- ナノ -

生か死か



「お前に一つ、質問してやる。『生きたいか?』」

一瞬、自分が何を言われたか分からなかった。
居丈高に、生殺与奪を握っているように言われた言葉。
意図を測りかねた私は数秒黙り込み、そして頷いた。

助けてほしくなんかない。
救ってほしくなんてない、手出しされたくない。
こんな男に施しを受けるなんて、御免だ。

それでも今の私は、この男に縋らなければ死んでしまう。
紛れも無い事実で、現実だった。
眼光鋭く睨み付けたまま、何度も首を縦に振る。

『…あ…!』

私の所作を見届けた後、男は懐を探る。
取り出した包みを開けて、中身を突き出してくる。
中に入っていたそれを見るとごくりと咽喉が鳴った。

握り飯。
ここ何日もお目にかかっていない、食べ物。
視界に入ったそれに影響され、口内に唾液が満ちた。

「もし生きたいなら、これを取れ。生きる気がないなら、そのまま死ね」

思いやりの欠片もない、突き放す言い方。
何故私を救おうとしているのか不思議な程、
男は優しさや哀れみという感情から、かけ離れているように思えた。

でも、構うものか。
この男が何を考えていようが、私には関係ない。
今ここで、手を伸ばさなきゃ死ぬだけだ。

そう思い、握り飯に手を伸ばす。

「お…っと」
『あ、…!』

男の手から、握り飯が零れ落ちた。
私の指を擦り抜け、とんと音をたてて落下する。
そして地面に落ちたそれを、男は草履で踏み付けた。

私はごくりと息を飲んだ。
ようやくありつけると思った食べ物…
三日ぶりの食料は、無残にも男の足の裏。

浮上した気分を一気に叩き落されて、息が詰まる。
乾いた声を洩らした私を見ながら、男は楽しげに鼻を鳴らした。

「すまんすまん、手を滑らせてしまったか。
残念ながら、お前の命運はここで尽きるらしい」

馬鹿にしたような声音。
せせら笑いながらしゃあしゃあとそんなことを抜かした。

…ふざけるな、と思った。
私は怒りで息が荒くなり、小さな咳を洩らした。
一体、何の恨みがあって…
糠喜びだけさせて、どん底へ突き落とすような真似をする。

激しい怒りに任せて、体を動かそうと気力を振り絞った。
ぎゅっと力を込める。
足、手、腕…
必死に命じながら、目の前の男を一発でも殴る為に動こうとする。

『…くぅっ…!』

けれど私の体は、呆気なく地面に伏した。
どしゃりという音と共に、元のように倒れてしまう。

「どうした。もう終わりか?」

男が、頭上で笑う。
立ち上がろうとして出来なかった私を、嘲る。
謗りを含んだ声音で、馬鹿にする。

…悔しい。
もどかしくて、情けなくて、歯痒い。

女である私は、体力面では決して男に敵わない。
私が男だったなら、この男を殴ってやれたかもしれないのに。
腕力も筋力も残っておらず、気力すら最早底を着く。

どれ程悔しくても、私は。
目の前の男を撃つ術すら、持ってはいない。

体力の限界が来て、瞼すら上げられなくなる。
そして、しばらく黙っていた男は、ゆっくりと言った。

「…お前の命を、助けてやろう」

いらない。
もう、騙されない。
助けてほしくない、放っておいて…!

叫びたいのに、叫べない。
言ってやりたいのに言えない。

男の手が私の胴体に触れ、そのまま抱え上げられる。
米俵のように肩に背負うと、歩き始めてしまう。
ぴくりとも動けない私は、抵抗もなしに成すがまま。

「面白い拾い物をした。お陰で、京に着いてからも退屈せずに済みそうだな」

そう、勝手なことを零す男。
耳が拾った言葉を微かに捉え、唇を動かす。

蚊の鳴くような音を、男が拾ったかは分からない。
けれど、言わずにはいられない。


『…くたばれ、馬鹿野郎…』


今言える、最大限の貶し。
今出来る、最大限の抗い。
乾いた唇が弾いた言葉を聞いて、男が小さく笑った気がした。


そうして、私の視界はゆっくりと黒に染まった。