Other Dream






 その日の配達を済ませ終えて、事務仕事をしている間にいつも彼女はやってくる。

 「こんにちは」

 色があるなら黄色とか、水色とか、そういう明るい色をしていそうな朗らかな声が、郵便屋一面に心地よく響く。ステップでもしてやって来たのかい?なんて尋ねたくなるくらい、いつもご機嫌な彼女は配達物をイーサンに渡して、それからオレのほうにやってくる。「今日は何もないの」と言いながらイーサンと軽く会話をしてからオレのほうにやってくることもあれば、「今日は忙しくて」と髪の毛を頬に貼り付けながら困ったように笑ってイーサンからアルバイトを受けてすぐに出ていく日もある。
 今日の茜はちょっと不思議で、オレに軽く手を振ったと思えばイーサンの前で立ち止まった。思わずオレは手を止めてそっちを気にしてしまう。…キミって確かに常にキュートだけど、今日は随分とチャーミングで愛らしいことになってるね?なんて、聞ける距離にいたならすぐにオレは聞いていただろう。なんだかもじもじとしながら頬をほんのりサクラ色にして、そんな顔でイーサンに耳打ち。

 あ、これは、ちょっとキツいな。

 もやっとした重い空気が肺を満たす。見続けて何がどうなっているのか確かめようとしたけれど、それは茜にもイーサンにも悪いと言い聞かせて、オレは下を向いた。これ以上は見ていたくない、という気持ちもある。書類を書くために使っている羽ペンに、いつもの数倍の力がかかった。落ち着け、落ち着こうと言い聞かせながらも、脳裏に浮かぶのはイーサンを含む三つの里中の同じ年頃の男の顔だ。
 重症だ、と小さくため息を吐く。仕事中にこんなことはよくないとはわかっていても、少しは吐き出さないと切り替えることができなさそうだった。午後からは集中しなくちゃ、というか今すぐ切り替えなくちゃと自分を叱咤する。そんなオレをずっと見ていたのか、横から「お前らしくないなウェイン」という声が響いた。だよね、と返して彼のほうを見ると、イーサンはハンサムな顔をより魅力的にするいい笑顔を浮かべながら、オレ好みのデザインの封筒を差し出してきた。「お前宛だよ」と言われた瞬間、何のことか合点が行って、一気に心が晴れやかになる。本当に、男…というかオレは単純だった。



 昼休憩の時間を迎えてすぐにやることといえば、簡単な昼食の準備だったが、今日は部屋にいくなりすぐにペーパーナイフで慎重に茜からの手紙を開けて読むところからはじまった。封筒に書かれた『親愛なるウェインへ』という常套句も、彼女からの手紙と思うととても崇高で特別なものに感じてしまうのは、オレがそれだけ彼女に首ったけだからなのだろう。破いたり折り曲げたりしてしまうことがないように、開けてからも用心深く封筒から便箋を取り出す。二つ折りにされた便箋には、丁寧な文字が細やかに続いていた。

 『親愛なるウェインへ。
 突然のお手紙ごめんなさい。
 この前は色々話してくれてありがとう。
 一緒に星を見ることも出来てとても嬉しかったです。
 あの時ウェインに伝えた気持ちは本当で、今までもこれからもウェインの支えに少しでもなれていたらいいなと思います。本当にありがとう。
 本当は直接伝えたほうがいいとは思いましたが、なんだか恥ずかしくて手紙で伝えることにしました。
 また会いに行きますね。それでは。
 茜』

 読み終わってやっと自分がどうしようもなく今、ひどいくらいに照れていることに気がついた。口元を手で押さえながら、落ち着け落ち着けと自分を言い聞かせる。ただ脳裏からはもう数日も前のことなのにいまだはっきりと覚えているあの星空と、薄暗くても分かる茜の赤らんだ顔と、「今はわたしがいるよ」というあの言葉が焼き付いて離れなかった。
 そういえばびっくりするくらい次の日からは茜は普通の顔をしていたことを思いだす。オレも自分でも驚くくらい普通に話していたし、ちょっとはあの夜はありがとうくらい言えばいいのにその一言すらうまく出てこなくて。あまりにも会話が普通だったから段々とオレも変にその話を持ちだせなくなていた。なんだか夢でも見てたんじゃないかなんて思ってしまっていたから。
 でもやっぱりオレが見たあの光景も、言葉も何もかもが現実だったらしい。そして茜もオレと同じように口にするかどうか悩んでいた。だから、手紙がここにあるというわけで。

 ああこれは本当にまずいな、と思いながらオレは手紙を一度棚の中にしまって、キッチンのほうで手早く昼食の準備を始める。手紙を開けて読み終わるまで5分も実際はかかっていないはずなのに、なんだか心も身体もやけに急いでいた。パスタをゆでる準備をしながら、頭をよぎるのは自分の貯金の中身だったり、手紙への返事をどうするかだったり、仕事終わりはどうしようかなんで今日が集荷担当の日じゃないのだろうとか、そんなことばかりだ。まだ早いだろうかもういいだろうか受け入れてもらえるだろうか断られても立ち直っていけるだろうかとか、そんなことを思いながらパスタに和えるハーブを刻んで手まで刻みかけて一人で慌てる。どうしようもないくらいスマートではなくて、これはまずいなと小さくため息を吐く。早く行動を起こしたくなったけれど、空回りなんてしてたら元も子もない。
 茜だけだ。オレをここまでどうしようもなく余裕のない男にさせたのは。今まではこんなことはずっとなくて、女の子の前ではいつだってスマートでいられた。困ったようなことがあっても落ち着いていられたし、仕事に支障をきたすほど悩ませることだってなかった。恋愛というものはこういうものだと思っていたし、男女間の関係はこういうものだと割り切っていた。こんなに心を書き乱されたり、一喜一憂したり嫉妬深くなったり、こんな自分はオレだって知らなかった。
 本当に参ったな、と思いながら黙々と完成させたハーブパスタは、一人で食べる日々が続いた去年の春より美味しくなっていた。



 長く感じた仕事の時間が終わって、掃き掃除が終わるやいなやオレは茜の手紙の返事を書いた。どの便箋でも茜は喜んでいるように見えるけれど、一番喜んでいたように見えるのはこれかな、と思うものを選んで『親愛なる茜へ』という一行目を刻む。
 こちらこそこの間はありがとうという言葉からはじまって、茜から手紙を貰えてとても嬉しかったとか、普段とは違って特別な感じがしたとか、そんな本音もうっかり書いてしまったりして。それから茜は出会った時からずっと支えだ、と、手紙でしかオレも伝えられなくなってしまっていそうな言葉を綴った。
 最後に『また今度一緒にお昼でも』という誘い文句で締めて、手紙を慎重に下り畳んで封筒に入れる。そうこうしているうちに既にミランダさんのお店はとっくのとうに閉まっている時間になってしまっていた。やっぱり最後に締める言葉をうっかり間違えなくて正解だった。手を滑らせなかったことに改めて安堵する。
 ひとまず今後のことは、返事の手紙を読んでもらってから明日、明日からまた考えよう。そう決意して家を飛び出す。きっと今頃水やりをしたりと牧場の最後の仕事をしているに違いない彼女の元にまっすぐと足は向かった。それが今日犯してしまった最後のミスだったということにオレはまだ気が付かない。



(書かずにとっておいた言葉を、聞いてしまったキミはあの夜と同じ顔になった)




 手紙で何か書きたい!オチがねぇ!!中途半端で終わる悲しみ。
 みつさと昨日で一周年と聞いてもさもさと書きました。


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