- ナノ -


その日はもう、何をやっても手に付かなかった。
繕い物をすれば指に針をブッ刺すわ、
洗濯物をすれば釣瓶落としから水をぶちまけるわ、
掃除をすれば物に蹴躓いてズッこける。
どっちが掃除されるべく対象か分かったもんじゃない。

挙句平間さんに「どうかされましたか?」と
酷く不安そうな顔をされて心配されてしまった。
情けなくて涙が出る。
けれどそれ程、沖田の表情と行為は私を揺さぶった。
何と言うか、そう…「重なる」のだ。

嫌な予感がする…と思いながら、
食事の仕度をしようと八木邸へと足を向ける。
今何をやってもへましそうな気がして嫌だったが、
与えられた役目をほっぽり出すわけにもいくまい。
その途中で、何やら騒いでいる面々に出くわした。
平助に原田さんに永倉さん。
虫の知らせか第六感か、何のことかすぐに分かった気がした。


『皆さんお揃いで。何やってるの?』
「あっ、丁度良いところに…総司知らねェか?」
『…沖田?』


何てことないように問い掛けて、
どうか沖田に関係することじゃありませんように、
そう祈った私の希望は無残にも粉々になってしまう。
突如再び冷えた血の廻りに思考も鋭敏になる。
目付きを多少なりとも剣呑とさせて、続きを促した。


「何か、殿内って隊士と出掛けたらしくてさ、
そいつとさして仲が良いわけでもないのに…」
「もうすぐ飯の時間だろ?お前が来たってことは。
なのに帰ってこねェから探してるんだが、何処にもいねェんだ」


殿内…
今日芹沢さんの所に来たあの男。
近藤さんを殺す相談を持ちかけてきた奴。
その男と沖田が一緒にいる?
さっと血の気が引いた私を見止めて、原田さんが聞いてくる。


「何だ、響?お前、何か知ってるのか?」
『…早く沖田を見つけないといけないかもしれない』
「どういうことだよ?!」
『…多分、だけど…』


真剣味を帯びた三人の顔を見ないようにして、
多少俯きがちに私は全ての詳細を話した。
殿内が近藤さんの暗殺を芹沢さんに促していたこと。
それを芹沢さんが沖田に伝えてしまったこと。
ただ一つ、沖田と私が交わしたあの一連の会話を除き、
今日それに関連することは事細かに話したつもりだ。

初対面のあの日、沖田に投げたあの言葉は、
私の過去を否応なく彷彿とさせるものだった。
ここでそれを晒したのは、一にも二にもそれっきり。
あの経験と見識がそれに起因しているから、
万が一にも露呈するような発言をするわけにはいかない。
それが今の状況では不義理になっても、悪しからず。

話を聞き終えた後、三人は揃って神妙な顔をした。
次いで焦燥を募らせ、見つけなければと頷き合う。
平助はこちらを振り返った。


「響、お前も探すのを手伝ってくれないか?」
「おいおい、平助」
「今は人手が欲しいときだろ?」
「そうだぜ、悠長なこと言ってられねェ」


平助の申し出に、原田さんのみが渋りを見せた。
永倉さんの言う通り、切羽詰っているというのにだ。
平素ならそれを訝るが、今はそんな余裕もない。
私は間髪要れずに頷いた。勿論了承の意である。


『分かった。私も行く。元からそのつもりだったし』
「響…」
『放っては置けないから』


そう言うと、平助は嬉しそうに笑って、
原田さんは何処か諦めたように溜め息を吐いた。
嘆息の理由は分からないけど、今はどうでも良い。
二人で出て行ったってことは、呑む為に
繁華街へと向かったという線が一番強いだろう。
私達は連れ立って、沖田を捜索に行くことにした。


*****


繁華街に出れば、その暗夜に目が行く。
店の数々はもう明かりを消してしまっている。
人斬り辻斬り夜盗。
も一つおまけに不逞浪士と来ている。
今の京の都の治安の悪さといったら折り紙付きだ。
夜歩きをしている者なんている筈もない。

―――暗い。
見つけられるか…と焦りが滲む。
「とりあえず、一刻程ここらを探してみよう」
永倉さんの言葉にすぐさま頷いて、
誰かと一緒に行動しろと促す原田さんに首を振る。


『私は一人で探します。その方が効率的です』
「だが…」
『大丈夫です。…手分けして探しましょう』
「…分かった。不逞浪士に会っても無理すんじゃねェぞ」
『はい』
「お前に何かあったら、俺達が芹沢さんに叱られちまう」
『……それは絶対にないと思いますがね』


永倉さんの言葉には苦笑と共に返した。
あの人が私の心配?するわけない。
百歩譲っても酒はまだかとそちらの心配だ。
その予想が当たりそうで、少し虚しく泣けてくる。
曖昧に笑って、私はそのまま行く宛もなく走り出した。

人通りの少ない町。
少ないどころか、人っ子一人いない。
沖田の行きそうな場所なんて見当もつかない。
それでも悠長に歩いて探す気にはなれなくて、
私は辺りに視線を走らせながら街を疾走していた。

―――江戸に帰れ。

そう言われたときの動揺振りと、
虚ろな笑い声を響かせていたときの表情。
どっちをとっても悪い想像しか浮かばなかった。
そんな馬鹿な行為に出る筈ないと言い聞かせても、
頭に反して心は危険だとしきりに警鐘をかき鳴らす。
大丈夫なんて根拠のない慰めはもう出て来ない。

…お願いだから、無茶しないで。
危険なことしないで。馬鹿な真似しないで。
どうか…思い止まって。
沖田の剣を「綺麗」と形容したのは間違っていない。

私は、馬鹿だ。
どうしてあのとき呆然としてしまったの。
どうしてあのとき沖田を止めなかった。
疎ましがられても傍に張り付いていたのなら、
今こんなことにはならなかったかもしれないのに。
後悔ばかりが先に立って、鈍くなる足を叱咤する。

そうして薄暗い路地裏に足を踏み入れ、
首を回して周囲を探るときらりと何かが光ったのが見えた。
月明かりと星明りに反射する。
同じ光明を持つ物でも正反対。
抜き身の刀に似てる…そう脳が思索した瞬間、
「ぐっ」と痛みを堪えるような呻きが耳朶を打った。


―――沖田!!


路地を曲がって、私が目にした光景は、
視界一杯に広がる鮮やかな『紅』だった。