暗殺一家によろしく
- ナノ -
ホームワークが終わらない




ゼノ=ゾルディック。それは、別段秘密にしているわけではないが、目撃者がいない、または死亡しているために伝説の存在となっている暗殺一家の家長の名前である。暗殺一家の名を背負うその男は四十を幾許か越えているが、職業柄か、少しの衰えも見せない鋭い雰囲気を纏っている。光に反射して輝く銀髪を無造作に掻き上げながら、顎に手をやる。

考えるのは、自身の息子のことである。いずれゼノの後を継いでゾルディックの当主となる予定の子どもだ。ゼノと同じ銀髪を持ち、暗殺者としての才能も突出しており、既に一流の域に足を踏み入れているといっても過言ではないだろう。むしろ適応し過ぎているというくらい、暗殺者らしく成長したと思っている…いや、正確には思っていた、だろうか。それを覆されたのは、部下であるツボネから受けた報告のためだった。流石のゼノも僅かばかり驚いた。息子…シルバが、

―――暗殺とは縁もゆかりもないような普通の娘に、懸想しているというのだ。

なんだそれは。始めはツボネなりの小粋なジョークかと思った。なぜなら、シルバは将来ゾルディックの血が絶えるのではないかと憂いてしまうほど、女に対して淡泊だったのだ。興味がないわけではないだろう。ツボネが手配した女は相手をしていたようだし、そういう意味では問題ないのだが、どうも外で女と遊ぶような様子もない。恐らく、シルバは情を交わした女を次の日の朝、何食わぬ顔して物言わぬ肉塊に変えることが出来るだろう。

暗殺者としては間違っていない。間違っていないが、人間としてはどこか欠落していると思わないでもない。ゼノにとって暗殺はビジネスで、自身の人間性とは完全に切り離されたものであるのだが、どうも息子は違うらしい。本能から殺しが染みついているというのか。そういう風に教育したのはゼノだが、近頃方針を間違えただろうかと思うこともあった。少なくとも自分は若い頃多少の火遊びをしたし、妻とも色々あったのだが…まあそれはそれとして。

何でもその娘は、シルバが怪我をして行動不能になっていたところを手当てし、匿った相手らしい。そういえば仕事は完遂したが下手を踏んで来た時があった。鍛え方が柔かったと思い、普段よりきつい訓練をしてやったのだが、まさかそんなことになっていたとは。怪我をしただけでなく、助けられた相手に惚れて来たというのだからまさに青天の霹靂である。

それだけではない。シルバは訓練と仕事の合間を縫って娘の元に通い、それが出来ない時でも、ツボネに言付て贈り物をしているようなのだ。その話を聞いた時、ゼノは思わず大笑いをしてしまった。それではまるで貢ぐ君だ。いや、ゼノの心配など杞憂に過ぎなかったらしい。少なくとも、そのように"普通″の男のようなことが出来るのならば十分である。ツボネ曰く「若様に相応しいとは思えない凡庸な小娘ですが、見所がないでもないこともないこともないです」らしい。評価しているのかしていないのか分からないコメントだが、ツボネが外部の人間を酷評しないのは珍しい。そうなると、俄然相手の女のことが気になって来た。

名前はユキノ。出身はジャポンで、黒髪の若い娘。古書店で働いている。そして、どうやら息子シルバをすげなく袖にしている。ツボネが持っていく贈り物も大体拒否されるので、無理やり押し付けてくるらしい。面白い。親の贔屓目を抜いても、シルバは造詣の整った男である。金は余すほど持っているうえ、この世界でも上位の実力者だ。暗殺者ということさえ除けば大抵の女が引っかかる好物件だろう。何が足りないのだろうか、と首を傾げる。除かれた暗殺者という部分と、原作登場人物だという点…そして年齢が足りない、などとは勿論思いつかない。

「…ここで考えていても益体もないな」

見に行くか。思い立ったが吉日とばかりに立ち上がり、執事を呼びつける。筆頭執事であるツボネは現在次期当主であるシルバ付となっているため、ツボネが自分の後継と目している男が今はゼノ専属となっている。飛行艇を用意するように命ずると、慇懃に頭を下げられる。さて、息子の心を射止めた娘はどんな人物であろうか。自然と、ゼノの唇に笑みが乗っていた。

