- ナノ -
初めて泣いた夜

何故かシカクさんの両親と仲良くなってしまいました。マジかー。そんなつもりなかったのに良い人達だったからつい…。それはいいんだけど、何か最近二人から「いつシカクの嫁に来てくれるの?」ときらっきらした目で言われるから困るんだこれ。いや、なりませんよ。永久に来ませんから、そんな日は。期待した目で見られてもこの世には不可能なことがあってですね。心配しなくても、奈良家にはしっかり者の夫を尻に敷く素晴らしい奥さんが来てくれますよ!……うん。

頻繁に店に来るようになったシカロクさん夫婦と引き換えに、シカクさんは姿を見せなくなった。ここ数ヶ月、顔を見ていない。遂に諦めてくれたか…!と嬉しかったのだが、どうやら長期任務に出ていただけらしい。…ちェっ。

仕事帰り、買い物を済ませて夜道を歩く。私のアパートはちょっと帰路に人気のない通りがあるから、本当は明るいうちに帰りたいんだけど…特売が七時過ぎだからどうしても遅くなっちゃうんだよね。お店って戦場なんだネ。ここに来て初めて知ったよ。最近雨にも負けず風にも負けず、はおばさま達の血走った眼にも負けず安い商品手に入れられるようになったんだけどね。

うー道くらっ。電灯つけてくれてもいいのに。早足に歩いていると、道端の木の傍に黒く大きな影があるのが見えた。人一人分くらいの大きさのそれは、時々僅かに身動ぎはするくらいで、後が動きがない。まさか、死体…?!この物騒な世界、有り得ると思ってびくびくしていた私も、一応生き物と分かって、少し近付いてみる気になった。そして感じた、むっとするような臭気。金臭い香り。「う…、」と僅かに洩れた声に、聞き覚えがあった。私の顔から血の気が引いた。

『…シカク、さん…?』
「…………雪乃、か………」

間違いなくシカクさんだ。声が同じだもん。声で判別するしかなかった。辺りが暗くて分かりにくかったのもあるけど、何よりシカクさんの顔は右半分が血に塗れていたのだ。っ、と掠れた声音が咽喉から洩れた。酷い怪我だ。そんなに近くに寄ってはいないのに、血の香りがする程に。私はシカクさんに走り寄った。

「……あー…気にすんな、大したことねェよ……ちょっと任務で、ヘマしただけだ…」
『喋らないで…酷い傷』

どうしよう。どうしたらいいんだろう。木に寄りかかるシカクさんは浅い呼吸を繰り返していて、すっかり青褪めている。滴り落ちる血が首を伝って、忍服を濡らしていた。手が震えてしまうのを叱咤して立ち上がる。

『待ってて、今誰か…』

病院に行って、医療忍者を呼んで来なくちゃ。知識も経験もない私がここにいたって、応急手当の仕方も分からないんだ。さっと走り出そうとした私の体が、次の瞬間不自然に動きを止めた。う、動けない…?!何コレ?!血を見て足が動かないとか、我ながらチキン過ぎるよっ!?びっくりして目だけ下に向ければ、なぜか私の影が不自然な形に歪んでいた。…これって…。

「………行くな……行かなくて、いい……」

…影真似の、術……?何してんの、この人…馬鹿なの、馬鹿なのか?!指先一つまともに動かせないくせに、余計なチャクラ使って何考えてんの!?自殺願望でもあんのか!案の定チャクラはほぼ底を着いているらしく、すぐに術が解けた。そのまま駆け出した方がいいのに。こちらを見つめてくるシカクさんが微かに呼ぶ私の名前に、術は掛かっていないのに動けなかった。

「行くな…ここに、いてくれ…雪乃」

伸ばされた血塗れの手を、咄嗟に掴んでいた。するとシカクさんは笑った。

「相変わらず、いい女だな…お前は」
『……シカク、さん…』
「んな顔、すんなよ…死にゃあしねーよ。まあ、お前の腕ん中で死ねるってんならそれも悪くねェが…」

「このくらいじゃ、死なねェから、安心しろ」そう言ってまた向けられる笑顔。込み上げてくる感情の正体が分からない。こんなときまで、この人はこうやって笑うのか。いい女、なんてそう言って、心配するなと、笑うのか。ぐっと唇を噛み締めて、シカクさんの脇に寄り、腕を自分の肩に回した。「お、おい…何のつもりだ?」決まってんでしょ、行くなってんなら一緒に病院行くだけだっつの。女の底力舐めんなよ。

「無理すんな…つーか、服が汚れるぞ」
『そんなこと…どうでもいいです』

そこで服の心配?!確かにこれはちょっと高かったさ!お気に入りの一品さ!でも別に弁償しろなんて言わないし……そういえば上忍って中々高給取り……い、言わないさ!言わないから余計な気を回さんで自分の心配だけしてろっての!半ば引き摺る形で潰されそうになりながらも、病院を目指して歩き始めた。お、重い…。シカクさんは怪我のせいか足に全然力入ってないし…てゆか、こういうときって動かさない方がいいのかな?もう訳分かんないや。

「………すげェ女だよ……お前は」

ぽつりと呟かれた声を皮切りに、ずるり、とシカクさんの全身から力が抜けた。大人の男の体重を私一人が支えきれるわけもなく、そのままべしゃっと潰れた蛙のように下敷きになってしまう。

『シカクさん?…シカクさん?!』

返事がない。ただの屍のよry…シリアスになりきれない自分が憎いっ!!!洒落になんないし!お決まりのネタかましてる場合じゃないっての!自分に突っ込みをしながらシカクさんの右頬を叩いて呼びかける。完全に気を失っていた。

「シカクさん!!」
「シカク!!!」

その時だ。医療忍者の恰好をした男の人と、あちこちに擦り傷を作った男の人がこちらに走ってやってきた。シカクさんを起こして傷の程度を確認すると、すぐさま担ぎ上げて病院に搬送してくれる。ものの数分の出来事に、良かったと安堵する暇もなかった。

「あんた、シカクを運ぼうとしてくれたのか?悪かったな…血塗れじゃないか」
『…いえ…』

言われて、自分の服に触れてみる。真っ赤な血…これは、シカクさんの血なのだ。いつも笑って話しかけてくれたあの人の血。私は不意に身震いするような恐ろしさを感じた。

―――ここは、約束された"明日"がない世界だ。

そして私は、ここでは何の役にも立たない。急速に訪れたその事実が、ずんと重くのしかかってきた気がした。




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