- ナノ -

穢れなきは



そうこうしているうちに、随分時間が経ったらしい。
私は沢山料理を頂いて、すっかり満腹。
三日分くらいぺろりと平らげてご満悦だった。

そうしてそろそろお開きかな、と思い始めた頃―――
座敷に、芹沢さんの怒号が響き渡った。


「貴様…!舞妓の分際で、その口の利き方は何だ!一体何様のつもりだ!」
「何様のつもり、言われたかて…うちは思うたことを言うただけどす」


ま〜た芹沢さんかよ…いい加減にしてくれ。
はあっと溜め息を吐いた私は、沖田の次の一言で覚醒した。
「あれ、あの子月島君お気に入りの子じゃない」
………私のお気に入り?誰じゃそら…?

「ほら、君が口説いてた子」
いや、誰も口説いてないけど…って小鈴ちゃんじゃん!!
何であの子が芹沢さんと向かい合ってんの?!

髪に挿した簪がしゃらんと揺れる。
小鈴ちゃんは気の強そうな顔つきで芹沢さんと相対している。
幼さを強調している赤い襟にそぐわない強気な態度。
その口調は揺ぎ無い程はっきりきっぱりとしている。
怖いもの知らずという言葉を体現したみたいだ。


「俺を一体誰だと思っているのだ。
子供だから見逃して貰えると思っているのか」
「そないなこと思うてません。うちら舞妓や芸妓は玩具ちゃいます。
偉いお侍はんなんやったら、お金や権力を笠に着て威張り散らさんといて下さい」


わぁ、これは本格的に危ないよ。
芹沢さんはそんじょそこらの不逞浪士よりよっぽど危険。
小鈴ちゃんの言うことは尤もだけど、正論なんて通じないんだ。

二人の険悪さに周りはざわめき始める。
傍にいた芸妓さんは慌てて芹沢さんを宥めようとしたが、
頭にすっかり血が昇っている彼はその言葉を聞きいれようとしない。
小鈴ちゃんも「間違ったことは言うてない」と頑として謝ろうとしない。

私はさっと小鈴ちゃんと芹沢さんの間に入った。
後ろで小さく私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
しかしそちらは振り向かず、目の前の芹沢さんを一心に見つめた。


『芹沢さん、落ち着いて下さい。こんな小さい子相手に、みっともないですよ』
「どけ!この俺に吐いた暴言、許すわけにはいかん!」
『真に受けることないでしょう、気を静めて下さい!』
「ええい、邪魔をするな!!」


鉄扇の冷たさを頬に感じた。
次いで、焼けるような熱さが宿る。
私は「っつ…!」と苦悶の声を洩らして、床に倒れ伏した。

…今日、絶対厄日だよ。
有り得ない、怪我しまくり。


「月島はん!…何しまんのや!ええ加減にしとくれやす!!」
「貴様っ…!」


小鈴ちゃんは気丈にも芹沢さんに諫言を強いる。
私は芹沢さんの堪忍袋の緒が切れる音を聞いた、…気がした。
やばい、と思い立ち上がるが立ち眩みに襲われて足が進まない。
次の瞬間には時既に遅しで芹沢さんは盃を小鈴ちゃんに投げ付けていた。

彼女の額目掛けて投げられたそれは陶器で出来た重いもの。
当たり所が悪かったら大怪我にもなりかねない。
その上、彼女は舞妓だ。
下手をすれば座敷にも出られなくなるかもしれない。

立ち眩みも頬の痛みも忘れて、小鈴ちゃんへと駆け寄る。
少し赤くなっている額を擦れば、彼女は痛みに顔を顰めた。
細い肩を抱き寄せ、きっと芹沢さんを睨み付ける。


『芹沢さん、何てことをするんですか!!頭を冷やして下さい!!』
「土下座しろ!畳に額を擦り付け、暴言を詫びるんだ!」
『謝るべきは貴方でしょう?!いい大人なのに分別も付かないんですか!』
「貴様、誰に向かって物を言っている?!」
『芹沢さん以外にいると思いますか?!』


私もすっかり頭に血が昇っていた。
興奮気味に怒鳴り散らす芹沢さんへ捲し立てる。
女の子の顔に傷を付けるなんて、男の風上にも置けない。

口論を続ける私を宥めようと平助達は声を掛けてきたが、
流石の流石に許せない暴挙に怒り心頭していて、聞く耳持てなかった。
芹沢さんは私より小鈴ちゃんに重きを置いて、土下座を要求している。
その申し出を跳ね返すように諫言を投げ付け続けた。

小鈴ちゃんはぎゅっと唇を噛み締めている。
恐らく座敷でこんな目に遭ったことはないのだろう。
混乱していても、泣くものかと必死な表情だ。
自分は間違ったことを言っていない、だから謝る道理はない。
そう思っているのだろう、私もそれが正しいと思った。


『…大丈夫。君は、間違ってないから』


小さく呟いた声が彼女に聞こえたかは分からない。
私はそれきり芹沢さんに集中して相対して、彼女の顔を見なかったから。
しかし、下方からじっと見上げてくる視線はずっと感じていた。

自分が間違っていない、と思うことを貫き通そうとするところ…
それは、あの人に類似した心持ち。
そういう考えを持っている人には、いつしか親近感が湧くようになった。
だから、私は彼女の味方をするまでだ。
彼女がそれを貫けるようにしてやるまでだ。

私は芹沢さんの言葉に、必死で対抗し続けた。


その後も混乱は収まらず―――
最終的には近藤さんや土方さんも駆り出されて
ようやく事態は収拾するに漕ぎ着けた。

芸妓さんに連れられて行く小鈴ちゃんは、私の方を見向きもせず…
いや、最後に一瞬だけ視線をこちらに向けて、去っていった。
掛ける言葉も、掛けられる言葉もなかった。

そうして私の初めての花街訪問は、
煮え切らない思いを胸に残したまま、終わりを迎えた。