- ナノ -



*弐*





私はじっと、男の返答を待っていた。
心の奥がもやもやして、落ち着かない。
その胸中は悟られまいとしながら、男を見据えた。

男は少しの間、考えるような素振りを見せて
それからふっと、口の端を緩めた。


「俺の名は、斉藤一。江戸にいた頃、近藤さんや土方さんに世話になっていた」
『…江戸に、いた頃…?』


確か、近藤さんは試衛館という道場の主だったはずだ。
今の浪士組の面々も、そこにいたという話を聞いた。
…何だ、この男、古い馴染みだったのか。


「名前を言えば分かるはずだ。取り次いで貰えるか」


彼の雰囲気は、先程とは打って変わっていた。
口調も柔らかくなり、表情も穏やか。
あのぴりぴりした空気を醸していた人物には思えない。

男は口数少なく、表情も乏しい。
けれど綺麗な顔をしていることには違いない。
何故か温かく微笑まれて、少し耳が熱くなった。

うわ、私…
絶対知らない人間に警戒する子供みたいに思われてる。
滅茶苦茶恥ずかしい。
彼等の知り合いにあんなに敵意向けちゃって…。


『…お、おほん。お二人なら中にいらっしゃるはずです。どうぞ』
「すまない」
『い、いいえ』


羞恥に染まる頬を隠し、男を先導する。
無駄な咳払いは本当に無駄だった。
ああもう、恥ずかしすぎる。

斉藤と名乗った男は、静かに私の後をついてくる。
しばらく沈黙が続く。


「…あんたも、ここの人間か?」
『え?…ああ、私は単なる居候で。小間遣いに過ぎません』
「名を聞いてもいいか」
『月島響です』
「…成る程」


芹沢さんには、犬と呼ばれているけど。
そんなこと言えるはずもなく、普通に名乗る。
斉藤は訝る様子も見せず、小さく少し頷いた。

しかし、何故か凄い視線を感じる。
後ろからじっと見られている感覚がする。
それは土方さんの部屋に着くまで、ずっと続いた。

…何か、女ってバレそうで怖い。
この男も抜け目なさそうだな…気を付けよう。


『土方さん、貴方に会いたいと仰る方を連れて来ました』
「…俺に…?誰だ、一体。入れ」


了承の声を聞き、襖を引き開ける。
土方さんは初め猜疑心に満ちた表情をしていたが
私の後ろにいる男を見た瞬間、瞠目して驚いた声を出した。


「斉藤じゃねェか。随分久しぶりだな」
「ご無沙汰しています、土方さん」
「そう畏まるなよ。相変わらずだな、お前は」


土方さんの打ち解けた様子を見て、ほっと息を洩らす。
良かった。知人というのは嘘ではないらしい。
半信半疑だったが、真実と分かって安心した。


斉藤と話をする土方さんの表情は、とても柔らかい。
ここに来てから私が見てきた彼の表情と言えば
芹沢さんと相対している時のような厳しいものばかりだった。

そのせいか、こんな風に笑う土方さんは新鮮だ。
こういう顔が出来る人だったのか。


「今までどうしてたんだ?」
「…」
「ぱったり道場に来なくなって、心配してたんだぜ」
「…それは…」


斉藤は恭しく頭を下げる。
心配を掛けて申し訳ないと、謝罪を零すが
それは理由を言いたくないという躊躇に見えた。

土方さんにもそれが伝わったらしい。
眦を下げながら、無理に聞く気はないと言った。

私には、斉藤と言う男が道場に来なくなった理由は
先程感じた「殺人者」の目…
それに関係している気がしてならなかった。

…土方さんは気付いているんだろうか?
この男が醸し出す、緩くも鋭利な何かに。


「しかし、わざわざここに来たってことは、お前も浪士組に?」
「はい。俺の刀が、どれ程役に立つかは分かりませんが」
「いや、お前が来てくれて助かったぜ」


今は、腕の立つ奴が一人でも欲しい時だからな。
土方さんがそう言うってことは、斉藤はかなりの実力者なのだろう。

浪士組には、後ろ盾も何もない。
芹沢さんが昨晩言っていた話も、まだ仮定に過ぎない。
人手も資金も足りない、危うい現状だ。

ここにいる人物は、私にも把握可能なくらい少ない。
京を警備して、見回りをしようというならば
もっともっと沢山の人員がいることは明らかだ。

今の不安定な浪士組に、信頼出来る知己。
それは確かに、彼等にとって大きな支えになるだろう。