座りながら、ベンチの前にある店のショーウインドーに視線を走らせた。アンティークショップらしいその店に飾られていたのは、ベンズナイフのようだ。だが、恐らく店主はこのナイフの正当な価値を知らないらしい。綺麗に磨かれて、見栄えがいいから飾っているだけだろう。でなければ、5000ジェニーで売られているはずはない。

『シルバさん?お待たせしました。何見てるんですか?』
「ん?ああ…ちょっとな」
『これですか?』

ひょっこりと戻って来たユキノは、シルバが見ていたものを正確に理解していた。ナイフを指差して、尋ねてくる。

「よく分かったな」
『言った筈です。シルバさんのこと、見てますから。…もしかして、ベンズナイフですか?』
「それも分かるのか?」
『ナイフ自体は分かりませんが…集めてましたよね?』

シルバさんの部屋にコレクションがありましたから、とイルミを抱っこしながら事もなげに言われて、唇に笑みが乗る。過去の自分に言ってやりたいくらいだ。何も返してくれないだなんて、お前の目は節穴か、と。彼女はこんなにも、シルバのことを理解してくれていたではないか。言葉の端々から、それを理解出来るというのに。欲しいんですか?と問われて、首を振る。確かに集めていたし、惜しい気持ちもあるが、もうシルバには不要なものだ。人を傷付ける道具は、必要ない。シルバは片手で軽々と大量の荷物を持って立ち上がった。

「買い物はもういいのか?」
『そうですね、後は布団ですが…大きいですから、先にレストランに行きませんか?』
「お前が働いているところだな」

イルミを妊娠していても雇ってくれて、出産から子育てまで世話を焼いてくれた夫婦が経営しているところだと聞いている。挨拶をしたいのは、シルバも同じだった。…まさか頬を引っ叩かれるとは、予想外だったが。ユキノに責められない分も、あの女性が代弁してくれた気がしたので、寧ろ感謝している。だからシルバは、虫が飛ぶような速度の張り手を避けなかったし、絶の状態で甘んじて受けた。それでも全くもってダメージはないのだが、こういうのは気持ちの問題だろう。

『帰りましょう、シルバさん』
「…あぁ。帰ろう」

イルミを挟むように手を繋いで、二人で笑い合う。シルバは今確かに、幸せだった。この幸福を、ジルダという女性に宣言した通り、命に代えても護って見せる。

―――だから、これからもよろしく頼む。ちゃんとした父になれるよう、精一杯頑張ろうと誓った。



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幾つになっても福山○治はイケメンだ…。


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