- ナノ -



翌朝の早朝、私達は大阪行きの舟に乗り込んだ。
実は舟に乗ったりするのは初めての行為だったから、
ちょっぴり楽しみに思ってたりしたのだが…
そんな気分は大阪に向かう人選を見た途端に吹っ飛んだ。
思わず目を疑って、二度見してしまった程である。

まずは芹沢さんと新見さん。
そして、土方さんと近藤さん。
この四人は当然というか、予想はついた。
永倉さんに至っては妥当、いや寧ろ嬉しかった。
望んだ相手がこうも確実に誂えられれば嬉しくもなる。

でも…沖田って。
この面子に何故、沖田を加えるのか。
殿内の一件から日も浅く、蟠りもある。
せめて斎藤とか、こう雰囲気を調和出来る人をだな…
と思ったが、私が文句を言える立場じゃないことも分かっている。
私自身が沖田と会話すら交わしてなくて、気まずいから
なるべく一緒の場に居たくなかったという個人的な意見に過ぎない。
でもやっぱり、土方さん達の考えが良く分からないな。

しーんとした船上じゃ、針の筵にすら思えてくる。
即座に旅の先行きが不安になったのはいうまでもない。
そして船に揺られ、幾刻が過ぎた頃に変化は起きた。

『…う、っぐ…!』
「お、おい響、大丈夫か…?」
『へ、平気です…このくらぃっ…くっ!』
「…お前、船弱かったんだな」

今までに経験したことのない感覚に、呻いた。
舟の縁にしがみ付いて、ぷるぷると小刻みに震える。
口を押さえて下を見てないと、何かが出てきそうだった。
その…妙齢の女子としては、自主規制したいような物が。
主に今朝食べたお惣菜辺りが。
胃から這い上がってくるような気がして、気持ちが悪い。

『い、一体何なんだこの感覚…け、景色が二重に見える…』
「…だから、船酔いだろ?」
『クラクラする…きぼちわるい…何これ…』
「いやだから…船酔いだろ?お前、乗ったことないのか?」
『…あ、りませ、んよっ…遠出なんて、生まれて、この方っ…』
「あー…じゃあ、しょうがないだろ」
『しょうがないで嘔吐しちゃ、末代のは、じぃっ…っぷ!』
「もういいって!喋るなよつれーんなら」

隣に座っていた永倉さんは、背中を擦ってくれた。
何か…結構面倒見が良い優しい人なんだ、と感心してしまった。
芹沢さんを押し付けようとしていたことをちょっと反省。
これからはもうちょっと配慮してあげよう、と心を入れ換えた。
でも吐き気と気持ち悪さは一向に治まらない。

芹沢さんと新見さんは「情けない…」と冷瞥を寄越し、
近藤さんは「大丈夫かね?」としきりに気遣ってくれる。
沖田は無視だ。別に心配されたいわけじゃないけど。
土方さんの方は呆れられるのが恐くて見られなかった。
妙齢の子女が男の前でげーげー言うとか、信じられない。
男装しているとはいえ、信じられない。沖田にはバレてるし。
恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいの恥辱だ。

『うっ…くぅっ…!』
「な、何だ、どーしたんだよ?」
『いえっ…ただこの身が情けなくて口惜しくて…
もういっそこのまま川に身を投げた方がマシだとすら…』
「思うんじゃねェ!船酔いくらいなんだ、なっ?!
俺お前がいなくちゃ飯時に絶望して死にたくなるって!」
『……永倉さん…』
「おい、そいつはお前の女房じゃねェんだぞ」

永倉さんは世を儚みそうになった私を慰めてくれる。
半分冗談だが、あらぬ決心をしそうになったのは本当。
その言葉は暗に私のご飯が美味しいと?
そう言ってくれてるんですよね?と感動の眼差しをすると、
土方さんが冷ややかに、ばっさりとそれを断ち切った。
案の定すっかり私を男と信じ込んでいる永倉さんは、
力の限り否定し「こいつみたいに男勝りの嫁はいらねェよ」と
ははは〜と笑いながら断言し、なっと肯定を求めてきた。

男勝りって…本当は女なのに。
本来ならば喜ぶべきところなのだろうが、そうもいかない。
女らしさが皆無と言われているようでぐさっとくる。
嫁に行きたいなんて今まで一度も思ったことないが、
男装していただけと公言した後もそう思われてしまったら、
流石に性別に自信を失くしてしまいそうな気がする。
船酔いの辛さも相まって、精神的に来た。

「しかし…薬の持ち合わせもない。弱ったな。
後半日は舟の上にいなくてはならないが…大丈夫かね?」
『平気です…申し訳ありません、ご迷惑掛けて…』
「全くだ。貴様は本当に役に立たん犬だな」
『………』

反論する気力も失せた。
私は縁に背中を預けて、腕を額に翳した。
滴る汗がぐらぐらする今の調子を表しているみたい。
目を細めると、太陽が反射して、嫌に眩しかった。


*****


「で?どうやって資金を調達するつもりなんだ」
「今新見に調査を命じている。そう急くな」

日も暮れた頃、ようやく船は大阪に着く。
私はよろよろと覚束ない足取りで船着場に下りた。
長いこと居心地の悪い空間にいたせいか、一向に具合は良くならない。
もう何が気持ち悪いのかすら分からなくなっている。
後ろで土方さんや芹沢さんが話しているが、
その会話の内容すらはっきりとは判別出来ない程の思考力である。

「大丈夫か?お前、休んでた方がいいんじゃねェか?」
『いえ、そういうわけにはいきません。仕事ですから』
「んなこと言ったって、あんな重い空気じゃ気分も悪くなる一方だろ」
『そ、それはそうですが…どうにもならないでしょう、あれ』

永倉さんはすっかりやつれてしまっている。無理もない。
何せ同行しているなんて名ばかりで、会話も全くないのだ。
各々が明後日の方向を向き、目も合わせようとしない。
こっちとしては気まずいし胃が痛いし居心地悪いし、
おまけに私は生まれて初めて船酔いを体験してしまって、大変だ。

芹沢さんがしたことは、土方さん、温厚な近藤さんすら怒らせた。
しかし、内部で争いをしている時期ではないと、
水に流せることは出来ずとも二人共分かっているのだろう。
喧嘩に発展はせず、静かに水面下で冷戦…といったところか。
可能ならばもう舟には乗りたくない。酔う上、逃げ場がない。
いや、どう足掻いても帰りにもう一回乗らなきゃならないのだが。

「芹沢先生、近頃平野屋という両替商が妙に金回りが良いとのことです。
そこから当たってみるのが宜しいと思うのですが」
「…よし、では早速出向くとするか」

しばらくして、戻ってきた新見さんはそう口にした。
調査って、何の調査だろうか?
不思議に思っていたのだが、どの商家の金回りが良いかを
聞き込みか何かをして聞いて回ってきたのだろう。
芹沢さんは頷くと、新見さんを従えて足を平野屋へと向ける。

てっきり伝手があるものと思っていたが、どうやら違うらしい。
ならばどうやって資金を調達するつもりなのだろう。
何だか物凄く嫌な予感がするのは私の気のせいだろうか。
どうか気のせいであって欲しいと思いながら、倦怠感を引き摺って、
私は道の先を行く芹沢さんや土方さん達の後を追いかけた。