- ナノ -



その日の夕方、
部屋で酒をカッ食らったにも関わらず、
芹沢さんと新見さんは島原に赴くらしい。
私は不快感からまともに顔を合わせられなかった。

身近にいる人の殺しを計画する場にいて、
良い気分になんかなれる筈がない。
人って、そんな簡単に死んで良いの?
そんなに簡単に殺して良いものなの?
良く笑って、そんな話が出来るね。
胸糞悪さから、私は唇を噛んで芹沢さんに相対した。


「では、行って来る。帰るまでに酒を買っておけよ」
『…はい』


新見さんの方は私のそんな態度に憤慨したようだったが、
芹沢さんはさして興味もないような表情をしていた。
私が何を思い、何に迷っても、意に介さない。
そんな風に考えているのが窺えて殊更腹に据えかねる。
上目で睨むようにしてやると、ふと芹沢さんが視線を逸らす。
追って私もそちらに視線をやり、あ、と声が洩れた。


『…沖田…』


何処かに出掛けていたらしい彼は、
ふらりと八木邸の方へと足を進めていた。
その姿をまともに、正面から見たのはいつぶりだろう。
夕日を背にした彼が少し眩しくて、目を細めた。


「…殿内、という男を知っているか」


芹沢さんを視認した瞬間、
沖田が荒んだ視線を投げ掛けるが、
すれ違い様に芹沢さんは沖田へそう問うた。
答えを求めているわけではないらしい。
知らなければそれで良い、というように言を繋げる。


「先程その男が俺の部屋に来てな、
近藤君のことを色々と話して行ったぞ」
「近藤さんのことを…?何を話してたっていうの?」
「あんなどん百姓が局長の立場にいるなぞ信じられん。
奴にこのまま好き勝手な真似をさせておいてもいいのか?」


煩そうに顔を顰めていた沖田も、
近藤さんの名前が出た瞬間に目の色を帰る。
食って掛かるように話の続きを促す。
しかし芹沢さんは、それ以上先を勿体つけて言おうとしない。
私は、嫌な汗が背筋を伝うのが分かった。

…何、考えてるのこの人…?
さっきの話の内容が私の読み違いでないのなら、
どう見ても近藤さん達に言うべき話じゃない。
注意を促す為ならば分かる。
でも芹沢さんが、そんなことをする筈がない。

芹沢さん、と私は咎めるみたいに声を絞った。
その意図が理解出来ない。
沖田に…よりにもよって、この男に。
近藤さんに一番懐いている沖田にその話をしたら、
どうなってしまうかなんて分かったもんじゃないのに。
まして、彼は今非常に不安定になってしまっているのに。


「もし殺すなら…自分にやらせて欲しい、と言っていたな」


そう言の葉が弾き出された刹那、
ふるりと冷たく空気が震えたのを感じた。
止める間もなく、芹沢さんは言い放ち、
そしてそのまま新見さんを連れて踵を返してしまった。
余計なことを、と厭う暇もなく笑声が洩れた。


「くくくっ…あはは、あははははっ…!!」
『っ…!』


沖田の、嬉しげな笑い声。
気違いか狂人染みた何処か正気の在り処を疑わせる、
思わず訝ってその顔を凝視してしまうような声音。
「沖田…?」と窺うようにして顔を覗き込む。
彼は笑い声を上げたまま私の方を見た。

瞳孔が開き切った瞳。
その黒い球体を蝕む暗い喜び。
真っ直ぐに射竦められて自然背筋が凍った。
在りし日の「誰か」と、その姿が重なる。


「芹沢さんって、見かけによらず良い人なんだね」
『…何言って…』
「あの人、初めて僕にとって益のあることをしてくれたよ」
『沖田…あんた…』
「あははっ…」


暗い目。
濁っていて、狂っていて、
―――渇望と殺意に満ちていて。
そんな目をする人間が取る行為は一つきりだ。
そうやって拭い難い過ちを犯した人間を、私は、
一人、知っていた。…いや、知っている。

心臓が嫌にばくばく音を立てていて、
呼吸をすることも冷静になることも上手くいかない。
それでもどうしても、
このまま沖田を放って置いてはいけない気がして、
何故か止めないといけない、と脅迫にも似た思いを抱いた。
私は掠れた声を搾り出した。


『沖田…あんた、何をするつもりなの』
「…何をって?」
『変なこと考えてんじゃ、ないでしょうね?』


歩き出そうとしていた沖田は振り返った。
表情は悦楽に満ちたまま変わらない。
沖田のこんな顔は好きじゃなかった。
こんな狂気染みた顔をされるくらいならば、
いつものふてぶてしい表情の方が何倍も良い。
平常時のように笑って欲しかった。


「…月島君、前に言ったよね」
『…』
「殺人術を持ってる奴ってのは、
得てして人が怯む光を目の奥に持ってるって」
『…言った、けど…』
「僕が人を殺したことないことも見抜いた」


また、だ。
じんわりと滲んだ汗を握った。
沖田は今、何を言おうとしている?
言わんとすることが半ば窺えて怖気が走った。


「…もし僕が人を殺したら、君の気持ちが分かるのかな」


それは少し遠まわしだけれど、
私がさっき投げかけた問いの答えにもなった。
もし、と仮定していても、確信めいている。
私の気持ち、じゃない。
「人を殺した人間」の気持ちだろう。

言いたいことは、多分沢山あったんだ。
でも沖田の背中が瞳が、完全に人を拒絶していて、
何より以前見たときよりも哀愁を増幅させていて。
迷子の子供みたい、とそう思いつつも、
全身が冷や水を浴びせられたようで血液が冷えていた。

何か言いたいのに、口が動いてくれない。
歩み寄りたいのに、足が動いてくれない。
手を伸ばしたいのに、体が動いてくれない。
そんな気持ち、一生知らなくてもいいのに。

所在無さ気に伸びた手が虚空を切って、
私が乾いた声音を咽喉の奥から洩らしても、
背を向けた沖田はもう振り返ってはくれなかった。