「―――すまなかったな、お嬢さん」

目の前に、尻もちをついた状態できょとんとこちらを見上げてくるあどけない娘の顔がある。もちろん、偶然などではない。角を曲がろうとした娘にわざとぶつかり、手を差し伸べたところまで全て計算尽くだった。ゼノは娘の顔も、名前も知っている。調査させたのだから当然だ。素性を洗えなかったことだけが不可解だが、こうして眼前にしても特筆すべきところがあるようには見えない。育ちの良さだけはこの辺鄙な街には不似合いだが、それ以外ではどこにでもいそうな、平凡な娘だ。

「怪我はないか?若く美しいお嬢さんに傷を付けたとあっては、私の沽券に関わる」
『いえ…大丈夫です。お気遣い感謝します』
「よければ、何かお詫びをさせてほしいのだが?」

ゾルディック家は暗殺一家だが、特別変装をしているわけではない。まあ、目撃者の大半が物言わぬ躯になっているため、顔が割れていないだけなのだが。とにもかくにも、ゼノは一見、暗殺者には見えない風体を自負している。柔らかく笑みを浮かべてみせる、が。

『いいえ、本当に…』

どうやら、妙に警戒されているようだ。ふむ、対応を間違ったか?身を護る術も持たない女が一人、そう考えれば見知らぬ相手に身構えるのが普通かもしれない。ここは詫びだと言って茶の一杯も奢るのはやめた方が良いか。瞬時に判断し、身を引く素振りを見せる。そのまま娘が世話になっているという古書店に案内してほしいというと、娘はあっさりと頷いてみせた。

頼んだ自分が言うのもなんだが、警戒心が強いのか弱いのかよく分からない。つまりは、お人好しなのだろう。怪我を負った男が倒れていたら、大抵の人間は見て見ぬふりをするだろう。血濡れの相手を匿えば、何かしら危険が伴うなんて子どもでも分かることだ。

「お嬢さんはこの町は長いのか?」
『そうでもないです…ここに来たのは最近です』
「ふむ…そうか。見たところ、良いところの娘さんのようだが?」
『普通だと思いますけど…何の教養もない小娘ですよ』
「んん?自分のことをよく分かっていないようだが、それでは可笑しな輩に絡まれるぞ。―――私のような輩に…な」

隣を歩く娘を見ながら、数えていく。出会った瞬間から、100では足りないほどこの娘を殺す機会があった。かどわかそうと思えば、その半数ほど。どうにも無防備な振る舞いをする若い女に、不埒な思いを抱かない男が一体どれくらいいるだろうか。

話した限りでは、シルバが惚れた理由も、ツボネが認めた訳も合点がいかない。内心首を傾げた時だった。娘の脇をすり抜けるようにして、小さな影が走り去っていく。あまりに手慣れた素振りで、常人であれば多少違和感を感じるだけで、気が付かないかもしれない。―――常人であれば、だが。ゼノはすっと足を差し出すと、娘の財布をスリ取って懐へ収めた子どもを転ばせた。暗殺者として高い技能を持つゼノからすれば、止まって見えるほどの稚拙な動きだ。

「離せ…離せよ!!」
「黙れ、餓鬼が。今この場で殺されないだけ有り難いと思うんだな。生憎私は、身内に手を出されるのが嫌いでね」

まだ見極めが終わらないうちは、息子の惚れた相手である。目の前で害をなすというのならば、手加減をするつもりもない。さて、どうしたものか。手癖の悪さからして常習犯だろう。警察組織に暗殺一家の当主が犯罪者を差し出すというのも可笑しな話だ。殺すのは簡単だが、生憎と仕事ではない殺しをするのは主義に反する。

『……離してあげて下さい』

どうしたものか、と再び考えたところで背後から声が響いた。芯の通った、凛とした声だった。

「何?」
『その子は、何もしていません。―――何も、していないんです』
「…ほお?君はこれを、許すことが出来るというのか」
『許すも何もありません。やっていないんですから』
「それは慈悲か?それとも、自己満足のつもりか」

何もしていない、その言葉を強調しながら、娘が足を一歩、こちらに進める。ゼノは自分が随分と冷たい視線を向けているという自覚があった。低い声で問いかけても、娘の表情は小動もしなかった。ほお…、と感嘆の声が漏れた。

