- ナノ -
ライバル登場?!


下心が全くなかったといえば、嘘になる。…すまん、嘘だ。下心万歳だった。うちの実家の常連に温泉の無料券をもらったとき、正直チャンスだと思った。混浴じゃないが、湯上りの雪乃を見られるのだと思えば物凄く心が躍った。しかし言い訳をさせて貰えれば、男はみんなこんなもんだと思う。好きな女のことを考えてるときは馬鹿になっちまうもんだ。オレだけじゃねェ。…よな?

けれど、理由はそれだけじゃない。寧ろそれだけだったら、オレが盛りのついた動物みたいじゃねェか。…親友の二人がどっかでうんうんと頷いた気がしたが、この際それは頭の隅に追いやっとく。

雪乃が最近、落ち込んでいる。それは苦楽の大将からも聞いた話だった。原因は分かっている…以前、雪乃が浚われて、怪我を負うことになったあの出来事だろう。あいつはほとんど表情が変わらないし、他の奴らは全く気が付いていねェみたいだが、オレには分かる。時折小さく溜め息を吐き、もうすっかり治っている手のひらを確認するかのように撫でつける姿。それを見ていると、里の為とはいえ、あんな危ない目に遭わせてしまう前に奴を捕縛しておけばよかったと後悔に駆られる。

雪乃は、医療忍者に傷を治して貰うことを拒んだ。男の傷とは違い、女の体に傷があるのはあまり好ましいこととは言えない。深くないものとはいえ、消すに越したことはないと医師も説得したが、黙って首を振るばかり。オレには雪乃が考えていることが分かるような気がした。

―――自分は、本当はこの里の人間ではないから。

そうやって線引きされている気がした。忍という存在を厭うから、その忍が扱う自然を捻じ曲げるような行為が嫌なのかもしれない、と。自分勝手だが、オレはそれが嫌なのだ。雪乃にはどこにも行ってほしくない。お前もこの里の者だと、そう思ってほしかったのだ。落ち込まないでほしいと、お前を想っている者がいるのだと分かってほしくて。少しでも気分転換になればいいと考えていた。

「おー…久しぶりに来たが、結構繁盛してんじゃねェか」

だから、大将から許可が出て、雪乃が頷いてくれたときは嬉しかったのだ。………なのに。まさかあんなことになるなんて、誰も思わねェじゃねェか…。

「シカクさん。…あの人…、」
「ん?…覗きかぁ?随分堂々としてんな。…おい、アンタ」

温泉街に着き、さあ温泉に向かおうと足を進めたとき、雪乃がつんつんとオレの服の裾を摘まんだ。その仕草に、全オレが萌えた。ときめいた。…反則だぞ、そんな仕草…。まだ術の全容を掴んでいない頃のチョウザの倍化の術に押し潰されそうになって、いのいちと必死になって逃げた時と同じくらいドキドキしてやがる。思わず訳の分からない例えをしながら雪乃が指差す方を見れば、ものっそい堂々と女湯を覗いている男がいた。怪しい。この上なく怪しい。怪しさが服着て歩いてやがる。

しゃーねェ、温泉に入る前にひと仕事すっか…と相手に近付いていくと、不意に嫌な感じが全身に走った。いうなれば、勘みたいなもんだ。一度でも戦場に出たことがあるやつはこういう妙な感覚を時に味わうことがあり、そういう感覚は持ち主を助けることが多々ある。オレは反射的に後ろに跳び退りながら、雪乃を護れる位置へと降り立った。地面に突き刺さった相手の武器…絶妙な気配の消し方。只者ではない。自然、緊張が走る。

「何だのお、お前。わしの取材を邪魔しくさりおって!」

頭の中でかちりとスイッチが切り替わる感覚がする。次いで発せられた言葉に眉根を寄せて睨み付けた。取材だぁ?ふざけたこと言いやがって。…女湯で、取材?気のせいか、そういうことを日常的に行っていた人に覚えがある気がする。

「取材だと?ざけんな、女湯覗いて何がしゅ……ん?」
「おお?」
「………じ、自来也様?」
「お前、奈良のガキか?」

―――本人かよ…。気のせいじゃなかった。知り合いも知り合い、目の前にいる男は木の葉の誇る伝説的な忍者、三忍の一人、自来也だった。随分前に里をふらりと出て行ったきり戻っていなかったが、帰ってきていたのか。

「いやあ、驚いたのぉ。随分でっかくなりおって」
「はぁ。自来也様はお変わりなく。戻ってきてたなんて、知りませんでしたよ」
「そりゃあバレんようにこっそり来たんだからの」

何か、一気に脱力しちまったな…。よくよく見れば武器だと思っていたものは、自来也が持っていたと思しき筆であった。いや、何でだよと突っ込みを入れたくなったが、三忍はほとんど人間とは思えない人ばかりなので妙に納得してしまう。たとえばシカクにとって麗しのくのいち、綱手姫の怪力とか、変な口調の蛇男(失礼か?)とか。

「シカクさん…?お知り合いですか?」
「ああ、まーな」

怪しい覗き男と親しげに話始めたのを疑問に思ったのか、雪乃が静かにこちらに近寄ってくる。再びオレの服の裾を握る仕草。…だから反則だっての…分かってやってんのか?

「んん?何だこのめんこい子はぁ。お前のコレか?」

自来也様はひょいっと小指を立てて、にやにやと笑み崩れている。からかう気満々じゃねェか、このおっさん…と辟易したが、まぁ、恋人に間違われることは正直かなり嬉しい。オレの中の未来予想図ではそろそろ本当になっても良い頃だったから、この際頷いちまおうかと思ったら、『違います』とクナイよりも鋭くばっさり切られた。

「(……事実だけどよ…そこまではっきり言わなくてもいいじゃねェか…)」

流石にこうも即答されれば、悲しくもなる。つーか、かなり虚しい。自来也様の憐れむような視線が殊更胸に痛い。もう三年近くアプローチしているのに、距離感が近くなるどころかどんどん離れて行っているような気がするのは気のせいだろうか。

オレがずーんと沈み込んでいるのを尻目に、自来也様と雪乃は互いに自己紹介をしているようだ。雪乃は名乗りを聞いて覚えがあったのか、なぜか目を見開いて驚いているように見えた。しかし、一般人で記憶のない彼女が、いくら有名とはいえ三忍の自来也様を知っているとは思えない。どこで接点があったのか、問いただそうと思った矢先。

「……ファンです」
「………は?」

―――信じられない、いや、信じたくないことが起こった。
雪乃が、あの雪乃がだ。あろうことか自来也様の手を両手でぎゅっと握り締めたのだ。…オ、オレもまだ握ったことねェのに!!

「お、おい雪乃…?」
「貴方の作品はすべて拝読させて頂きました。特にイチャイチャパラダイスというあの作品は素晴らしい名作だと思います。感動しました」
「い、いや…た、ただの官能小説であってだのう、そこまでのもんじゃ…」
「そんなことありません。精密な文章もさることながら、登場人物の心理描写を的確に捉え、作品の品位を損なうことなく完成させられています。まさに珠玉の一作です。ぜひ一度お会いしたいと以前から考えていました…会えて、本当に嬉しいです」

今までこんなに饒舌に話す雪乃を見たことがあっただろうか。いや、ない!心なしか目をキラキラと輝かせて(いや、めちゃくちゃ可愛いんだぞ?)つらつらと賛辞の言葉を述べる声には熱が籠っている。どうやら、雪乃は自来也様の書く小説に相当入れ込んでいるらしい。

……言っちゃなんだが…そんなに感動するもんか、あれ?18禁だけあって子どもには見せられない描写も多いし、作者が作者なのか良くも悪くも奇抜な作風ではあるのだが、そこまでの名作とは到底思えない。…いや、まぁ…読んだことあるからな。オレには分からないが、でも、雪乃がそういうのなら本当はものすごく芸術的な一面を持っていたのかもしれねェ。うん、オレには分からねェが。

「わ、わしの作品をそこまで言ってくれるモンがおったとは……くう、作家冥利に尽きるとはこのことだ…!よし、気に入った!特別だ、姉ちゃん、わしが直筆サインをくれてやろう!それにほれ!これがそのうち出版する新シリーズだ!」
「本当ですか!」

オレが元気にさせてやれなかったのは悔しいが、それでも雪乃が喜んでくれたなら構わない。…でもよお、いくらなんでも長く手ェ、握りすぎなんじゃねェの?ぶっちゃけ、かなり羨ましい。あんなきらっきらした目ェされてみてェ。めらっと嫉妬の炎が舞い上がったところで、自来也様はすっかり気を良くして、サインをし始めた。

「雪乃、と……。それにしても、お前さんみたいな別嬪さんに手ェ握られるたぁ、役得だったのお!」

いやいやいやいや、待て待て待て!!何口説いてんだおっさん!!もう敬意もへったくれもねェぞ!!ざけんな、何が別嬪さんだ!!言われなくてもんなのオレが一番分かってんだよ!惚れたのか?!雪乃に惚れたのか?!そんなのオレが許さねェ!!雪乃はオレんだ!!(←違います)

お、落ち着けオレ…何を動揺することがあんだ。あのクールで知的な雪乃がこんなありきたりな褒め言葉にころっとやられちまうなんて、あるわけねェじゃねェか。綺麗だなんだのそんな台詞はオレが腐るほど言ってきたんだ。もう耳たこだろう。っは、残念だがあんたに芽はねェんだ!!激しく高ぶる感情を必死に押さえつけて自分に言い聞かせる。そして恐る恐る雪乃の方を見る…と。

「……そんな…、」

―――自来也様の言葉を受けて、雪乃の頬が純情そうにぽうっと赤く染まった。

「雪乃ーーーーーーーーーっ?!?!?!」

それを見て、可愛いだのなんだのそんな表現は一切思い浮かばなかった。頭の中にあるのは、今まで見たことがない愛らしい照れた表情をさせた相手が、こともあろうに自分ではなく、自来也様であったこと。それだけだ。あまりの衝撃に灰になりかけながら、オレは思った。


認めねェ…っ、オレは認めねェぞ!!
自来也様に負けただなんて、オレは絶対認めねェからな!!!



そう絶叫しながらまさかのライバル出現に、折れそうになる心を必死に奮起させた。





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