『両方です。…その子と私は、同じですから』

―――なんという強い瞳だろうか。こんなにも真っ直ぐ、射抜くようにこちらを見つめてくる相手に出会ったのは久しぶりだった。人間には、疑心や欲望、建前や嘘が存在する。綺麗なだけの人間なんていやしない。裏の世界に生きるゼノは、人の浅ましさというものを嫌と言うほど見て来た。死を前にすれば、自ずと本質が見えるものだからだ。

だが、今目の前にいる、ゼノの半分も生きていない娘は。澄み切っているわけでもなく、けれど濁っているわけでもない中庸の瞳で、それが何ら恥じることではないとでもいうように、堂々とゼノを見つめているのだ。ゼノがその目に気勢を削がれてしまった以上、この子どもに対する審判を持つのは娘しかいない。被害者が加害者を庇うというのも珍しいことだ。

『…立てる?』
「………なんで、……姉ちゃん、おれ……おれ、あんたの……、」
『大丈夫。…大丈夫。分かってるから…』
「……おれ……ごめんなさい」

ゼノが立ち上がり数歩身を引けば、娘は子どもの傍らに膝をついた。そして俯いて涙を堪える子どもの怪我にハンカチを巻いてやった。娘の黒い瞳は、子どもに対する慈しみに溢れていた。財布をスラれたことなどなかったかのように、いや、そもそも"なかった"ことにしている…のだったか。

罪悪感からか、それとも優しくされたことへの戸惑いだろうか。潤んだ瞳で見つめてくる子どもに優しい笑みを浮かべる。小さく呟かれたありがとうの言葉にどれだけの意味があるのか。何度もこちらを振り返る子どもは、謝り、そして礼を言ったが、結局盗んだものを返そうとはしなかった。娘がそれを拒んだとしても、だ。生きるために―――貧民街は、そういう街だ。

「甘いな。君のしたことは対症療法に過ぎんぞ。あの子どもは何度も同じことを繰り返す」

まともに生きることを許されないのが貧民街の子どもの現状だ。ここで多少の金をやって何になるだろう。数日の上を凌ぐことが出来ても、結局同じことだ。また盗みをやって、今度は警察に捕まるか…それとも。この世界に何百人といる孤児を救えるわけでもないというのに。

『…そうかもしれません。でも、たとえ応急手当でも、しないよりマシです』

その言葉に、改めて娘を見る。同情か憐れみか。きっと、どちらも違う。きっと、この娘にとっては、シルバも先程の子どもも同じだったのだ。同じように、両方とも娘の前に現れて、娘が手を差し伸べられる位置にいた…たったそれだけのことで。たったそれだけの幸運で、救われた。

そうか―――ようやく分かった。この娘は、お人好しなわけではない。ただ平等なだけなのだ。世界中の不幸な人間を救ってやろうなどという高尚な考えは持たず、けれど無慈悲に何者をも切り捨てるわけでもなく。当たり前のように、救える存在を救いあげる。傲慢で、慈悲深い。お笑い草だ…スリも暗殺者も同じ尺度で測られてしまう。この娘…ユキノの手にかかれば。

「……ふむ。それが君の本質というわけだな。実に興味深い」

きっとシルバが惹かれたのは、そういうところなのだろう。彼女が持つ当たり前の感覚で、まるで普通の人間に対するように扱われて。二十歳そこそこの、まだ情緒の幼い息子にはとても新鮮に映っただろう。

不思議そうに目を瞬かせるユキノに笑い掛けて、ゼノはそっと踵を返した。会ってみたいと思っていた娘と相対し、その在り方を見極めたとは言わないまでも、把握することが出来た。成果としては十分だ。シルバが火遊びの一環として、束の間夢中になる相手として不都合はない。

だが。

「シルバ。あの娘は、手強いぞ」

簡単に堕ちるほど、安くも単純でもない。シルバが相手取って来たどんな標的よりも手強い。何より。

―――あれほど、ゾルディックの嫁に相応しくない娘も珍しい。

その事実にシルバが気が付くのは、いつになるだろう。息子がこれからするであろう苦労を思えば、自然と笑みが零れる。父親として、障害となるのはもう少し先でもいいだろう。今はただ、若人が悩む様を見守るだけで。

それだけでゼノは、充分に満足なのだから。




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銀髪のキャラには無条件にときめきを覚えてしまう…。
あれか、殺●丸様の影響か。


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